きらいだろ


 空が青い。
 冷えた地べたに背中をつけて、両手両足を投げ出して、湯気が立つくらいになっている身体から汗が引いていくのを待つ間に見る秋空は、瞬きを忘れるくらいキレイだ。
 ……あー、瞬きは忘れてもやっぱり痛みは忘れられない。しかめた眉を見咎めて、すかさず叱咤の声が飛んでくる。
「情けない顔をするな、丹童子。そんなしかめっ面でお嬢様の前に出るつもりか」
「……鏡がさんざん痛めつけてくれたクセに」
「好きでやっているわけじゃない。私は忙しいんだ。お嬢様の頼みでなかったら、お前の相手などに時間を割かれてなるものか」
「…………」
 一言不平を漏らせば、三倍の小言が返ってくる。「口八丁手八丁」って言うんだっけ、口は達者だし頭もいい上に、鏡はイヤになるくらい強い。 あれ、こういうのって「文武両道」だったっけな。
「どっちも間違いだ」
 ――あれ?
「……今、声出てた?」
「出ていた。少しは気を付けろ、余計馬鹿を晒すだけだぞ」
「………………」
 ほら、これだ。藍羽さんの前じゃ、絶対こんな言い方しないクセに。痛む肩をさすりながら、勢いを付けて上体を起こした。
 気配を感じて鏡が振り向く。眼鏡がきらりと光る。一時間の朝練にみっちり付き合っておきながら、こっちと違って息ひとつ乱れていない。悔しいけど、強い。段違いに。
 全員が現役自衛隊員にも勝てるレベルだという(藍羽さんはごく普通のことを言う口調でこれを教えてくれた)メイドさんたちは、 朝食の用意があるからといって、いつも一足先に朝練を切り上げる。だから最後の15分は、鏡ひとりにみっちりしごかれることになる。
 ……で、それが、教えてくれているというよりはいじめられているに近いんじゃないかというくらい手厳しい。終わると毎回、汗だくの上にずたぼろだ。 しかも、「お嬢様に心配をかけるな」とか何とかで、ちゃんと着替えて傷の手当までした状態でないと食堂に入れてもらえないんだからヤになる。
「起きられるならさっさと着替えろ。朝食の時間まであと5分もない。お嬢様をお待たせする訳には行かないからな」
「……鏡ってさ、」
「なんだ」
 説教を遮られて若干、むっとしているような声音。不機嫌になりたいのはこっちだよ。気持ちが思わず顔に出て、唇を尖らせてしまったまま続ける。
「俺のこと嫌いだろ」
「は?」
 小馬鹿にしたように跳ね上がる片眉の形が涼しげだ。……あーまったく、腹立つな。
「いくらお前が馬鹿だと言っても、私に好かれたがっているとは思わなかったぞ。大体、そんなことを確認して何になる」
 ごもっとも。ごもっともだけどさ、でもさ。
「別に、好かれたいとか思ってるワケじゃないけど。聞いてどうするんだってのも、まあ、どうもしないんだけどさ……でも、」
「でも?」
 怪訝そうな顔に向かって、言った。正直に。
「……鏡に嫌われるのって、イヤだ」
 成り行きとはいえ、一緒にアシと戦っている仲間なのに。
「……ふん。ばかばかしい」
「バカバカしくねーよ」
 むっとする。少しは声を荒げてやりたかったけど、まだ息が整い切ってないからやめにした。……情けない。
「私の立場を考えれば、少しくらいお前を疎ましく思ったって当然だろうが」
「……時間を無駄にさせてんのは、謝るけど」
「そんなことを言ってるんじゃない、」
 涼しげだった眉が苛立ったようにひそめられた。不謹慎だけど、澄ました顔よりこっちの方が、なんていうか人間味がある。
「じゃあ、俺がバカなのが気に入らない?」
「……本当に馬鹿だな、お前」
 うわ、これでもかってほど軽蔑した口調で言ったよこの人。確かに自分でバカだとは言ったけど、こうもはっきり言われるとちょっと腹が立つ。 さすがに文句のひとつも言ってやろうと思った途端、真剣な目で鏡が続けた。
