スカートの下
5度目の着信が鳴り止んだ後、携帯電話は沈黙した。諦めたらしい。
こりゃあご機嫌斜めかな、と少しばかりの懸念を抱きつつ、加賀は放置してあるその携帯をちらりと見やった。
日付も変わった深夜零時。古いアクション映画も、手酌で呑むウイスキーもそう悪くはないけれど、ひとりぼっちは落ち着かない。
クラス会そのものは20時までだと言っていた。二次会があるにしても、22時前後にはお開きになるだろうと思っていた。それが、23時過ぎまで何の音沙汰も無し。
ようやく連絡があったと思ったら、ひどく蕩けた上機嫌な声で、「迎えに来て」とねだられて、もちろん即座に断った。
大体、加賀は今日子の「古い友人」たちが苦手だ。
校舎自体が男子部と女子部に分かれているという、古風な名門私立で青春時代を送ってきた今日子だから、友人たちは基本的に、名門名家のご息女ばかり。
しかも、良くも悪くも目立つ性質の彼女のことである。
以前一回、同じようにねだられて迎えに行ったときは、物見高いクラスメイトに取り囲まれ、悪気のない質問攻めに遭って、心の底から辟易した。
だから今夜は、今日子は加賀をクラスメイトの猛攻に晒すような真似はしなかった。
駅からは少し離れた場所にも拘わらず、歩いていくから送らなくていい、と一人で出て行ったし、帰りもタクシーを拾うと約束していったのだ。
……それなのに、酔った途端に忘れたらしい。溜め息。大体、既に加賀も呑んでいるのだから、ねだられたところで無理なのに。
朦朧とするほどではないが、ふわりと頬が熱い。若干の嫉妬も手伝って、手酌のペースが速かったからだろう。
滅多に会えない遠距離恋愛中の身分の、只でさえ貴重な週末に、高校のクラス会とか何とか言ってさらりと出掛けてしまうという時点で、
既にもやもやするものを否定できない加賀なのである。
待つこと更に数十分。画面の中、絶体絶命のヒロインが絹を裂く悲鳴を上げたところにかぶせるように、玄関先で鍵の音がした。
やれやれ、やっとお帰りか。気怠くモニタの電源を切る。正気の残った程度に応じて、シャワーかベッドかもう一杯かを指示してやって――
と思いながらリビングとの境目のドアを開けたら、途端、柔らかな塊に跳び付かれた。
「っと、」
「…………」
ぎゅう、と両手に力をこめて、加賀にしがみついてくる温かいもの。
ふわふわした栗色の髪、仕立てのいいベージュのスーツ、百合とジャスミンの甘い香りに、確かに混じるアルコールの匂い。
「……おかえり、きょーこさん」
返事はない。怒ってんのかなー、と様子を探るように背を叩くと、突然唇を塞がれた。
――うわ、大胆。どーしちゃったってんですか女王様。
目を白黒させる隙も無く、扉の内側に押し倒される。毛足の長い絨毯の、ふわふわとくすぐったい感触。ちゅぷちゅぷと音を立てて押し付けられる唇。
手酌で呑んでいたウイスキーとは違う、仄かに甘い酒の味がする。何かフルーツのような匂いも。
息継ぎが必要になったのか、ぷは、と小さな声を立てて今日子がようやく顔を上げた。焦点のぼやけた瞳は微かに潤んでいる。速い呼吸。赤い頬。
かがくん、と頼りない口調で呟いて、その加賀の上に跨ったまま、くたりと覆いかぶさってきた。
じわじわと沁みてくる体温。スーツの下の、柔らかな肉。そこだけひやりと冷たい手が加賀の頬を包み、再度、デザートを楽しむかのようなキスが降り注ぐ。
「めっずらしーの、」
唇が首筋に移った隙を捉えて、からかう。自分の声が思ったよりも熱っぽくて、あ、こっちも多少酔ってるなー、と自覚する。
「シャワーより着替えより俺が先?」
「ん、」
くぐもった声は肯定の返事。火照った唇が首筋から鎖骨に、シャツの胸元を押し広げて胸に落ちていく。
「そんっなに俺が恋しかった?」
「うん、」
上がった息の隙間から押し出される声が色っぽい。潤んだ瞳を加賀の視線に絡ませながら、今日子がうっとりと口を開く。
「そうよ、そうなの、かがくん、……ね、して、」
――まー、ホントに珍しい。変なもんでも食べたんですか。普段なら、どんなに俺から誘ったって、ぎりぎりまで嫌がってみせるクセに。
とはいえ、悪い気分ではない。もっと言えばかなり、そそられる。自身の酔いも手伝って、溺れたい気持ちが加速する。
「セッキョクテキですねぇ、女王サマ、」
