彼と仲間と妹と


「あっ、キョーコさんだ! もう来てくれてたの?」
 視界の中に、ぱっと花が咲いたように思った。
 鮮やかな金色の髪。闊達な緑の瞳。淡雪色のドレスに身を包んだ少女が、小走りで今日子に向かってくる。
「まぁ、フロイライン・リサ・ハイネル……」
「あははっ、リサでいいってばー!」
 きゃらきゃらと笑う声だけは、いつも通りのお転婆娘だ。 だが、流石はハイネル家のご令嬢、如何にも高級そうなドレスが、素晴らしく様になっている。
「そうもいかないわよ、こんなに素敵なお姫様ぶりを見せられちゃあね。とてもとても『リサちゃん』なんて呼ぶ気になれないもの」
「そう? キョーコさんだって、じゅうぶんお姫さまだと思うけど」
「やだ、よく言うわ」
 思わず苦笑する。
「7つも年上の女性を捉まえてそんな台詞を言うもんじゃないわよ。貴女が若くて可愛らしい分、尚更」
「……でも、」
 小さく首を傾げて、リサは呟く。
「本当にキレイだと思うよ、キョーコさん。みーんなが見てるの、気付かない?」
「珍しいのよ」
 苦笑のままで応えて、今日子は重たい袖を持ち上げて見せた。
 そう、珍しいだろう。何しろ、ここはアメリカ、マンハッタンのど真ん中なのだ。 多くの民族と多くの文化が入り乱れる賑やかな街だとは言え、上品な中にも色鮮やかな加賀友禅の訪問着は、 それこそ周囲の目を惹き付けるだろうに違いなかった。
「うーん、確かに珍しいのもホントだけど……でもそれ、すっごく似合ってるもん。ユウゼン?って言うんだっけ?」
「そうよ、加賀友禅って言うの。よく知ってるわね」
「お兄ちゃんが好きだから、そーいうの。きっと喜ぶよ」
「だとしたら光栄ね。頑張って選んできたから」
 何しろ、相手はフランツ・ハイネルである。日本贔屓どころか、日本オタクとまで言われるほどの勉強家。 技巧や技術への拘りが強く、美術品に対する目も肥えている。
 何か如何にも日本的なものを、と考えて、欧米人に受けのいい華やかな友禅を選んだのだが、 リサの反応を見るにどうやらこれで正解だったらしい。
「触らせてくれとか、間近で見せてくれとか言うんじゃないかなー。 キモノ、自分でもほしいってよく言うんだけど、女性モノまではさすがに買えないでしょ?  だからこーいうユウゼンとか、チヂミとか、シボリとか、ものすごく憧れてるみたいなの」
「……ちょっと詳しすぎじゃない?」
 溜め息を吐いてみせると、リサなんかお兄ちゃんの言ってることの半分も理解できないよ、と笑う。
「でも、そのお兄ちゃんは、どちらに? 今日のパーティの主役なんでしょうに」
「それがね、」
 くすくすと笑う。兄と同じ、深い緑色の瞳が悪戯っぽい色に輝く。
「お兄ちゃんてば、もう3ヶ月も前から、スポンサーさんとの交渉の予定を今夜に入れちゃってたの。 もうちょっとで終わると思うけど、たぶんまだ、部屋でネット会議の真っ最中なんじゃないかなー」
「……それはそれは」
 くるりと目を回して、今日子は肩を竦めた。
「自分の誕生日パーティだっていうのに? 相変わらずなのね、プロフェッサーの仕事中毒は」
「それでも、ちゃんと参加するって言ったんだから、大進歩!  今までだったら、ぜーったい拒否だったに決まってるもん」
 ワーカホリックの兄を監視する役割も負っている健気な妹は、万歳!とばかりにグラスを掲げてみせる。
「それにしても、……よく承知したわね。わざわざアメリカまでやってきてのパーティーだなんて」
「ソコは、グーデリアンさんの作戦勝ちかなー」
 ちょっと誇らしげに笑う。
 兄と違って明朗快活なこの少女は、ジャッキー・グーデリアンともかなり親しい。 プレイボーイでならす彼にとってもどうやらリサは別格らしく、 恋愛ゲームの対象というよりはまるで妹のように可愛がっていると聞いている。
「興味深いわ。一体どんな手を使ったの?」
「いちばん効いたのはたぶん、会場をここにしたことだと思うんだよね」
