コスメ・トゥーラの絵画に見られる病的表現
小川リヱ
(画家)
Study of Bizarre Expression in Cosmè Tura’s Works
RIE Ogawa
Artist
Abstract
Cosmè Tura(1430-95) is a pioneer in the classic Ferrara scholars. He has the skill to be able to express deep feelings with anatomical elements.
Although his works give mysterious and bizarre impressions, they are not recognized as art.
However, such eccentric impression of individual and spiritual insight influenced Mannerism in the 16th century and modern expression in the 20th century.
This study analyzes and evaluates his works as artistic anatomical method.
コスメ・トゥーラの絵画作品には解剖学的でもあるデッサンの様式があり、初期ルネサンス、古典フェラーラ派の中では先駆的役割を示している。
また、病的表現にまで忠実に描いたため「美」の範疇から逸脱し、「奇怪」かつ「偏(ピザー)奇(ル)」で、エキセントリックな印象となっている。
そのイメージが古典美術の美学的、芸術的理想に受け入れられにくくなっているが、感情表現の深さは解剖的視点を細部にまでとらえたため、精神的にも内面心理が表現され個性的リアリズムが存在している。描かれた身体はグロテスクという領域には分類されず克明な生体観察がなされ、解剖的視点による誇張によって正中線のズレなども多く描かれている。つまり画面の思考は、誇張の中の創造力として個性の萌芽が見いだせる。
このようなコスメ・トゥーラの解剖学的解釈の作品には、16世紀に流行した第2の呼称「画家たちの夢想(ソーニ・ディ・ピットーリ)」といった新しい美的範疇を形成できる予見が包含され、それが20世紀の表現主義へも影響を与えたといえる。本論ではコスメ・トゥーラの作品を美術解剖学的に分析し、リアリティを追求した画家の視点を考える。
キーワード:コスメ・トゥーラ、フエラーラ派、ルネサンス、情念定型
1、はじめに
コスメ・トゥーラ(1430年頃~95)は初期ルネサンス、フェラーラを中心に活躍した画家である。コスメ・トゥーラの描く身体及び顔貌表現には解剖学に基づいた観察が顕著であり、とくに「嘆き」の感情表現では、表情筋の丹念な描写によって一種独特な顔貌となっている。その要因として当時の北イタリア地方ではボローニヤ大学を中心に医学教育が敷衍し、絵画のリアリティ追求に影響を与えたとも考えられる。
エミリア地方の主要都市ボローニヤでは1316年にモンディーノ・デ・ルッツィ(1275~1326)が『解剖学』を著し、1405年にはボローニヤ大学の医学教育に解剖が公式化されるといった社会的背景がある。中世末期から解剖学の発展が促され、絵画の人体構造の追究を助長するとともに、初期ルネサンスの人文主義と東方の異文化、およびギリシャの人間復古が唱えられ、ゴシック様式から人間探究へと関心が深まる経緯が加わっている。
またエステ家が統治したフェラーラは、地形を利用した自然の要塞として富裕な貴族階級があつまり最初の都市計画もなされている。そのような安定した地盤に建築ラッシュがおこるのも当然で壁画装飾のためピエロ・デッラ・フランチェスカやマンテーニャの招聘、さらには油彩技法の先駆的画家ネーデルラントのロヒール・ファン・デル・ウェイデンの技法を習得させるため地元の画家を多数派遣している。このような背景を踏まえコスメ・トゥーラは宮廷画家としてエステ2代にわたり仕えた。宮廷ではフェラーラ大学の教授が自ら壁画指導の監督を行うなど、学問としての解剖学を習得する機会があったと容易に推察できる。学者による異文化の導入は、キリスト教支配が絶対的とは言えない初期ルネサンスにおいて、奇怪な人物が登場することを肯定し、結果、トゥーラ作品の特徴である人体表現に誇張を加えた不自然な人体が画面上に登場し支配階層の支持を得ている。