「んっ、」
「喜んでお相手いたしますよ?」
興奮混じりの軽口を叩き、陶然とした今日子の顔を眺めながら、にやにやとスカートの下に手を差し込んで――
そこで、加賀は顔色を変えた。
「……な、」
「?」
「な、なんでなんにも、はいてねーの!?」
滑り込ませた手のひらは、直接今日子の肌に触れた。ストッキングの薄い布地も、下着のさらりとした手触りもなかった。
すべすべと柔らかな水分を抱き込んだ、薄い肌。剥き出しになった滑らかさ。
膝がぎりぎり隠れるくらいの、短い薄いタイトスカートの、生地一枚のその下の、信じられない無防備さ――
「……んふ、」
一瞬不思議そうな顔をしていた今日子が、とろりと甘い笑顔になった。蒼白になっている加賀を上から優しく見下ろして、彼女は喉の奥で笑う。
「うれしい?」
「え……」
「こーいうコト、させたかったんでしょう?」
げ、と声にならない声が出た。コンマ半秒以内の空白の中で、脳裏を様々な記憶が駆けめぐる。
その通りだ。させたかった。させたがった。誇り高く生真面目な今日子を、羞恥心で燃え尽きそうなくらいに追い詰めるのが好きだった。というか今も好きだ。継続して。
カーテンを開けたまま日中にベッドに押し倒して困惑させてみたり、物陰で突然深々と口付けて涙目にさせてみたり、
今日子が絶句するほど際どいデザインの下着を買ってきてみたり、その下着の上に普段通りのスーツを着てくれるように頼んだり――
……うん、確かに言いました。下はかないで外歩いてみるとかどーよ、めちゃくちゃ濡れるってハナシだぜ、って、
ムリヤリ下だけ脱がせながらしつこく言ってやったことがありました。
ありましたけど、いや、おい! まさか実行するとか思ってないのに、つーか実行させるつもりなんてないのに、何やっちゃってくれてんですかちょっと!
そう、何も本気で言っているのではないのだ。
今日子が耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに怒る姿が好きなだけなのだ。その態度にきゅんきゅんするのだ(ついでにハァハァもするけれど)。
拒んでくれてこその興奮、密かな優越感、自分だけの楽しみだったのに、どうして急に。
「いや、そりゃ、させたかったけど、確かにいろいろ言ったけど、でも」
「でしょ?」
「でも、なんでこんな、今日に限って……」
「…だって、」
とろりと、融け落ちそうな表情。濡れた唇が艶めかしく開き、猫のような目が細まる。潤んだ、蕩けた黒い瞳。
「みんながね、かがくんのはなし、ききたがるから……」
……ナニを話したんだナニを。どくどくと心臓の音が大きくなる。絨毯に押し付けられたままの背中から、冷たく緊張を孕んだ汗が湧いてくる。
「かがくんが、すごくたいせつにしてくれるから、たくさんぎゅってしてくれるから、いっぱいかわいがってくれるから、だいすきって、はなしてあげたらね、」
――いやその内容は大変嬉しく光栄なんですけどそんなコト他人に言っちゃったんですかウソでしょどーしちゃったのねぇ女王様!
ぐるぐる回る脳内で虚しくツッコミを繰り広げる加賀にお構いなしに、その女王様はうっとりと続ける。
「そしたらね、きょうこもかがくんのこといっぱいよろこばせてあげなくちゃだめよ、ってみんながいうからね、……きょうは、ちょっと、がんばってみたの、」
恥じらうように目を伏せる。そのくせ、加賀の腰を挟み込んでいる太腿はもじもじとじれったそうに動いている。
とろとろと溢れだしているのが、見なくても分かりそうなくらいの、顔。
「ねぇ、かがくん、うれしい?」
悪気なく、というか寧ろ誇らしげに、蕩けた眼差しでにっこりと。
「…………」
――そうですか、がんばってみてくれちゃったんですか。どきどきしながらどっかで脱いできちゃったんですか。
その顔で、この格好で、深夜の繁華街歩いて、タクシー拾って乗ってきちゃったんですか。
どんだけの人に見られたんですか、どんだけの男に気付かれたんでしょうか、っていうかクラスメイト、なんつー煽り方してくれてんだよオイ!
興奮すればいいのか寧ろ涙目になるべきなのか、中途半端な自分の気持ちを持て余したまま、加賀は静かに絶望し――
――そして今までの軽口と、羞恥プレイの濫用を、深く後悔したのだった。
[2011年11月]