あなたに花を


「ああ、もうこんな時期なのね、」
 誰かの呟きが耳を掠めた。エントランスに置かれた、大きな花瓶の前。この季節になると毎年、暫くの間、豪奢な花束が活けられている。
「今年はコスモスかー」
「これくらい、わさっと活けてあるのも可愛いね」
 ぱっとスポットライトが当たったみたいに明るい景色。スタッフたちが時折歩みを止めては眺めて行く中、なかなか歩みを再開させない一人に気付いた。
 確かAOI歴4年目の、アシスタントスケジューラだ。高い位置で括ったポニーテールを揺らして、何やら首を傾げている。
「まゆちゃん? どーかしたの?」
「あ。みきさん」
 振り向いた目元に浮かぶ色は好奇心と、困惑。
「これ、なんなんですか?」
「んー? どゆこと?」
「いや、ここって、普段は何にも活けてないじゃないですか。春になったらとかならまだ分かりますけど、なんで秋になると毎年、花があるのかなって」
「まゆちゃん、ここ4年目だったっけ」
 歩み寄って一緒に花瓶を眺める。溢れだすみたいなコスモスたち。ごく微かな香りは秋らしい、懐かしい景色を思わせる。
「じゃあ知らないよね」
「? 何をです?」
「んー、まあちょっとねー。曰くがあって」
 淡い紅色の花びらをちょちょんと指で撫でてから振り向いた。指先に残る、柔らかな感触。
「オーナーの誕生日があるでしょ」
「はあ。9月ですよね。終わり頃に」
「うん。まずそのときに花が届く」
「はあ……」
 誰から?と当然の疑問を抱いているのはよく分かるが、話はまだ続くので取り敢えず黙殺。
「ダリアとか、秋薔薇とかね。大輪で華やかで、割と日持ちがする花の、でっかい花束。オーナーがそれを飾る。だんだん萎れて、枯れて、で、撤去される」
「はあ」
「で、11月になると、今度はオーナーが花束を持ってくる」
「はあ?」
「だいたい自分ちの、庭に咲いてたか庭で育ててたやつ。ああいう、コスモスとか、萩とか。金木犀とか」
「……はぁ」
「結局なんなのさ、って思うでしょ」
「思います」
 だよね。苦笑で応える。
「まあアタシらだって、はっきり訊いたワケじゃないから、憶測でしかないんだけどさ」
「……どんな?」
「七夕みたいなもんかなーってさ。或いは、うーん、言い方悪いけど、命日? みたいな?」
「よく、わかりませんが」
「色々あった相手がいてさ、」
 主語も目的語も省略したセリフ、けれど話の展開上、うちのオーナーの話だってことは明白だ。怪訝そうな顔をしていた彼女が、心なしか神妙な面持ちになる。
「差出人書いてないみたいなんだけどさ、たぶん、ソイツからなんだよね。誕生日の花束。で、たぶんそのお返しに、オーナーからも花を贈ってるんだ。ああやって飾ることで」
「……それ、ちゃんと伝わってんですかね。本人に」
「さあ?」
 解せぬ。そう顔に書いてある。だよね、と内心で頷いて、みきはくるりと踵を返した。
「まあ、いいんじゃないの? オーナーがそれでよければ」
「うーん……」
 あの男のことだ。今でもAOI内部の誰かから情報を得ていて、エントランスに花が飾られることを聞き出しているなんてことも、ありえないとは言い切れないけれど。
 でも、きっとそんなのはどうでもいいのだろう。溢れるほどの花束を抱えたその時に、今日子が浮かべる笑顔の深さを、みきは何度も目にしているから。
 貴女に花を。貴方に花を。あなたに、アナタに、花束みたいな、尽きない愛を。背後でさらさらと風の気配。花瓶から溢れたコスモスたちが、また、微かな香りを放った。

コスモスの花言葉のひとつ:「愛のよろこび」


[2015年11月]