ニセモノだったって


 小さな違和感に、フィル・フリッツは瞬きをした。すっかり見慣れたリビングの、いつも通りの穏やかな光景。
 の、筈なのに、なんだろう……なんだか、普段と、違うような。
「あ、」
 気付いて小さく、声が出た。テレビモニタの脇、ダークブラウンの小さな棚の上に、いつの間にか花瓶がひとつ置かれているのだ。
 美しい気泡を含んだ、青みがかったガラスの花瓶。楚々とした姿の、水仙の花が活けてある。
 ――活けてある?
 頭の中で呟き直して、フィルは首を傾げた。薄青色のガラス。きらきらと繊細で、涼しげな。向こうの壁紙が透けて見える。ごく僅かの歪みも無しに。
「……水が」
 入っていない。空っぽの花瓶に、花だけが飾られているのだ。ということは、これは――
「造花なの」
 背後から響いた今日子の声が、答えだった。振り向いたら、ちょっと悪戯っぽい顔で笑っている。
「吃驚するでしょう? 紙で出来てるの。触ると判るんだけど、こうして見てるだけじゃ生花だと思うわよね」
「…すごいね」
 素直に感心した。造形には関心のあるフィルである。色合いといい、バランスといい、自然でしかも洗練されている。かなり趣味のいい品だ。
「友だちがね、あ、高校の同級生なんだけど、こういうの作るのが趣味なの。で、ご多分に漏れず、置き場所も考えずに作り過ぎるのよね」
「で、くれたの?」
「押し付けられたのよ」
 セリフと表情が裏腹だ。もともと花が好きな今日子だから、こういったものを飾れるのは嬉しいのだろう。
「こういうところだと、水を置いておくのは心配だから、造花で済むなら助かるわ」
「危なくなくていいんじゃない? これなら、うっかり怪我することもなさそうだし」
「それは厭味だと受け取った方がいいのかしら?」
 庭の手入れをしていて枝に引っ掛けたという、右手親指の絆創膏をちらりと見やった今日子が唇を尖らせる。
「ご自由に」
「もう、」
 わざとらしいふくれっつらをシャボン玉が弾けるみたいにして消えさせて、今日子は柔らかく微笑んだ。
 手を伸ばして、花びらに触れる。愛おしむような指先。
「造花だなんて味気ない、って言う人も、結構いるみたいなんだけどね。こんなに綺麗なんだから、生花だって造花だって別に、構わないのに」
「――うん」
「あ、いけない、お湯沸かしっぱなし!」
 はっと顔を上げた今日子が慌ててキッチンへと戻って行くのを聞きながら、フィルもそうっと触れてみた。軽い、優しい、乾いた感触。
「……うん。そうだね」
 造花だって別に、構わないんだ。こんなに綺麗なんだから。その美しさで見る人の心を癒してくれるのならば、生花だって造花だって、同じだけ価値あるものじゃないか。
 そう。ニセモノだったって、別に。――本当の愛じゃなくったって、別に。
 今日子が誰を想っていたって、誰かの代わりにされるだけだったって、傷付けることさえできなくったって、別に。
 別に、ちっとも、構わないのに。
 それでもまだ全てを晒してはくれない今日子の、頑なな態度を思い出す。
 はぐらかすように伏せられた瞳。別の誰かを思い出している気配。それでも優しい、今日子の体温。
 指先に少し、力を入れた。淡い黄色の花びらが撚れる。
 「……And then my heart with pleasure fills, And dances with the daffodils.」
 そう、哀しい花ではない筈だ。溢れる喜びと共に踊る、黄金色の水仙の花。
 ニセモノだったって、別に。別に、ちっとも、構わないのだ。
 互いに与え合う喜びの、気持ちだけは本物なのだから。
 ――優しい黄色に目を細め、フィル・フリッツは苦く笑った。

水仙の代表的な花言葉:「自惚れ」「自己愛」
黄色い水仙の花言葉:「私の愛に応えて」「もう一度愛してほしい」

[2013年3月]