美しいものを、どうか


 聴き慣れたクリスマスソングが耳を嬲る。他所の宗教からの借り物でよくこんなにも浮かれ騒げるものだと、毎年のことながら感心してしまう。ロスでは、もう少しばかり特別な、美しい夜であったように思うが――。
 ……そこまで考えて、厭になったのでそれ以上の思索は止めにした。どんな不満をぶつけたって、仕事がなくなる訳じゃない。
 無防備に浮かれ騒ぐ街での悲劇が一件でも少なくて済むように、さりげなく彼らは道々に足を運んでいるのだ。
 警視庁と呼ばれる、首都の警察も例外ではなく。勿論、捜査一課の警視である彼も、例外ではないのだった。

「…………?」
 浮き足立った街並みに、ふと馴染んだ気配を感じて脚を止める。きらびやかなイルミネーションの陰、大きなクリスマスツリーの下にぼんやりと突っ立っているのは、憎いような懐かしいような歳の離れた好敵手。こんな日にさえ無造作な、束ねた髪が冷たい風に煽られている。
「七瀬くんに振られて茫然自失ですか?」
「……ちげーよ」
 ぴょこ、と顔を上げた途端、これでもかというほど小憎らしい顔になる。全く、いちいち噛み付かずにはいられないらしい。そこがまた可愛い、と思われているなどとは、彼は夢にも思わないだろうが。
「人のこたーいーんだよ人のこた。あんたこそ何やってんの」
「働いているんですよ。君と違って、至極真面目にね」
「……へー。ご苦労さんなこって」
 警察とは深すぎるくらい深い付き合いのある彼だから、どんな意図で警視庁が動いているのかくらいは察したのだろう。まだ皮肉っぽい口調は保っているが、ちょっとした納得と労りのようなものは伝わってくる。
「今年一番の冷え込みだというのに、たいそうな人出ですね」
「ま、気温よりも日付の方が大事だって奴が多いんだろ」
「君はなんだってこんなところにいるんです? 女性でも絡んでなければ、面倒臭くてとても出て来られないでしょう」
「……あんたは、人をなんだと……」
 むくれては見せるが、恐らく事実だ。ミーハーな行動を見せることも時折あるが、基本的には怠惰で出不精、しかも自堕落。それくらいの性格は把握している。
「ったく、あんたといい美雪といい失礼きわまりないぜ。あいつめ、このツリー見に行きたいからってわざわざ引っ張り出しといて、 しかも何か買ってくるって走ってったまま全っ然帰ってきやしねぇ」
「なんだ、やっぱり振られ「ちげーよ!」」
 ……かぶせられてしまった。こんなところだけ反射神経があるんだから笑ってしまう。
「プレゼントでも買って戻ってくる気なんじゃないですか?」
「……おい」
「何か?」
 あまりにも不思議そうに彼が見上げてくるものだから、くすくす笑いを堪え切れない。何か言いたそうだったので、一応訊いてやった。
「なんだそのやけに好意的な解釈……らしくねぇ……ぜってーらしくねぇ……」
「君を出汁にして出てきたはいいけれど、周囲の男性陣に引き比べて君があんまりみすぼらしいんで嫌気が指して別の男性を探しに行ったんじゃないんですか?
  とでも言った方がよかったですか?」
「…………」
 け、と顔を歪めて、またそっぽを向いてしまう。
「まあいいでしょう。こんな夜くらい、甘ったるい好意で君に接するのも悪くない」
「いー趣味だな明智サン」
「光栄です」
 にっこり微笑んでやれば、声も出まい。
「……明智サンは?」
 え?
 何を言っているのか一瞬呑み込めなかったので、ちょっと瞬きをして振り向いた。
「出掛けるのは無理だろうけどさ、誰かから何かもらったりとかはしたのかよ?」
「ああ……カードくらいはね。ロス時代の友人たちから」
「ふぅん……」
「君は? 欲しいものは溢れているでしょうけど、何をねだったんです?」
「……新しいケータイ。ワンセグ付いてるやつ」
「ほう。どんなのをもらったんです?」
「断られた」
 ぶすっと呟いた表情があまりに子供っぽかったので、今度こそ本当に噴き出してしまった。
「あっ、あんた! 今『ぷっ』って言ったな!? ロコツに噴き出したな!? 失礼なっ!」
「いや、すみません。子供のリクエストを断るサンタクロースなんて、如何にも君には似合っていて、つい」
「フォローする気ねーだろ?」
「勿論です」
 また、けっ、と言わんばかりの顔でそっぽを向く。
「日頃からねだりすぎなんですよ。物欲が強過ぎるのは俗物の証ですよ?」
「どーせ俗物だよ」
「ゲーム、漫画、音楽プレイヤー。バイク、服、鞄……あとは恋人……いや、まだまだありますか?」
「うるせーな、どーせ欲望の塊ですよ! ほっとけ!」
 本当に、こうして見ているとただの高校生なのに。
 ……時折、こんな子供を好敵手だと思っている自分はおかしいのではないかと思ってしまう時がある。
「――本当は?」
「へ?」
「君が本当に、心の底から欲しいと思っているものは、何なんですか?」
「……どしたの急に……」
 らしくねー、とまた呟いてぱちくりと見上げてくる。
「ええ、どうしたんでしょうね。……何となく、訊いてみたくなったんですよ」
 本当に君が望むのは、何なのかって。
「…………」
 彼が、ふざけた表情を消した。丸い大きな目が深い色を湛えて、ふいに大人びた横顔になる。
「……きれいな、もの」
「え?」
 顔を上げた彼に釣られて、上を見る。
「ツリーの上のさ、……あの星。……本当は何なのか、知らないんだけど」
 大きなツリーの天辺の、金のライトで照らされた星。
「あれってさ、何か綺麗なものなんじゃないかと思うんだ。
 この世の中の綺麗なもの……美しいもの、優しいもの……なんか、そういうもん」
「へぇ……」
 つまりこの子は、あの星はこの世の善意の象徴なのだと、そう言いたいのだろうか。
「あーいうのがひとつあったら……いいなって。見た人がみんな優しくなってしまうようなさ……憎いとか、悔しいとか、殺してやりたいとか……そういうの、全部、忘れてしまうような綺麗なものがひとつ、あったらな、なんて」
 そこまで言って、突然照れたように破顔した。
「なーんて、夢見すぎだよな! 似合わねーっての!」
「ええ……全く、その通りですね」
 でも、もしかしたらね。
 君が全身で笑うときのその顔は、君が望む綺麗なもののひとかけらかも知れませんよ。
 なんて。そんな好意的な感想は、見せてやるまい。
 ただ、ちょっとからかうような目線で笑い返してやるだけだ。
「なかなか手には、入らないでしょうね」
「うん……そーだよな」
 だから、俺はさ。
 口にしなかったはずなのに、続きの台詞はそう、聞こえたような気がした。
「――あ。鐘!」
 遠く、風に乗って響く、鐘の音。聖夜が日付を超え、新しい朝に繋がっていく。
「あー、明智さんとクリスマスイブ過ごしちゃったぁ。サイアクだ!」
「失敬な人ですね。寧ろ感謝してもらいたいぐらいですよ」
「うるせー!」
 大きな樅の木の下で。本当に綺麗なものを探す二人は、笑って。
 遠くから、温かいカップを持って駆けて来る、優しい幼馴染に手を振って見せた。


[09年7月]