「……どういうこと?」
 ちっちっち、とよくグーデリアンがするように指を振りながら、リサは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さてキョーコさん、問題でーす。うちのお兄ちゃんは、何月何日生まれでしょー?」
「え……」
「いーから! 何月何日生まれでしょー?」
 何を今更、と怪訝な顔をする今日子に、リサはにこにこと畳み掛ける。
「……12月、23日でしょ?」
「そうでーす!」
 ぱちんと指を鳴らして、続ける。
「それでは続いて、第2問! 誕生日が12月23日の人にはたいてい、どんな悲劇が起こるでしょー?」
「どんなって……」
 呟いた途端、閃くものがあった。あ。思わず今日子は口を覆う。
「……わかったわ。誕生日とクリスマスの晩餐を、ひとまとめにされちゃうってこと?」
「ぴんぽーんぴんぽーん!」
 リサがぱちぱちと拍手している。なるほど、と今日子は頬に手を当てた。
「それに、貴女たちのおうちですものね。きっと親類一同が勢揃いする盛大な晩餐会があって、 本家の跡継ぎのご子息はそこで、ずっーとお利口な顔をしていなくちゃいけなかったんでしょうね」
「うん、ホントそのとーり!  リサだって窮屈だったけど、お兄ちゃんはもっとたいへんだったと思うんだ。いつも、リサのことかばってくれてたから」
「……仕方ないわ。そういう風に育てられてきているんですもの」
 自身が葵の長女である今日子からすれば、フランツ・ハイネルの立場がよく分かる。
 シュトロブラムスの社長の息子だから。ハイネル家の跡継ぎだから。自分はリサの「お兄ちゃん」だから。
 誕生日祝いを兼ねたクリスマス・イブの晩餐は、幼いフランツ少年にとって、決して愉快なものではなかっただろう。
「でも、そう、だからなのね。だからわざわざ、こんなところまで呼び付けて、」
「そ。本社でのパーティーにはなかなか来られないような人ばっかりを、お客さんとして呼んで、」
「だから無理してでも、来い、と。……なるほどだわね」
 納得する。そして恐らく、それを計算ずくではなく、 ごく自然な思いつきとして実行したであろうグーデリアンのセンスに、思わず素直に感心してしまう今日子だった。
「いいんじゃないかしら。節目の誕生日としては、悪くない演出だと思うわ」
 そう、今日子よりひとつ年上の主役は、今日でちょうど30歳になるのだ。
「もう30だもんねー。実際、もうとっくに大人なんだけど、でもやっぱりドイツにいると、 『シュトロブラムス社長の息子』になっちゃうみたいなの。 サーキットにいるときみたいな顔はちっともしないし、あんまり、機嫌もよくないし」
「だったら今日は、もっといい顔が見られるでしょうね。――サーキットの仲間が、こんなにいるんだもの」
 サーキットにいるときのハイネルの笑顔を思い浮かべ、それに釣られるようにして、微笑む。リサも満足そうに、笑う。
「スタッフの皆は、わざわざ来てくれたの?」
「うん。もともとアメリカが帰省先の人は全員来てくれてるし、ヨーロッパ組も半分くらい。中国とか、ブラジルが帰省先の人もいるよ。 うちを辞めちゃってこっちで働いてる人たちとか、昔お兄ちゃんがいた、元ZIPのスタッフの人なんかも」
 今はAOI-ZIPフォーミュラにその名を残すZIPレーシングは、元はアメリカの名門レーシングチームだった。 ピタリア・ロペやフランシス・ベルニーニを見出したことで知られる名伯楽は同時に、 家出同然にレースの世界に飛び込んできたドイツ生まれの少年を、CFという大舞台へ引っ張り上げた立役者でもあるのだ。
「錚々たる顔触れじゃない。人望というか、人徳と言うか……」
 感嘆の声で呟く。
「みんな、ヘル・ハイネルがとても、好きなのね」
「うん!」
 大きく頷いたリサの笑顔が、眩しかった。 羨ましいような嫉ましいような、逆に自分のことのように嬉しいような、少々複雑な気分ではある。
