男の子はやっぱり男の子。(Boys will be boys.)
――冬至も間もなくという、とても冷え込む季節のこと。
やっぱり、日本人なら炬燵だよな。
由緒正しき旧家に生まれた、純粋無垢の日本人である新条直輝は、その郷愁をそそる暖房器具に身を委ねて、
傾きかけた陽射しをうとうとと見ていた。
随分、日が落ちるのが早くなった。風も冷たそうだ。
みきと待ち合わせている20時にはたぶん、ジャケットではなくコートを用意する必要があるだろう。
だったらクローゼットから出して掛けておかなくちゃ、と思いながらも、身体は炬燵から離れられない。
幸福な拘束に鈍くもがいていると、唐突に玄関のチャイムが鳴った。
――誰だよ、こんな日に……。
不機嫌を隠さないまま扉を開け、新条は目を瞬いた。見慣れた顔が見慣れない様子で立っている。
「……加賀?」
金色に光る缶ビールの詰まった袋を掲げながら、猫のような目をした同僚は、よっ、とおどけた挨拶をした。
「……どういう風の吹き回しなんだ、お前が酒を持ってくるなんて」
せしめられた記憶は星の数ほどあっても、加賀から何か貰った記憶など皆無に等しい。
思わず警戒顔になる新条に、まあちょっとな、と笑ってから、加賀はひょいと部屋の中へと上がり込んだ。
たしなめる暇さえ与えずに訊いてくる。
「お前、今日、暇なんだよな?」
「いや、……今は暇だけど。夜は、ちょっと」
「みきちゃん?」
「ああ。なんか会合だとかで、20時くらいまでには終わるって。そしたら夕飯に行こうかって話になってて……」
「へー。じゃあもう暫くは余裕があるワケだな」
重たそうな上着を無頓着に放り出し、17時を過ぎたばかりの時計に目をやって、図々しく炬燵に潜り込む。
「……余裕?」
訝しげな顔をした新条に目を移すと、加賀はにやりと笑った。
袋に詰めた缶ビールの底から何やらごそごそと取り出して、黙って新条の前に置く。
「……これは……」
薄い四角いパッケージに、これでもかというほど肌色の写真がべったべた。
どうみてもAVです。ありがとうございました。
思わず一礼して話を終わらせたくなった新条だったが、ぐっと堪えて顔を上げる。
問いかけるように加賀を見つめると、彼は猫のような瞳を細めてみせた。
「どーよ、新条」
「どうよ、ったって」
「コレ、どー思う?」
「何が」
「っかー、相変わらずニブイな! よっく見てみろっての、ほら、」
「だから、何が……」
言いかけた新条は、目の前でひょいっとパッケージを裏返されてそこで息を呑んだ。
ジャケットの写真は主演女優の、上目づかいの顔のアップ。
ほんの一瞬そこから受ける印象は、彼らにとって最も近しい、尚且つなかなか畏れ多い、
それでいて確かに憧れる、どこかの女性上司にとてもよく似ていて。
「…………」
「似てる、と、思わねーか?」
「……思う」
目を奪われたまま、新条は答えた。
じっと見ていると、そんなには似ていない気も、する。
猫のような瞳は我らが女王様の方がたぶん大きいし、唇の肉感的な感じはこの女優の方が強烈。大体、髪の色も長さも全然違う。
それなのに、全体的な印象はどきっとするほどよく似ているのだ。微かに頬が熱くなるのを感じて、新条は思わず目を逸らした。
努めて平静な口調で、訊ねる。
「で、これが、どうかしたのか」
「ちょっとキョーミねぇ?」
「興味って……」
「中身も、見てみてぇと思うだろ? な?」
……何となく、予想がついてきた。それでも根が律儀だから、一応口に出して確認する。
「……あったら、どうだって言うんだ?」
「見てみようぜ! なっ!」
にかっと笑って肩を抱く加賀、思わず天を仰いでしまう新条。ああ、やっぱり。
「なんでわざわざ見せに来るんだよ。独りで見ろよ……」
「だーってぇ! ひとりでなんて、なんかドキドキしちゃうじゃーん!」
大袈裟な声をあげ、いやんいやんと少女のように駄々を捏ねてみせる。可愛くない。全っ然可愛くない。新条は不機嫌に心の中で毒づく。
「だいたいこんなモノ、誰かと一緒に見るようなもんじゃないだろ」
「おんやぁー?」
途端、ぱっと態勢を立て直して、加賀はにやにやと新条の顔を覗き込んだ。
「……なんだよ」
「俺はタダの興味本位で見てみっかなーって言ってるだけなんだぜ? こんなモノひとりで見て、で、それからどーする気なんだ新条?」
「っ!」
ぼっ、と音が立ちそうなくらいの勢いで新条の頬が赤くなった。
からかい顔の加賀の目に、おいおい大丈夫かよ、と一瞬本気の心配の色が浮かんだのを見て、慌てて加賀を睨めつける。
「別に! おれは何も!」
「じゃ、一緒に見たって問題ねーだろ?」
すっかりやりこめられた表情の新条を見て、加賀はにやりと笑みを深くする。
もっとも、そう言っている加賀の方こそ、うっかりひとりで見て本気で「使って」しまうのが怖くて
――そんなコトやらかしてしまった日にゃ、明日以降、それこそ女王さまに合わせる顔がない――、わざわざ新条を巻き込みに来たのだが、
もちろん新条はそんな思惑を知るよしもない。
「そーと決まれば、さっさと行くぜ〜♪」
勝手知ったる他人の家、とはよく言ったもので、新条を差し置いてさくさくと再生準備を進める加賀。
新条は諦め顔で溜め息を吐いた。せめて少しでも正気を麻痺させておこうと、加賀持参のビールに手を掛ける。
「……あ」
「ん? どした?」