(Fig.1) (Fig.2) (Fig.3)
2、作風の観察と検証―フェラーラ派の確立―
ベルフィオーレ(エステ家が建てたフェラーラ近郊の別荘)では寓意的人物画をアンジェロ・マノガニーノの工房とコラボレーションし9人のミューズたちを描いている。
「春の寓意」(Fig.1)では、中世の典型的な美女の条件をみたしており、10代で金髪、肌は百合のように白く、眉は褐色で細く弓形に曲がり、生え際を脱毛した額も「窓のように」広くつややか、顎も丸いくぼみのあるように表している。
中心の「ケレス」(Fig.2)は、ミケーレ・パンノエーノによるもので、初期フェラーラ派の典型的な優美な様式がみてとれる。右の合作「テレプシコーレ」(Fig.3)では、トゥーラの描いた幼児の描写がすでに異常な体躯を示しており下腹部の膨らみに絵画上の誇張がなされている。中心の幼児の下肢は筋肉質で16世紀のミケランジェロのイニューディを予感させ、頭部でも耳介が大きすぎ左の子供の相貌ともども加齢気味である。

(Fig.4) (Fig.5) ( Fig.6)
主なる「聖母子像」について、ベルガモの聖母子(Fig.4)の幼児キリストは祝福のポーズをとっているが下肢の親指は上がっておりバビンスキー徴候が観察されている。マリアは上眼瞼が下がり鎖骨部分が少し腫れ気味である。1470年頃に制作されたベネツィアの聖母子(Fig.5)でも幼児の爪先にバビンスキー徴候が描かれているが、この幼児キリストのポーズはロンドンナショナルギャラリーにあるロベッラの祭壇画でマリアに抱かれる姿(Fig.6)と類似している。1475年の聖母子の顔(Fig.7)では、ベルガモ同様、加齢気味でマリアの視点も瞳孔の黒い部分の位置がずれ画面下のキリストを見つめる焦点が合っていないように描かれている。

( Fig.7)
現在、ロベッラの祭壇画(1474年)はそれぞれが分割し世界各国の美術館に所蔵されているがロンドンナショナルギャラリーの「玉座の聖母子と天使たち」の子供(Fig.8)については、右側で奏楽し、こちらを見ている人物のオトガイ部の描写にオトガイ縦溝が加筆され子供にしては誇張されすぎている。また上を見つめる子供は下唇下制筋が広頸筋の連動によって口が自然に開く様子が描かれ卓越した技術が発見できるが、左の上眼瞼の上に異常な腫れと下口唇裂と見受けられる作風もある
(Fig. 8) (Fig.9) (Fig.10)
またウィーン美術史美術館のピエタの右側の子供(Fig.9)にみられる特徴では、まずキリストを支える手に着目すると母指の描き方が不自然で、側頸部は少し腫れている。
子供の表情は明らかに初期のマンテーニャ作品の影響を受けており、マンテーニャが皺眉筋の観察にとどまったのに対し、トゥーラは前頭筋の働きが額の横文にまで及んでいる。さらにトゥーラのスタイルは後のデュラーをはじめ、アルプス以北にも影響を与えたとされ、デュラーの「泣く子供」(Fig.10)の素描にもみられるように鼻唇溝を省略することなく笑筋についても描写力が追及されている。深い嘆き、慟哭を表現するために細部まで描写するため歪曲された印象を受ける作品もある。しかし、このような解剖学視点が、より現実的であるためエキセントリックな作風、類まれな最も個性的な画風へと進展していると理解できる。
このような「表現の劇的重み」をドイツのアビ・ヴァ―ルブルクはその著作『異教的ルネサンス』のなかで「情念定型(パトス・フォルメン)」と言及し、人間的形象の表現における様式上の変化についてコスメ・トゥーラの絵画に先駆的な資質もしくは要素があったと言及している。

