降り注ぐ星の
長い長い余韻が強く伸ばした爪先から抜けて、重力に逆らっていた身体が敷布の上に沈んだ。緊張に隠されていた汗の感触が、重なり合った部分から沁み込んでくる。彼女の体温も。その肌の湿度も。
同じように速度を上げていた呼吸が次第に分離し始め、同調していた鼓動がずれて、やがて彼女が気だるさに長い吐息を漏らす頃には、平静な顔に戻った彼が体を起こしている。
「大丈夫か?」
彼女の濡れたこめかみに触れながら、少しばかり本気で心配する口調で訊ねた。ラインを超えてしまうと彼女は泣く。くっきりと大きな瞳から溢れて止まらない涙はこめかみを伝い、髪を濡らし、シーツの色まで変えさせる。
泣き寝入りした子供のように、彼女は涙の跡を残して目を閉じている。
「……しんどかった?」
「だいじょ、ぶ、」
まだ、彼女の呼吸は荒い。無理矢理開いた猫のような目はとろりと潤んで、覗き込む彼の顔も映してはいなかった。
どこか遠い淵を覗き込むような、眼差し。
「星が、見え、たの」
「……ほし?」
「落ちて、くの、……真っ暗なとこ、ろ、」
ずっと、遠く、と呟くように言って、彼女はまた目を閉じた。甘い呼吸のリズムもどこか不安定で、時折不意に揺らぐ。やりすぎたかな、と独りごちて、彼は彼女の額に手を当てた。薄い汗の、湿った感触。手の中で静かに冷えていく。
「けっこー、疲れてんだろ?」
へいきよ、と呟いたようだったが、その発音の不明瞭さが、彼の問いかけを肯定した。
無理もない。明日から短い休暇だとは言え、昨日までハードスケジュールでの仕事をこなしていたのだから。その忙しい夜に突然「星を見に行くから」と呼び出されたのには、呆れるよりも驚いた。10年近い付き合いになるというのに、彼女に星を眺めるような趣味があるなんて知らなかったのだ。
ロマンティックすぎてらしくない、とからかうと、星と言えばロマンティックだなんて短絡的ね、と涼しい顔。それでも、透明な高原の空気の中で眺めるペルセウス座流星群は、現実主義者の彼らさえも少なからず感動させた。
時折、星の名前や流星の仕組みなどの講釈を垂れながら、冷えすぎる高原の夜に肩を震わせていた彼女。奇跡のような時間が過ぎ去ったのは深夜3時前だったから、その時点で既に彼女はだいぶ眠そうな顔をしていたはずなのだ。
「寝ちまえよ、このまま」
「……んん」
目は閉じたまま、ごく小さく彼女は頭を振った。だいぶ落ち着いてきた呼吸の、それでもまだ甘ったるい速度。気だるい重さ。その空気に取り込まれるように、彼もゆるゆると身体を重力に任せた。
冷えた彼女の肌に、重なる。湿った曲線に腕を回す。彼女の腕が重たげに持ち上がり、彼の背中に絡みついた。
水の中にいるような速度で、目が開く。互いの瞳を覗き込む。とろりと、空気が重くなる。
「……目ぇ」
「……なぁ、に?」
「見えてねーだろ。……大丈夫か?」
「みえてる、わ」
「うそつけ」
涙に覆われた真っ黒な瞳に、彼の姿はまだ映らない。
「見えてるわ……、星が、」
「だから、」
そんな受け答えだから心配なんだ、と彼が眉を顰めかけたとき、彼女の腕が不意に力を帯びて、彼の頭を引き寄せた。ついばむように、口付けられる。
「……いくとき、ね、」
そのまま、囁く。甘く掠れた、蕩けた声で。
「ぜんぶ、すうって離れていくの……からだが、身体だけになって、」
こだまのように遠く響く、吐息。
「落ちてくの、……真っ暗なところ……ずっと遠くの……星もない、ところ……」
「……怖いのか?」
いいえ、と彼女は首を振る。宇宙にいるような緩慢さで。
「だいじょうぶ……星が」
「ほし、が?」
「降ってくるから……何千も……何万も、何億でも……」
そして、夢見るように目を閉じる。
「……だからちゃんと、生まれ変わるわ」
「え?」
馬鹿みたいに呟いたその途端、彼の中でイメージが弾けた。
降り注ぐ幾億の星。彼女の中に降り積もる、何億もの光。熱と速度を帯びた、絶対零度の空虚と背中合わせの、そのためだけに生まれた星たち――
――彼女に次を、生ましめる星たち。
それは、つまり。
目を見張った彼を、彼女の腕が抱き締めた。いつの間にか目を開けている。潤んだ漆黒の瞳はまるで、星を隠した夜空のようで。
「……こどもが、いるの」
このからだのなかに。あなたの、こどもが。
その一言から放たれる無数の放射線に打ち抜かれて、彼は言葉を失くした。茫然自失が可笑しいのか、彼女の瞳が笑みを含んで歪む。
いいのよ。いいの。そんなこと。
だれのこかなんて、どうだっていいの。
でも、
「ね、すてきじゃない……?」
無数の星を抱えた彼女は、喉の奥で緩やかな声を立てる。
この奥に根付いた、たったひとつのその星は。
「何億の中の、いちばん……、だから……」
ペルセウス座アルファは、綺麗だったでしょう?
溜め息のように囁いて、彼を見つめて微笑んだ。漆黒の瞳の中に、やはり彼の姿はなく――代わりに目映く、青白い星が揺れていた。
[09年8月]