ぽつりと漏らした呟きを聞きつけて振り向く加賀の目に、パッケージをじっと見つめる新条の姿。
「これ……女社長モノ、なんだな」
言いながら自分でも、うわ、と思う。どっかの誰かさんのことを考えると、この設定は妙にリアルだ。
同じようなことを考えたのだろう、それを聞いて一瞬目を見開いた加賀は、半秒ほどの沈黙のあとにへぇ、とだけ言った。
……可愛くない。本当は動揺したくせに、何でもないような顔でいようっていう根性が気に入らない。
むっとしたその弾みで、不意に覚悟が決まった。
「言っとくけど、」
ビールを一気に呷ってから、宣言する。
「途中でやっぱやめようなんて中途半端なこと言い出したら、おれは全力で告げ口するぞ」
分かり切っているから、敢えて誰にとも言わないが。げ、とわざとらしく顔を顰めて加賀が仰け反る。
「ずっりーの新条! お前、自分がそーゆー面での信用が厚いって自覚してやがんな?」
「日頃の行いが違うからな」
「そのへん、どーも俺に対して激しい誤解と偏見がある気がすんだよなー……」
ぼやきながら加賀もビールを手に取った。缶を掴む指に妙に力が入っているのは、平静を装い切れていない証拠なのだろうか。
いささか意地悪い目で加賀を見ながら、強気になった新条は、画面に向かって再生ボタンを押した。
「けっこー有名なメーカーだよなコレ」
「……そうなのか?」
「あんまり単体モノは出さねートコなんだけどなー」
「詳しいな加賀……」
「あ、ヤダわ新条クンたら純情ぶっちゃって」
「……その喋り方やめろ」
「いやぁんひどいわ冷たぁいッ!」
「怒るぞ」
「ままま、いーから取りあえず見ろって」
「で、どーよ?」
「……写真よりも寧ろ似てる気がする」
「んー、上目づかいが似てんな。あと口のとがらせ方」
「声もちょっと似てるかな。体つきは何となく違う……か?」
「てか、ビミョーに体型ゆるくねーかこの女優」
「そう……かな」
「まだ脱いでねーし、分かんねーけど」
「最後まで脱がないかも」
「いやソレはない。こんだけ胸あったら脱がすって絶対」
「でも、折角のスーツだぞ?」
「お前……意外と分かってんだなぁ……」
「……こーいう色のスーツ、持ってたよな」
「…………先週着てた」
「……ん」
「…………」
「……おい」
「え?」
「ソコで黙んなって。生々しいから」
「……お前こそ、いきなり無口になるなよ」
「なってねーよ」
「なってるだろ」
「……ねーってば」
「…………嘘付け」
「……なー、新条」
「……何だ?」
「なんか喋れよ」
「……人に言う前に、お前が」
「ったって……」
「…………あ」
「……んだよ」
「いや、何でもない……」
「……お前んとこさ」
「……ん?」
「いーよな、コタツがあって」
「……そうか」
「ってか、コタツで助かったっつーか……」
「…………」
「……おい」
「何だよ」
「だからソコで黙んなって! 気まずいだろ!」
「そう思うなら余計なこと言うなよ、」
「……いや、そりゃそーだけど」
「…………」
「………………」
時刻は18時過ぎ。缶ビールはすべて空になった。
始めのうちはいつも通りに軽口を叩いていた加賀がだんだん無口になって、新条の方も碌に口も利けなくなってきた。
途中でやめるとは言わせない、などと宣言してしまったことを後悔しつつちらりと残り時間表示を見ると、まだ40分近くある。
炬燵に潜り込んでいる脚ばかりか、耳朶の先までが熱い。それでもここから出る訳には行かない。
どうにか気を逸らそうと思えば思うほど、誰かを思い出させる喘ぎ声が耳につく。
居心地悪く身動ぎした途端、がちゃがちゃと音を立てて扉が開いた。
「げ、」
「っ!」
「ごっめん新条、8時終了だと思ってたら18時終了だった! ちょっと早いかと思ったんだけどさ、大丈夫ならもう出……て……」
外の寒さに頬を染め、合鍵を右手に握り締めているみきが、威勢良く言いかけた台詞をそこで途切れさせた。
振向きかけたまま硬直している男二人。同じく硬直したみきの視線の先にある映像。どう控えめに見積もっても、その内容は明らかで――
「…………し、ん、じょー? あんた、なに、を……」
握り締めた彼女の拳がぶるぶる震え始めたのを見て、はっと我に返る新条。
「ち、違う! 違うんだ城之内これは、」
「なに、が、ちがうっての……?」
「だからその、誤解で……っておい、加賀!?」
気付いて呼び止めたときには既に遅く、加賀はそれこそ猫のような素早さで上着を引っ掴んで飛び出していた。
「あははははははっ、悪ぃな新条、途中になっちまったけど不可抗力だよなー!」
「馬鹿、ちょっと待てお前……!」
最早視界に加賀の姿はなく、半開きの扉の向こうから、残った声が冷気と共に流れてくるのみ。
流石だ、こんなところまで素晴らしく速い。
感心している暇もなく、みきの凍るような声が新条の意識を引き戻した。
「……へぇー、女社長ものなんてジャンルが、好きなんだ……?」
「ち、」
違う、と言いたかった台詞はもう、声にならなかった。
ああ、神様仏様。
さっきまで熱すぎるくらいだった頬から、完全に血の気が引いていく音を聞いたように、新条は思った。
尚、おしおきの済んだ新条が、加賀がソフトの中身だけはちゃっかり持って帰っていることに気付いたのは、
これから半時間ほど後のことである――。
→ 何かとすみません。女社長モノっていいですよね、という結論です。(そこかよ!)
[09年12月]