平成10年度「大木記念美術作家助成基金」海外研修助成報告書
小川リエ
研修目的:盛期ルネッサンスおよびマニエリスムの人体表現
研修場所:イタリア (フィレンツェ・ローマ・ヴェネツィア)
期間:1998年12月20日〜28日


ラファエロ<ボルゴの火災>
研修地域
ローマ
ROMA
1、バチカン・システィーナ礼拝堂 Monumenti, Musei e Gallerie Pontificie
2、ドリア・パムフィー宮殿
Doria Pamphilj
3、バルベリーニ宮殿
Galleria Nazionale dArte Antica(Palazzo Barberini)
4、サンタ・マリア・ミネルヴァ教会 S,Maria Sopra Minerva
5、コンセルヴァトゥーリ美術博物館 Musei E Monumenti Comunali
フィレンツェ
FIRENZE
6、サンタ・フェリチタ教会
S,Felicita
7、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 S,Maria Novella
8、パラツォ・ヴェキオ
Palazzo Vecchio
9、オニサンティ教会
Basilica di Ognissanti
10、ピッティ宮殿
Palazzo Pitti
11、サン・ロレンツォ教会
S,Lorenzo
12、リカルド・メディチ
Pal,Medici Riccardi
13、サン・マルコ教会
San Marco
14、アカデミア美術館
Galleria Dell Accademia
15、ウフィツィ美術館
Uffizi Gallery
ヴェネツィア
VENEZIA
16、アカデミア美術館
Accademia Dorsoduro
17、フェラーラ教会
S,Maria Gloriosa dei Frari
18、サン・ロッコ信徒会館
Scuola Grande si San Rocco
・添付した写真は、研修者によるものである
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Roma
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![]() ラファエロ <ボルゴの火災> |
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システィーナ礼拝堂へは、上図に示した黄金の廊下を経て、ラファエロの<署名の間>を通過する。隙間なく装飾されたこの宮殿は、豪華絢爛そのものであり、それぞれの部分をラファエロの助手たちの工房が担当し、左上に見られるように随所に細かく描かれている。

それぞれの壁面の下部には、凸凹のあるような画面を想起させるようにグリザイユの手法を用いている。壁面の一部は全くの平ではなく、波打っている箇所もあり、一日の行程を示す手順と計画を示している。
ラファエロとその弟子たちは、同時期、システィーナ礼拝堂天井画制作中のミケランジェロの影響を強く受けており、<ボルゴの火災>(表紙参照)の人体表現において過剰な筋肉描写が加筆され、この傾向をみることができる。この手法は、ラファエロの死後、弟子たちがイタリア各地域の諸侯に召喚されたことと、マルカントニオ・ライモンディによって銅版画に模刻されたことによって、広く伝播、普及した。
マニエリスムの人体表現の特色である筋肉描写は、解剖学的知識が付与されたアントニオ・ポライウォーロとシニョレッリからはじまり、ミケランジェロが、塑像的量感と運動性の誇示を強調したに展開している。このような人体曲線がおりなす存在感は、螺旋上の動勢となって、画面構図を大幅に左右し、その結果、ルネッサンスで形成された遠近法が著しく軽視されてしまう。この点から、マニエリスムが、観る側に「不安」と「錯綜」を印象づけることを助長する。
盛期ルネッサンスの両巨匠によるバチカン壁画は、これ以降、同時代を含めた多くの画家の模範となっており、マニエリスト達はその模写をかさねることによって、記憶に依存した同型反復に陥りやすい風潮と、少数ながら自己解釈を加えた独創的作風との両者に分かれていると考えられる。しかし、今回の修復によって再現されたミケランジェロの<最後の審判>を実際の眼で認知することで、当時のマニエリストの受けるイメージをさらに具体化させることができた。