「でも、いっちばんお兄ちゃんのこと好きなのは、ひょっとするとグーデリアンさんかなぁ」
「え?」
「あんなにケンカばっかりしてるのにね、お兄ちゃんのこと、すっごくよく分かってるの。 っていうか、よく気が付くんだよねー。リサでさえ気付かないようなことまで、ときどき」
「……それは、たぶん」
 考えながら、ゆっくり口を挟む。
「元はおんなじ、レーサーだからよ。同じ立場や同じ経験をしていないと分からないことって、あるじゃない?」
「あー、そうかも」
 頷いたリサが、不意に悪戯っぽい瞳になった。
「でもねー、よくグーデリアンさんとも話すんだけど、いい加減お兄ちゃんにも、浮いたウワサのひとつふたつあってもいい頃だと思うの。 スタッフとばっかり仲良くしてても、しょーがないでしょ?」
「浮いた噂ねぇ……確かに、聞かないわね」
「別に女の子がキライなわけじゃないと思うんだけどな。昔はちゃんとガールフレンドだっていたんだし」
「……いたの?」
 思わず食いついてしまった今日子に、リサが笑みを深くした。天使のように可愛らしい娘だが、今回はなんとも小悪魔的な笑みである。
「うふー。気になる?」
「……興味があるわ」
「でしょでしょー」
 こそこそと顔を寄せ合って、女二人は主役の噂を囁き交わす。
「私だってこの業界長いけど、ヘル・ハイネルのスキャンダルなんて聞いたことないわよ?」
「そこはほら、リサは家族ですから」
「……どんなことを知ってるの?」
「お兄ちゃんね、ギムナジウム終わってすぐうち飛び出しちゃったでしょ。 それでね、その頃リサまだ8歳だったんだけど、割とすぐ、あ、ガールフレンドができたなってわかったんだよね」
「どうして?」
「お誕生日にくれたプレゼントが、すっごく可愛いビーズのアクセサリーだったから。 あのお兄ちゃんが、ひとりでそんなの選べるわけないもん」
 力強く言い切る姿に、思わず今日子も頷いてしまう。加賀が豪華なアクセサリーを贈ってくれるようなものだろう。 感動するより先に、キャラじゃない、という不審さの方を感じてしまうはずだ。
「それは……随分、吃驚したでしょうね」
「うん。それに結構、ショックだったなー」
「お兄ちゃんを取られたような気がしちゃった?」
「うーん、っていうか……自分が、要らない子になっちゃったような気がしたの」
「どういうこと?」
 顎に手を当て、くるりと瞳を廻らせながら考える。
「なんて言えばいいのかなぁ……リサね、生意気なんだけど、お兄ちゃんはリサがいないとダメなんだ、って思ってたんだよね。 リサがついててあげないと、すぐお父さんとケンカするし、夜もなかなか寝ないし、女の子に優しくできないし」
「……しっかりものの妹ね……」
「なのに、もうリサがいなくても、こんな可愛いプレゼント選べるんだぁって思ったら、なんかすっごく悲しかったの」
「そう……」
「あっ、キョーコさんも、『ブラコン』だなーって呆れてる?」
「ちょっと、誰にそんなこと言われたの?」
「グーデリアンさんとか」
「とか、って……結構あちこちから言われてるのね……」
「いいんだ、だってリサ、お兄ちゃんのこと大好きだし。あ、ヘンな意味じゃないよ?」
「大丈夫よ、」
 苦笑する。まあ、ヘル・ハイネルのシスコンっぷりも相当なものだから、今更眉を寄せるまでもない。
「だから今、毎日お兄ちゃんの世話焼いてるのって、すっごく楽しいんだけどね。 それでも、そろそろ本格的に兄離れしなくっちゃかなー」
「ヘル・ハイネルの方が離れたがらないんじゃない?」
「そんなこと、ないよ」
 ふいに大人びた目をして、笑う。
「だって、今日のパーティー、リサがあれこれしたワケじゃないんだよ?」
「…………」
「グーデリアンさんが企画して、声を掛けた皆が一生懸命都合をつけて、集まってくれたの。 だから珍しくお兄ちゃんも、参加する気になったんだもん」
「ええ、」
「ガールフレンドじゃなくたって、お兄ちゃんのことを支えてくれる人は、いっぱいいる。 家族じゃなくたって、気にかけてくれる人も、たくさんいる」
