君はかわいいと
君はかわいいと
どうしていっていけないわけがあろう。
(――安水稔和『君はかわいいと』より)
◆
加賀城太郎という男はどうかしていると思う。
誰にも頷いてもらえないから、今日子はひとりで憤慨している。
だって、何の前触れもなく唐突に、気でも違ったのではないかというようなことを言うのだ。
「きょーこさん、かわいい」だなんて。
生まれてこのかた、「かわいい」なんて言われたことは、数えるほどしかない。
それもごく幼い頃だけの話だ。
10歳になろうとする頃には既に今日子への賛辞は「美人」か「かしこい」だったし、
長じるにつれて「しっかりした」「優秀な」の割合が増えた。
「かわいい」なんて、縁のない言葉だ。
諦める以前の問題だと、そう思っていた。のに。
今日も今日とて、加賀の頭はネジが紛失しているらしい。
飲み会帰りの信号待ちで、急に手を取って指を絡めてくるなんて、どう考えたって脳味噌が蕩けてる。
なんなの、と言ったら、かわいいから、などと言う。目眩がする。
だって、そうだろう、前にも後ろにも、横にも人が居るのだ、それも見知らぬ他人ではない、大事な職場の同僚たちが。
バカじゃないの、と低く呟けば、どうでしょうねぇ、と笑われる。
バカだわ。
なんで?
かわいくなんかないんだから。
ホントに?
本当に。
そっか?
繋いだ手をくっと引っ張られて、よろめくように振り向いたら、掠めるようにキスされる。
「〜〜〜〜〜っっ!」
「ほら、かわいい」
ぶわりと熱くなった頬に指を滑らせて、加賀は得意げに笑う。
かわいくない!
かわいいって。
かわいくないったら!
そーいうとこが、かわいいんだって。
幾ら言っても引かない。にこにこしながら、自説を曲げない。
加賀城太郎という男はどうかしていると思う。そして、誰ひとり彼に反論してくれない同僚たちも。
だから、今日子はひとりで憤慨している。視線を逸らし、唇を尖らせ、頬を真っ赤に染め上げて。
――あーあ、まったく、かわいいなぁ!
加賀どころか周囲の人間全員が、そんな風に思ってるなんてことにも気付かずに。
[2013年3月]