(Fig.11) (Fig.11部分) (Fig.12)
ロベッラの祭壇画の上部(現在パリのルーブル美術館にある)ルネッタ部分のピエタ(Fig.11)について、アビ・ヴァ―ルブルクは「抑制され昇華された哀悼の表情」と指摘している。ここで著者は哀しみの表情の類例として報道写真にみられる半狂乱の泣く男(Fig.12)の慟哭する顔面と比較してみると泣く表情は眼辺と口辺に表れるが、口の開け方の大小で「泣きの質」も異なる。写真では号泣することで眼窩部も強く閉じられすべての筋が収縮して緊張している。だがトゥーラは、すすり泣くような深い悲しみを皺眉筋に伴う眼瞼部などを観察し時間的経過まで描きこんでいる。初期ルネサンスにおいてトゥーラは「言葉にならないものを表現してくれる形態を求める激しい悲しみの感情」を、感性に相応(ふさわ)しい運動性の表現として解剖的誇張を用いた。
その表現に達するまでに当時エミリア地方で盛んに作られたテラコッタによる「悲嘆者像」(Fig.13)も多大な影響をコスメ・トゥーラに賦与している。このルネッタに登場する人物の外表には、涙の表現のほか、顔に小さな斑点が随所に見られ、社会的背景にあるペストの流行(猛威 を振るったのは1347年から51年頃とされる)も関与すると同時に流行病、おそらく天然痘を患った形跡をも認めることができる。
(Fig.13) (Fig.14) (Fig.15)
一番右側の男性の顔(Fig.14)の「悲しさ」の表情は引きつって口角 が上がっている。トゥーラは、皺眉筋や口角下制筋による「嘆き表現」の他に、
眼輪筋や大頬骨筋の動きについても観察を加えており、また微かに口角を上げる表現によって、さらなる深い感情を具現している。

(Fig.16)
この「嘆き」の表現については、多弁な身振りや感情表出の入念な組み合わせと、そういった感情が顔面や手足にもたらす効果などで知られるボローニヤのサンタ・マリア・デッラ・ヴィータ聖堂にあるニコロ・デル・アルカのテラコッタによるピエタ像(Fig.15)にも影響を与えており、16世紀マニエリスムのコレッジオの絵画「ピエタ」(Fig.16)にまで波及している。つまりトゥーラの感情表現は16世紀半ば迄影響を与えたとも考えられる。
次にフェラーラ大聖堂付属美術館に所蔵されている扉絵の人物について、この扉絵は古いオルガン飾りで1469年頃制作されている。両面、裏と表、それぞれにフェラーラの守護聖人「聖ゲオルギウス」(Fig.17)と「受胎告知」(Fig.18)が描かれている。
聖ゲオルギウスの顔貌にも病的な特質があり、オトガイ部の発達が強く戦っているせいか興奮している様子を際立たせるためかウマの鼻孔を大げさに表現している。

(Fig.17) (Fig.18) (Fig.19) (Fig.20)
「受胎告知」のマリアの表情は上瞼部が下がっているため、むしろ眠っているような印象を与えるが、15歳を設定した処女マリアに鼻唇溝も加筆し加齢気味の女性として捉え、黒髪にし、オトガイ部も女性としては発達した描き方としている。当時の理想的女性とはいえないトゥーラ独自の解釈が存在する。
聖母マリアの表現を年代順に呈示すると、ロベッラの祭壇画にあるマリア(Fig.19)は下口唇裂のような描写と見受けられ、口角を少し上げて微笑も意識している。
この地域的・時代的背景の特質では、学問的すなわち解剖的に解釈することが先行し省略しない克明な描写が重視されたといえる。ロンドンナショナルギャラリーにある受胎告知のマリアの顔(Fig.20)では口唇部において鼻と人中とのバランスが取れておらず正中がずれている。
男性像の聖クリストフォロス(Fig.21)と聖セバスティアヌス(Fig.22)の容貌では、クリストフォロスが幼子イエスを肩車して川を渡る場面でイエスの重量は想像を絶するとされるため、その重さは苦痛となって表情をゆがませる表現もある。この作品では重さを意識したのか

(Fig.21) (Fig.22)
頸部を異常に太く描き、ここでも正中部のズレが見られる。聖セバスティアヌスは全身を無数の矢で射られたにもかかわらず奇跡的に生還するという主題で有名だが、相当な苦痛をどのように表現するか画家の技量と考え方が顕著にみられる題材である。トゥーラは激痛を口もとに特色づけ痛みのあまり引 きつって微かに笑っているように描いている。
パトロンであるエステ家が君臨する当時の社会では、画家も実際の刑罰を見る機会があったと推察でき、トゥーラの観察は微笑、嘆き以外の痛覚の現実に至るまで口角表現のリアリティを追及したのではないかと考えられる。激痛がもたらす口角のゆがむ表情の事例としてジョルジュ・バタイユの『エロスの涙』に掲載されている写真(Fig.23)ジョルジュ・デュマの1923年に著した『心理学概説』の満州王朝の処刑者の表情を見ても(処刑者は直ちに死なぬように麻薬を用い毛髪も逆立っている)瞳孔が開きかけた眼は周辺の前頭筋が収縮し、大頬骨筋や口角挙筋などの表情筋なども緊張し口角が上がっている。