・ミケランジェロの<最後の審判>は、まず壁の白さが目に付き、この作品が壁に描かれていることを認識した。更に、画集で想像していたよりも人物それぞれの大きさが、天井画のアトラス的柱装飾のよりも、はるかに小さいことであった。全体的に非常に明るく、青が象徴的に「生」の悦びを歌い上げているかのようであり、審判という主題のもつ恐ろしさより、大画面の迫力と素描力の完璧さが機械的に表現されている。また、両側画面下にもカーテンが描き込まれており、壁の素材を、いかに手のなしうる技で装飾するか、その集大成を把握した。
・DORIA PAMPHILJ
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左:パルミジアニーノ<キリストの逃避> 右:コレジオ<美の寓意> (図版は、絵葉書を使用)
バロック様式の建造物に所蔵された作品群。この宮殿に限らず、照明が日本のように各作品に当てられることはなく、高所に展示されている場合には、非常に見にくい。しかも大部分の作品には題名を記したプレートが掲示されていない。右側のコレジオの作品は未完成の小品である。地塗りはアーバン系の茶色で肌に部分にはシルバーホワイトを塗布している。どのような行程を経て、制作されたのか、貴重な1点である。この美術館にはマニエリスムの作例としてジョルジョ・ヴァザーリの<キリスト降下>もある。この美術館を代表する作品は、ベラスケスの<イノケント法皇>とティツィアーノの<サロメ>、カラヴァッジオの<エジプトへの逃避>と<マグダラのマリア>があげられる。
1623年枢機卿フランチェスコ・バルベリーニによって購入され、設計はカルロ・マデルノとG,L、ベルニーニによって担当された宮殿。コルトーナが着手したバロックの天井画は有名である。
レオナルドの後継者やカラヴッジオの<ユーディット>と<ナルシス>を所蔵し、バロック作品が中心に収集されている。マニエリスムの作家はジャコポ・ズッキ<バテシバの水浴>(図1)、ベッカフーミ<聖母子>(図2)、ブロンズィーノ<ステファノ・コロンナの肖像>(図3)、ティントレット<キリストの奇跡>(図4)などがある。(いずれもカタログ参照)
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| <図1> | <図2> | <図3> |

<図4>
・SANTA MARIA SOPRA MINERVA
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ミケランジェロの彫刻<キリスト>とフィリッポ・リッピ<トマス・アクイナス>などを所蔵したバロック形式の教会。後期マニエリスムのフェデリコ・バロッチ<キリストの奇跡>(下:カタログより)がある。ラファエロ作品<アテネの学童>のポーズを取りいれている。
・MUSEI CAPITOLINI
古代彫刻を中心とした美術館。1471年に教皇シクストゥス4世が収集した古代彫刻をローマ市民に寄贈し、公共の美術館としては世界最古になる。絵画館は1471年教皇ベネディクトゥス14世によって16世紀〜18世紀の絵画作品のコレクションを所蔵した。
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目の前の広場はミケランジェロのデザインによる。右に示したティントレットの初期作品<マグダラのマリア>(絵葉書参照)は、画家特有のは表出せず、丁寧な仕上げとなっている。
・ローマは広く、クリスマスシーズンであったため、バスなどの交通手段が間引きされ、閉鎖されている美術館も目立ち、思うようには回れなかった。言葉も不慣れなため道に迷ったり、あるいは、ボルゲーゼ美術館のように事前予約を必要とするところもあった。(ヴェネツィアも同様であった。)
Firenze
SANTA FELICITA
入り口右手に、ポントルモの<キリスト降下>と<受胎告知>天井には諸聖人の肖像が描かれている。ブルネレスキの建築によるこの教会は、右手奥にも中世の作品を所蔵している。
ポントルモの作品は、小さい鉄製の門に隔てられ、教会特有の薄暗い光のためはっきり見ることができなかった。空間の壁の白さが印象に残っている。