「……そうね」
「そーゆーのがわかってきたから、もう大丈夫かなって思うんだ。 そろそろリサもぱーっと自由になってー、それで、いーっぱい恋人作ろうかなーって!」
「……『いーっぱい』はちょっと、問題があるような」
「そう? グーデリアンさんくらいを目標にしてるんだけどな」
「……それもどうかと」
「だって、すごいと思わなかった? グーデリアンさんからの電話!」
 言われて、今日子は苦笑した。
「すごかったわ。いつもああやって女の子を口説くのね」
 そう、忙しい今日子を、しかもわざわざアメリカはマンハッタンまで呼びつけてパーティに参加させようという暴挙の仕掛け人は、 他ならぬジャッキー・グーデリアンだったのだ。
 何しろ、CF界一のお祭り好き、と呼ばれた男である。 派手なことと楽しいことには目が無いし、楽しむためにはどんな努力も惜しまない。
『仕事中毒のカタブツ監督を喜ばせるために、是非ともパーティに来てほしい』
 同じ趣旨を違う表現で、同じ声で違う時間に、何度聞かされたことだろう。 初めは殆ど相手にもしていなかった今日子がとうとう音を上げたのは、実に3日前のことだった。グーデリアンの粘り勝ちである。
「そー、マメなんだよねー。それでいて押し付けがましくないっていうか、さっぱりしてるっていうか。 あーいうトコ、お兄ちゃんにも少し見習ってほしいんだけどな」
「断固拒否でしょうね」
「だよねー。あ、でも、お兄ちゃんだってグーデリアンさんのこと、大事にしてはいるんだよ?」
「わかるわ、」
 喧嘩ばかりしている癖に、馴れ合いにはならない信頼で結ばれている。
 冷徹な眼差しで夢を見るドイツ人デザイナーと、少年の瞳を失わない陽気なアメリカ人ドライバー。
「スキャンダルとリタイアの多さを除けば、間違いなく世界最高級のレーサーだって、よく言ってるもん」
「確かに、そこはねぇ……」
 スキャンダルの多さは折り紙付きの、自称「世界の恋人」である。  デビュー以来、交際報道のあった相手は数え切れないほどだが、それでも不思議とネガティヴなイメージはついていなかった。 周囲にどれだけ女性をはべらせようとも、決していやらしさは感じさせないところが彼なのだ。
「ま、しょーがないよね。グーデリアンさんは、全世界の女の子の味方だし?」
 芝居がかった仕草で肩を竦めて、リサが言う。
「でもそれ以上に、お兄ちゃんの味方だもん」
「え?」
 言い切った笑顔には、なんの衒いも迷いもない。
「だから、さすがのお兄ちゃんでも、いつの間にやらほだされちゃってるんだよね。やっぱりグーデリアンさんって、すごい」
「……そうね」
「正直ちょっと、30近くにもなって男同士がいちばん楽しいってどうなの?って思うんだけど、」
 同感だわー、と深く頷く。それでも、リサは面白そうに笑う。
「でもお兄ちゃんがシアワセなら、まあいいかな、って思うことにしてるの!」
「そう、」
「あーでも、やっぱりそろそろ浮いたウワサのひとつくらいないと、お母さんが心配で寝込んじゃうかも……」
「それは……ご苦労お察しするわ」
「お兄ちゃんてばグーデリアンさんに、『もういい歳なんだからスキャンダルから卒業しろ』なんてよくお説教してるんだけどね。 グーデリアンさんが女遊びをやめたりしたら、ますますお兄ちゃんの立場が危うくなると思わない?」
「危ういわねー。既に色々、噂は立ってるみたいだし」
「えっ、どんなウワサ? 聞きたい聞きたい!」
「ひとつは、加賀くんから聞いたんだけどね……」
 喉を鳴らすようにして笑うと、今日子は声を低くした。リサがうんうんと頷きながら身を屈めてくる。
 ――のどかなようなきわどいような、ほろ酔い加減の会話と共に、主役不在のパーティの夜が更けてゆく。

[2010年12月/for Ms. rikinyanko as commemoration of 6000-hits]