コール5回で
コール5回。控えめに呼んで、ふつりと切れる。
いつもそうだ。だから、猶予はほんの十数秒。分かっているくせにわざとコールの数を数えて待っている。
見なくたって分かる、着信履歴の相手は今日子だ。おどけて"Her Majesty"と登録してあるのは勿論本人には内緒。
小さな液晶の中で点滅するその文字を眺める度、頬が緩むのを自覚する。
だらしのない声が出ないように真面目な顔に戻してから、あっさりと発信ボタンを押した。コールは3回。
「はい、」
15時間の時差を超え、いつものように何気なく、澄ました声で彼女が出る。
「あ、きょーこさん。電話くれた?」
「……くれた?じゃないわよ。こんなすぐに掛け直せる癖にどうして出てくれないのよ」
「出ないんじゃなくて出られなかったんだって。たまたまだよ、たまたま」
そう?と訝しげな声を出して、電話の向こうの声は黙った。あーもったいない、せっかく声を聞いていられるチャンスなのに。
何でもいいからなんか喋って、ついでに名前なんか呼んでみちゃってよ、と不届きなことを考えた途端、
この前依頼した件なんだけど、と電波の向こうの彼女が話し始めた。
「あー、アレね。そーいや連絡してなかったっけ。悪ぃ」
「で、どうだったの?」
「問題ナシ。オッケーはもらってる」
そう、と嬉しげに答えて、今日子は小さな吐息をもらした。ほっとした時に出る、少しばかり可愛らしい癖。
用心していたのにまた頬が緩む。
「んで? 用はそれだけ?」
「それだけよ」
「ホントにー? ……そろそろ俺の声が聞きたくなっちゃったとかー、もっと言うと会いたくて堪んなくなっちゃったとか」
「ないわ」
語尾を被せるようにしてばっさり斬られた。ああ、なんて絶妙なテンポ。俺たちってばなんてナイスコンビ。
ちょっとしたがっかりを誤魔化すようにそう考えて、あらソウデスカと気のない返事を返す。
「そんなこと言うためだけに時間を浪費するのはどうかと思うわよ。電話代も」
「いやいや、何気ない日常会話こそが円滑な人間関係のためには重要かと」
「無駄口叩くより、掛けた電話にスムーズに出てくれた方がずっと円滑に行くんじゃないかしら?」
若干の棘を含んだ口調に、意図に反して笑いが漏れた。聞き咎めた今日子が眉を寄せる気配。
「なによ、どうして笑うの?」
「いや別に」
「嘘。何考えたの」
「えー。正直に言ったらきっときょーこさん怒るしぃー」
「……言わなくても怒るわよ」
えーやだー怖ぁい、とおどけてみたが、返って来たのは沈黙ばかり。しょーがねーなと諦めて、素直ににやにや笑いに戻る。
「俺が出ようと思うとさ、ちょうど切れちゃうんだよなーきょーこさんからの電話」
「貴方がさっさと出ないからでしょ」
「そーかなぁ。世間的に、もーちょっと待ってもいいくらいの長さなんじゃないかと思うんだけど」
「そんなに早く切ってるつもり、ないわ」
「ウソ。きょーこさんいつも、5コール目で切っちまうだろ」
「5コールくらい、別に」
早くはないでしょ、と言いたかったらしい気配を断つように、言い被せる。
「他の奴とか仕事の電話なら、最低10コールは待つだろきょーこさん? なんで俺だけすぐ切っちゃうの?」
「そっ、」
そんなことないわよ!とか何とか、不明瞭な口調でもごもごと喚いて、それから今日子は沈黙した。
どうやら随分、動揺している。ああきょーこさん可愛いよきょーこさん。
にやにや笑いがどうしようもないレベルまで来たので片手で頬を叩いて、黙りこくった受話器に再度、話しかける。
「もしかしてひょっとするとなんだけどさ、俺に電話するのってすっごく、緊張すんの?」
「…………」
沈黙は続く。ああそう、沈黙は肯定、ってことわざあったっけな。
ちょっと唇を尖らせて、頬を真っ赤にしている彼女を思って、遠慮会釈なくほくそえむ。
「なーんて思うとさ! 堪んねーワケですよ、悔しそーに恥ずかしそーに切れる、あの5回目のコール音が♪」
「……変態」
一拍の間を置いて力いっぱい返された罵りに、却って頬を緩めて笑い返す。
「そ。だからまた、掛けてよ。5回以上鳴ったら、ちゃんと出るから」
遠い電波の向こうにいる彼女が、悔しそうな顔をしたのが分かったので、彼のにやにやはますます始末に負えなくなった。
[09年10月]