私たちが普段、目にしている凸凹ある油彩特有のマチエールとは対照的に、フレスコは壁が生乾きのうちに制作しなくてはならない。この手法は、かなりの速筆を要求されると同時に、壁に密着した堅牢な画面を形成するため、明確な計画性にもとづいたを用意して、構図と素描力で自己表現と斬新な新鮮味を出していく。
日本人特有の画面地肌を大切にする風潮は、明治以来の折衷的要素が強調されたためであり、元来の油彩は、このフレスコに起因していると考えられる。したがって、素描力と計画性、またはそれを支持するパトロンの趣向といった社会的背景を踏まえて輸入すべきであり、琳派にみられる日本人の装飾意匠と併用させることが可能ならば、文化的風土性とともに異質な発展を見せたであろうと考察する。
SANTA MARIA NOVELLA
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駅近郊に位置する教会。フィリッポ・リッピやギルランダイオの壁画、マサッチオの遠近法を駆使したキリストの磔刑図(図1)が有名である。
図1
図2 図3
マニエリスム絵画は盛期マニエリスムに属するヴァザーリ<ロザリオの聖母>1570年(図2)とジォヴァンニ・バッティスタ・ナルデーニ<聖母子>(図3)がみられる。(絵葉書参照)
PALAZZO VECCHIO
1298年起工され、メディチ家出身、トスカーナ大公コジモによって再建された宮殿。500人広場を持つ建造物には、かつてミケランジェロやレオナルドの競作した壁面があり、現在ではヴァザーリとその一派、サルビアーティなどによって制作された画面に代わられている。
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2階はエレオノーラ(コジモの妻)の礼拝堂が在り、狭い室内空間ながら天井と正面、両サイド、入り口の壁面すべてに、盛期マニエリスム特有を代表するブロンヅィーノによって人体の捩じれが描かれている。しかも、部分的に未完成な箇所が残存し、その行程を知ることができる。
下図に従って制作された画面は、輪郭線がへこんでおり、尖ったものでかなり強く押し当てて制作され、色彩は肌色の中間色でぬりこんでから、光部分を淡い色彩で素描に従って塗布されている。この画家の特徴は、ミケランジェロに学んだ明確な素描力に裏付けられ、比較的狂いは少ないが、硬い表情や子供の捉えかたには彫刻を使用しているため、不自然な箇所も見受けられる。
パラツォ・ヴェッキオは、公務をつかさどる事務所として使用されていたが、やがて手狭になったため、その用途はウフィツィ宮殿にうつされた。
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建造物の眼前には、アカデミア美術館がある。フィレンツェ市内はコンパクトな街で、ドウモを目印に東西の区別が可能で、迷うことなく散策できる。
今回の研修の目的は、書物や画集からの疑似体験からの感動の摂取ではなく、その要素を自らの眼を通して、なぜ、「絵画が生まれたのか」あるいは「この様式が生まれたのか」を体感することにあった。
ここでの考察の一つに、宮殿の壁は完成当時、白いままであり、この白さをうめる役割を絵画が担っていた。彫刻のレリーフ等が用いられていても、主体は絵画である。完成までのスピードと彫刻に比べて安価であることも考えられる。
ルネッサンス壁画はバチカン宮殿にも代表されるように、隙間なく絵画で埋め尽くされている。
<空隙の恐怖>当時の西洋における空間意識では、ことに宮廷については壁の白さについてどのように解釈していたのであろうか、上右の写真で示したようにパラツォ・ベッキオの壁は壁紙の模様のごとくに装飾が施されている。
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16世紀マニエリスムでは、絵画が単なる装飾からそれを含めて幅広く自己主張できる独立を得た様式とも言える。具象的写実的表現手段の技を自由に操作したうえで、<空隙の恐怖>は室内空間を天井であろうと壁面であろうと、すべて制作可能な画面として自由にとらえる感覚が存在している。装飾技術と空間意識、時代背景と宗教性それぞれを考慮に入れても、芸術表現を完遂させたい意欲的感覚は現代美術にも、類似点を見出すことができる。一般的に、マニエリスムとバロックは同時に発生したとされている。しかしマニエリスムの空間把握の感覚的視点なくして、バロックも成立し得なかったであろう。