「この通りの馬鹿で察しも悪いし反射神経も人並み、体力だけはあるが配分を知らない、力の使い方も筋肉の動かし方も完全に素人の癖に、悪石を倒せるのはお前だけなんだぞ」
「え?」
 それが、何。
「幾ら私が努力したところでどうにもならなかった力をお前が当たり前に持っていて、当たり前に行使していることを憎たらしいと思って何が悪い?」
「……えーと」
「いっそお前がもっとどうしようもなく嫌な奴だったら話は簡単なんだ。 なのに結局、お前は馬鹿ではあるが嫌な奴でも悪人でもなくて、助けられた事実もあれば、お前がいてよかったと思うことすらちょくちょくあるのが現状だ」
「はぁ……」
 バカだバカだって連呼されてるけど、内容的にはけなされてるワケじゃなさそう……だよな、これ。
「多分、憎たらしいのはお前じゃないんだ。……別に、お前を嫌っている訳じゃない、役に立たない自分が情けなくて腹が立つ、 お前を疎ましく思うこと自体が己の未熟さの表れだと分かっているから余計苛々するだけで、全く、こんなふがいない状態で、どうやってお前に好意を持てというんだ!」
「………えーっと、」
 なんか、やたら長いセリフだったけど。
「難しいこと考えてるんだなー、鏡って」
「………………お前な」
 ぷつっと糸が切れたみたいに、鏡が地面にへたり込む。……喋り過ぎて疲れたのかな。
「よく分かんないけど、とりあえず俺、嫌われてるワケじゃないってことだろ?」
「…………」
 あれ、違った? ちょっと不安になり始めたくらいのタイミングで、鏡が深々と溜め息を吐く。
「……真面目に相手をしている自分がばかばかしくなってきた」
「っつーか、」
 バカ、ってもしかして単なる口癖なのかもな。そんなことをぼんやり思い付きながら、同じ高さになった目線を合わせて言ってみる。
「俺はたまたま、ああいう力を持ってただけで……藍羽さんがいなかったら、アシを倒すとか以前に、迷惑なだけだったし。 鏡みたいに、頭がよくて、成績もよくて、強くて、何でもできて頼りになる方が、たぶんずっといいと思う」
「…………」
 何が言いたいんだ、と言わんばかりの顔。あーどうせ俺はバカです、思ってることをそのまま言っただけで伝わるようなすっきりした頭じゃありません。
「あー、だから、なんて言うか……鏡は鏡だし、俺は俺だしさ。一緒に戦えたら、それでいいんじゃないかな」
「月並みだな、」
 鼻で笑おうとしたらしいところに、いちばん言いたかったことを放り込む。
「いいんだ。だって俺は、鏡のこと頼りにしてるから」
「っ、」
 ……あれ。今、ちょっと珍しいもの見た。一瞬で消えたけど、あの微妙なカオ、たぶんこの人、照れたんじゃないか?
 藍羽さんに話してみたら、きっと「そうですよ」って言って笑ってくれる気がする。あー、これは結構、楽しみになってきた、かも。
「……何をへらへらしている。そんなみっともない顔でお嬢様の前に出るつもりか」
「ちょ、みっともないって何だよ!」
「何度も言わせるな、さっさと着替えろ! お嬢様をお待たせするようなことになったら、明日は朝練を30分延ばすからな!」
「えっ、ちょっと待って、……って!」
 ぱっと立ち上がった鏡の後を追って立とうとしたら、足がふらついてひっくり返った。……あー、すっごく空が青い。
「何やってるんだ馬鹿が、」
 やっぱり、バカって単なる口癖かもな。相変わらずの悪態を聞きながら、それでもちょっといい気分で空を見る。 疎ましいとか憎たらしいとかバカとかなんとか色々だけど、一応、嫌われてるワケじゃなさそうだって判ったから。
 起き上がった途端に目が合った鏡が、やっぱり少し微妙なカオをしてたので、明日からの朝練はもっと楽しそうだなんて、思った。

[2011年10月]