(Fig.23)
他に「聖ジロラモの懺悔」(Fig.24)では髭の描写はグラッフィック的で不自然であり耳輪結節に獣性賦与が見受けられ、下唇部にも下口唇裂の傾向を示す。
聖ドミニコ(Fig.25)はスペインの貴族出身、1215年ドミニコ修道会を創設した実在の人物で、白衣は清浄を、黒のマントは苦行の象徴とされる。この作品でも人中がズレ、オトガイ部が異常に発達し、乳様突起のあたりが膨らみすぎて胸鎖乳突筋の位置も右にずれ、異常である、現実ではこのような形態はありえない。
聖アントニウスの顔(Fig.26)は非常に印象的で顎下腺部の肥大、および甲状腺肥大が認められ病気の顔色に表現している。この人物は上エジプト出身であり、砂漠で隠者のくらしを続け、禁欲的な生活を続けている最中、いわゆる「聖アントニウスの誘惑」といったモチーフで多くの画家が誘惑の幻覚のシーンを描いているが、トゥーラはここでは疲弊しきった表情を意識し類まれな異質な顔貌表現としてあらわしている。
聖ニコラ(Fig.27)に関しても、頚部も異常に太く描写した作品が多く、甲状腺肥大の症候が認められるように誇張されている。
(Fig.24) (Fig.25) (Fig.26) (Fig.27)
3、学問の浸透と絵画表現

(Fig.28) (Fig.29) (Fig.30)
初期ルネサンス絵画に学者が指示した類例として、個性的表現の促進を深めた作品にスキファノイア宮殿の「暦月の間」(Fig.28)のフレスコ壁画がある。トゥーラは1452年ボルソ・デステによって正式に採用されて以来62年に宮廷首席画家に上りつめ、次のエルコレ・デステ2代にわたり務めたが1471年ボルソの死去に伴いスキファノイア宮殿に生前のボルソの生活を描く事業に、フランチェスコ・デル・コッサとともに制作にあたる。上中下3部に画面を分け、上と中の部分には当時バビロニアに起源を持つ古代ギリシャの占星術をもとにした学問的プログラムに着手する。
フェラーラ大学の天文教授ペッレグリーノ・プルシャーニが芸術監督でエステ家宮廷修史官でもあったため、インドや古代ギリシャの異教的モチーフの図像を細部まで画家たちに指示を与えトゥーラにとっても表現の多様性を拡大したと考えられる。
このような学問からの裏付けによる表現の多様性の正当性は、当時のパトロンである貴族の注文の制約から逸脱した自由な描写を可能にしている。
また画家の技量としても当時の肖像画(Fig.29)を検証する限り(横が主流で正面のものは僅かであった)細部にわたる観察、皮膚の質感や正確な解剖的視点の加齢描写においてトゥーラが傑出した画家であったことが明確である。とくにフェラーラの国立絵画館所蔵のDeposizione di cristo della croce 1475~80(十字架降下) Leonelli Antonio Detta(Fig.30)と比較しても、同時代の画家の感情移入表現が単一であり、トゥーラ作品よりはるかに稚拙であることが認められる。
コスメ・トゥーラの確立したフェラーラ派の画家の多くはトゥーラの技法 を習得した後、近郊の都市ボローニヤ、マントヴァなどに移り生活の場を拡大する。
その一人ロレンツァ・コスタの聖セバスティアヌスの顔(Fig.31)にも影響がみられ下唇が2つに分かれている。
しかし、右のポプラ材に描かれたエスキース(Fig.32)と思われるトゥーラ作品と比較すると、下眼瞼の下縁や胸鎖乳突筋などの観察描写が、一定の形式にとどまり解剖的な探究よりも生気あふれる若さの理想美へと向かいつつある。