サルビアーティ制作壁面
それぞれのマニエリスムの画家は陳腐といわれながらも、その「型」の踏襲を自分なりの技法で翻訳し表現している。絵画によって、装飾的用途を兼ね備えながらも、壁が息づき、鼓動し、動く、
画家の個性表現は、かなり幅広く容認されていたことが推察できる。
「人体の筋肉を応用表現したマニエリスム絵画が、その時代性に肯定され随所に描かれている」
絵画制作の立場では、様式を考察する客観的姿勢は望めない。しかし、現代が世紀末特有の倒錯、錯綜といったキーワードを駆使して、マニエリスム的と解釈されることには短絡的であり、疑問を抱かずにはいられない。
SAN MARCO
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この様式と比較して、前時代に属するフラ・アンジェリコの代表作があるサン・マルコ寺院では白い画面の随所にキリスト像が描かれおり(下写真)、生活と密着した絵画の姿勢が見て取れる。宗教的静謐の醸し出す雰囲気は多くの日本人のファンが多いことでもしられている。現地では、Beato(聖なる)・アンジェリコと呼ばれ、画集の表紙に明示されている。
文化的風習にもとづき、画僧という立場で描く伝統的寺院では、この他、ラファエロに霊感を与えたとされるフラ・バルトロメオのカルトンもある。(下写真)
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このカルトンに描かれた作品は、完成作がピッテイ宮殿にある。
バルトロメオの作風は、同時代のアンドレア・デル・サルト等と比較すると、人体の表情は穏やかで、キアロスクーロを適応した陰影部分の影の色彩も淡く明るい。
大壁画左側には小品の人物像が並び、それぞれ淡い色彩で描かれている。
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上:バルトロメオ(スカラ・ベコッチ画集参照)
右:ラファエロ作品(ガレリア・パラティーナ)ピッティ宮殿(写真左)
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同様な構図を持ちながら、それぞれの絵画が展示されている場所や手法によっても、印象が異なることは言うまでもない。現地での視覚的体験では、画集や映像による既成のメディアを通す以上に、新たな発見を促進する。とくに、ピッティ宮殿の最後の部屋に展示してあるコレッジオ作品と信じていた<聖ヒエロニムスの聖母>がフェデリコ・バロッチと記されている。イタリアでは当然ながら、自国の研究がなされていて、時として、作品の制作者名すら入れ替わることも、しばしばなのである。また建造物に付随する天井画については、ピエトロ・ダ・コルトーナとその弟子によって制作されたバロック様式を確認する。
銀行家ルカ・ピッティによって15世紀半ばに建てられた宮殿は、当初、華麗さを競うためメディチ家に対抗する目的だったとされる。だが、失脚後の1550年には、コジモ1世が妻エレオノーラのために購入し、メディチ家の居城となっている。メディチ家の収集の他、アンナ・マリア・ルトヴィカ(ファルツ公爵婦人)のコレクションも加わり、1828年一般公開され、第1次対戦後、国立美術館となって運営されている。
SAN LORENZO
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フィレンツェでも、露天の屋台が並び最も賑わう場所に位置するこの教会には、ブロンヅィーノ<マルティリオの殉教>(写真左)や、ロッソ・フィオレンティーノの<聖母の結婚>(写真右)を所蔵している。左側、壁に描かれた作品は同型反復の陳腐さよりも、素材の硬質さが印象的である。
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教会内は薄暗く、クリスマスシーズンのため、手作りのキリスト降誕を表す人形が見られた。
