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家族愛

私が、学生時代にアルバイトで、中学生の家庭教師をしていた時のことです。
生徒さんは、渋谷区の中学に通学していました。彼女は、先天性心疾患で心臓手術を受けていました。
そのため、体育は、禁止され、見学のみとなっていました。内申書の評価は1でした。
成績は優秀でした。学年で、1,2を争う成績でした。幼少時に心臓手術をうけ、命を助けられたため、
将来、心臓外科の医師になりたいと。医学部志望でした。
志望校の戸山高校は、内申書のせいで、受験できませんでした。私立の有名高校の理数科を受験することになりました。
ライバルの同級生と受験しました。その方は戸山高校に合格したそうです。

中学3年の春にお母さんが胃癌で、ステージ4の腹膜藩種であることが判明しました。
医師から余命1,2か月と宣告せれたそうです。
お母さんは子供の受験までは、死ぬわけにはいかない。と頑張っておられました。
私の家庭教師の時間が終わると、帰りに、具合が悪いので、都立広尾病院まで、車で、送ってくれないかと、何度か依頼されることがありました。
それでも頑張り、1年後の合格発表の日に、彼女は、合格し、ライバルの子は不合格でした。
その知らせを、家のベッドで聞いて、大きな声で、万歳、万歳と二度叫び、その後、安らかに息を引き取ったそうです。
母親の子の将来を心配し、思う、気持ちが、病に打ち勝ち、生きながらえたのです。
家族愛が、医学の常識を、乗り越えた例だと学びました。

 

2026年07月05日

医学の常識を覆す症例

2024年11月に三井住友VISA太平洋マスターズが開催されて、石川遼選手が優勝されました。
その試合を観ていて、ふと思い出したのが、私が1993年、長野県岡谷市の岡谷塩嶺病院(現、岡谷市民病院)に出張に行っていた頃の話です。
諏〇〇C.Cの所属プロのF氏のお父様がクモ膜下出血で入院されました。自発呼吸はなく、瞳孔は8mm以上に大きく散大し、対光反射は消失しており、4日以上が経過していました。脳波の検査はできませんので、おそらく脳死だと判断しておりました。
看病していた息子さんの奥様にいつ、息子さんが帰られるかを尋ねたところ、「関東オープンゴルフ選手権に出場しているので、負けたら帰って来ます。」とのことでした。「いつも早く負けて帰って来ますから」とおっしゃっていたのですが、その日は、決勝まで残っていました。昇圧剤を使用していても、患者さんの血圧が徐々に低下して、徐脈になってきたため、そろそろ看取らなければと思った矢先に、
「今、諏訪インターチェンジに着いたと、連絡がありました。夫に、父の死に目に、あわせてあげてください。」と頼まれました。延命処置を行いました。Fプロが病室に飛び込んできて、患者さんに抱きついて、「おやじ、優勝したで、ついに優勝したで」と叫びました。
すると、患者さんの心拍数が、みるみる速くなり、血圧は上昇し、瞳孔は収縮し、眼から涙が流れました。私は、驚きました。
明らかに患者さんには、息子さんの声が聴こえて、理解できたのです.
「脳死ではなかったのか」と考えさせられました。大学病院では、その当時、瞳孔が散大し、対光反射がなく、自発呼吸がなければ 脳死状態であるといわれていました。家族の愛は、常識を超えたのです。
私には、忘れえぬ経験となりました。
人の生命に対して、安易に医師が判断できるものではないということを、肝に銘じる経験となりました。


2025年02月02日

ブログ始めました

平成12年3月より、父の後、秋元医院を開設して、今年(令和6年)で、25年になります。父は昭和50年7月より開業いたしておりましたので、49年の間、山梨市で開業させていただいております。いままで、支えていただいた、患者さん、看護師さん、事務員さん、他、職員の皆様方、業者の皆様、多くの方々に感謝致します。
祖父は、戦前より東京の中央区入船町で開業しておりました。
今でも、寒い、風の強い日でも、マントを羽織り、自転車に乗って、往診に向かう姿を思い出します。
私も、皆様に少しでも恩返しできるよう、初心に帰り、一人一人の患者さんを大切に、診察させて頂きたいと思います。

発熱外来を行っていますと、新型コロナウイルス感染症の患者さんが、7月頃より、非常に増えてきています。

かつての流行期に比べますと、5類になったこともあり、症状は軽くなっておりますが、人によっては、感染後に正常であった、インスリン分泌能が、突然、全く機能しなくなり、インスリン治療を行っている患者さん。
感染後に脳梗塞を発生し、お亡くなりになった患者さん。半年たっても、様々な後遺症に悩まれている方々が、いらっしゃいます。新型コロナウイルス感染症には、まだまだ、不明なことがたくさんあります。油断せずに、感染対策をお続け頂きたいと思います。
2024年09月18日