(Fig.31) (Fig.32)
スキファノイア宮で合作したエルコレ・ロベルティはトゥーラの跡をついで宮廷首席画家に任名され、身体表現にも解剖的視点を強調した金属的な精巧さがあった。しかしながら両画家の影響を受けた次世代のコスタには盛期ルネサンスの特色である優雅さへと移行する作風を示しており、各都市の宮廷の趣向及び芸術的手段の消費に伴う拘束的規範の変化に解剖学的視点も形式化及び様式化されていく過程が推察できる。
3、結果と考察
コスメ・トゥーラの絵画には解剖学的でもあるデッサンの様式がある。
その個性的表現はイタリア初期ルネサンス、フェラーラにおいて形成された。つまり国際的な図像大移動の時代であり東方の文化の流入をペッレグリーノ・プルシャ-ニのような天文学者が宮廷修史官を兼ねることによって学問的プログラムとして画家に細かい指示を与えた結果でもある。肉体や衣装の激しい動きによって人間を様式的に表現することが強要されたため奇怪な身体像を描く契機となり、加えて解剖学という学問を礎にした観察視点も、それを応用する自由な表現が可能になったともいえる。以上のように解剖学的であるデッサンの様式は、ときに過剰に誇張され綿密な観察態度から実験的精神が育まれたとも考えられ、この個性的リアリズムはトゥーラ以降アルプス以北のドイツにおいてデューラーの確実な感覚の感性とも類似しアルデ・グレーファがトゥーラスタイルを模倣しマニエリスムの先駆的役割を担っていることもわかる。
初期ルネサンス、古典フェラーラ派のトゥーラの表現は16世紀マニエリスムのディゼーニョ(素描の中に構想が入る)に解剖観察視点の必要性を導入させ先駆的役割を示した。
謝辞
本研究にあたり,ご指導と資料提供を賜りました国立歴史民俗博物館・お茶の水女子大学名誉教授の坂本満先生、
並びに解剖学的視点のご助言を賜りました鹿児島大学大学院 医歯総合研究所神経病学講座 人体解剖学分野の島田和幸先生に深謝申し上げます。
参考文献
1)アビ・ヴァールブルク 進藤英樹(訳)(2004)『異教的ルネサンス』ちくま学芸文庫
2)ブルクハルト 柴田治三(訳)(1974)『イタリア・ルネサンスの文化』中公文庫
中央公論社
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5)Eugenio Ricocmini(2005)〝 Cosmè Tura〞 classici Dell’arte Corriere della Sera 60; Milano
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7)ジョルジョ・バタイユ 樋口雄一(訳)(1995)『エロスの涙』185頁 リブロポート
8)クルト・グリュツマイヤー(1995)G・R・ホッケ『迷宮としての世界』あとがき
『特集マニエリスムの現在』ユリイカ第27巻第2号 90頁 青土社
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10)中尾喜保(1956)『生体の観察』 メヂカルフレンド社
11) 中尾喜保・宮永美知代(1986)『美術解剖学アトラス』南山堂
11)パノフスキー 中森義宗、清水忠(訳)(1973)『ルネサンスの春』 思索社
12) ピーター&リンダ・マーリ著(1968)『西洋美術事典』(普及版)美術出版社
13) ポール・デューロ、マイケル・グリーンハルシュ著 中森義宗、清水忠(訳)(1998) 『美術史の辞典』東信堂
14) ルチア・フォルナーリ・スキアンキ 森田義之(訳)(1995)『コレジオ』
イタリアルネサンスの巨匠たち28 東京書籍
15) 坂本満(1976)『科学と美術との交錯 アンドレアス・ヴェザリウス人体構造論』 講談社
16) 高橋彬(1997)『入門美術解剖学』医歯薬出版株式会社
17) 竹内敏雄 編集(1961)『美学事典』 弘文堂
18)Vavala Sandberg 〝Cosmè Tura 〞 PHAIDON; London(1958)
19)ヴォルフガング・カイザー 竹内豊(訳)(1963)『グロテスクなもの』法政大学出版
美術解剖学学会論文