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GALLERIA DELL ACCADEMIA
ミケランジェロの代表的彫刻<ダビデ>の他、マニエリスム絵画の作品も数多く所蔵している。
日本では、聞きなれないというより、初見の作家も見受けられたので、明記する。
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Carlo Portelli(1510 〜1574) Ii Poppi(1544 〜1597) Ignoto
Fiorentino Cecchino Salviati(1510 〜1563)
ポントルモ<ヴィーナストクピド>はミケランジェロの素描をもとに描きおこされた作品である。
キャンバスではなく、板に油彩が施されている。ブロンヅィーノの<愛の寓意>に見られるようにヴィーナスとクピドの接吻と仮面の光景は、極めて難解な寓意を示す。このようなネオプラトニズムの影響は、宮廷貴族の間では一種の教養として定着し、人文学者の指示があったとはいえども画家自身この意味を理解せずに制作することは不可能であった。
ルネッサンスとは、その時代に合うように古代ギリシャ・ローマの思想をキリスト教に融合させ、人間を神の下僕から解放する運動である。初期の人文学者たちは、古代の文献を求めて書物発見の旅を重ね、やがてラテン語の教養を武器に公式文書を扱う際の私的秘書となって、パトロンに帰属した生活を送るようになる。芸術面において、大きな存在のアルベルティは古代建築法を発見し、建築家にわかるように口語に翻訳、実践を試みている。
しかし、マニエリスム時代は、メディチ家のプラトン・アカデミーにおいてマルシリオ・フィッチーノが中心に体系化したネオプラトニズムを選択し、人文学者の意見が、直接政治に影響を与えない程度の衒学的・象徴的な存在に変貌させた。
先のルネサンスでは、美術家は職人の地位から向上を図るために、美術が学芸の一つであることを遠近法で使用する数学や、解剖学的知識をもって証明しようとたゆまぬ努力を続けている。
これに対して、マニエリスムでは、その努力を礎とし発展した。先人達の作品こそ自然から抽出された最も完璧な要素であると判断し、模倣し、反復練習する。先人の作品に含まれているため自然描写からの発見を重視せず、濫立する宮廷建築の必要性に応じて壁面装飾も速度を上げ、その余った時間で、宮廷貴族と交渉する方法である礼儀も身につけなくてはならなかった。
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ヴァザーリの『美術家列伝』では、カスティリオーネの著作『延臣論』から、「さりげなさ」を摘出し宮廷美術家の思想の基礎としている。

ジャン・ボローニアによるマニエリスム代表的彫刻作品も所蔵されている。
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ミケランジェロ作<ダビデ>は、共和国宣言の10日後、の保存・装飾の任にあたった毛織物職人の裕福な組合、アルテ・デッラ・ラーナによって制作依頼されたものである。
あらゆる視点から、この彫刻を写真で捉えてみた。筋肉の断片をズームアップして凝視すると人体は、不可思議な生き物に見える。マニエリスムの作家達が人体を題材におき、その現実的数理比例を軽視してまで表現したかった要素とは、解剖学的知識に裏付けられた素描力の誇示、加えて、人間を中世のように心あるものと扱わず、筋肉で構成された部品として画面に展開させていることである。世紀末に巻き起こる現象、新大陸発見、梅毒、ペストの蔓延、反宗教運動など新旧入り交じる知識によって判断不可能となってしまった支配者の不安が、注文の趣向となって、そのまま画家の技術を通じて投影されていると考えられる。
しかし、画家にとってはタブーとされる裸体表現を公開し、その技量を奔放に披露できる絶好の機会であった。・を好む時代背景を武器に、イタリアマニエリスムが北方に拡大を見せたときアンチンボルトのような様相に変化し、あるいは、ホルティウスに見られる筋肉の塊ともいえる異形も見受けられる。このような表現にいたっては、「美」という範疇の語彙では納まりきれず、風習の肯定化に基礎を置いた画家の自己表現の「楽しみ」さえ、窺い知れる。
結果的には、装飾から自立した絵画の姿がそこに存在するのである。
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UFFIZI GALLERY
40室にマニエリスムの集大成の「トリブーナ」と呼ばれる部屋がある。八角形で天井が高く、時代順に展示された美術品は、ここで終了する。ブォンタレンティによる室内装飾は四代元素を表し、風見が風、円蓋にはめられた真珠貝が水、壁は真紅で濃厚な空気を放つ雰囲気である、その壁は火を象徴し、床の緑の石による鋪床は土を示している。中心には彫刻が置かれ、やはり初見作品に出会う。主だったところではブロンジーノ<受胎告知>、ボルテッラ<嬰児虐殺>、ポントルモ<アダムとイヴ><レダ>等があげられる。また<Dama
col cestello di Husi>の肖像画はポントルモから変更されてサルト作品となっていた。
VENEZIA
ACCADEMIA DORSODURO
クリスマス前日のため、閉館時間が早められ見ることが叶わなかった美術館があった。しかしかろうじて、アカデミア美術館は平常どうり運営され、観光客にとっては得難い好機であった。
ティツィアーノ、ティントレット、ティエポロなどの大画面の油彩が並び、いずれも壮大で日本の画家の公募展的感覚からは図りし得ない、絵画の必要性を感じた。
念願のピアツェタの本物にも巡り合うことができ、実際の画面は修復のためニスが剥がされために表面の圧塗りされたマチエールを観察。ベネツィア派ベリー二作品の色彩の美しさが意外であったことなど様々な発見をする。
カルパッチオの連作、<聖ウルスラの殉教>も、えんえんと続く。工房で制作し、画家個人の力によって描かれたわけではないにせよ、西洋人の持久力と体力には感心する。
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SANTA MARIA GLORIOSA
DEI FRARI
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フラーリ教会はティツィアーノ作品の<聖母被昇天>が中央に置かれ、もっとも主要な絵画となっている。ここでも、クリスマスのために設置された幼児キリストの人形がある。3メートル程度の箱庭にロバや水車、馬小屋などが配置され、背景の風景にも明け方の光を変化させ、それぞれが電動で動く仕掛けで、人目をひき、その周辺では混雑していた。この教会に隣接するサン・ロッコ信徒会館は人もほとんど入っておらず、日光を遮るためのカーテンがしめられ、かなり薄暗い。にもかかわらず、ティントレット作品には、黒の配色を使用する際の濁りが伺えた。
この黒の濁りは、エル・グレコとはことなり、スペインのゴヤにも通ずる用いかたで、に付随する。彼らは黒の線に幅を与え、空間に占める色彩としての効果を考えて処理してはいない。
まとめ
現地に研修におもむき、限定された美術館の移動可能な作品の次元から離れて、触覚的体験が経験できたのは、非常に強い印象となった。今まで日本に運ばれて公開された作品はごくわずかであり、実際どれ一つを取り上げても、時代的背景に裏付けされた文化的遺産は驚異的であったというべきであろう。現時点でも専門的な研究は続けられ、作品と作者は時として塗りかえられている。もし、美術史を専攻する立場であるならば、常に現地を往復し発見事実を見出さねばならない。しかし、絵画を専門とする制作者である自らの立場では、この実体験を、いかに取り込み吸収し、自己の画風に変容させていくかが課題となった。いいかえれば、現代に生きる自分という小さい存在の画家が、時代的、様式的にどのような位置にいるかを認識する必要性をも感じた。
現代はコミュニケーションが重要であり、現代美術に関しても一般大衆との間に、その媒介がない限り理解不可能となっている。16世紀後半にカトリック宗教を拡大する目的のバロック芸術とも異質のマニエリスムは、貴族階級を対象として約1世紀にわたり繁栄を見た。ごく一部に限定され理解される資質は、現代美術もマニエリスムも類似している。しかしながら、時代的文化の必要性を考慮してはじめて、芸術も永続できると考察できた。