聞きたくない


「……、シンディさんじゃ、ないのね」
 顔を上げた今日子がぱちくりと瞬きした。にこにこと微笑んだまま、チャコールグレイのスーツを来たユーリ・タツヒラは今日子の正面に立っている。
 まあ、驚くのも当然だろう。彩・スタンフォードがAOI-ZIPと関わりを持つようになってからかなり経つ。 単独で訪れたことこそ数回あるが、専属ライターのシンディ・ワグナー以外の人間と組むのは、これが初めてのことなのだ。
「はじめまして、ミズ・キョーコ・アオイ。 お伝えしてあります通り、今回はMOVEではなくて、季刊の、EASY-DRIVERSの企画ですので、私、タツヒラがお話を伺わせて頂きます」
 自然な流れで立ち上がり、今日子は二人と握手を交わした。実を言えば、彩は毎回少し緊張する。 今日子の手は如何にもセレブめいた端整な美しさでありながら、なんというか、一種人を威圧するような、力強さを持っているからだ。
「EASYの取材は一年ぶりくらいかしら。固め? それとも柔らかめ?」
「かなり柔らかめですね」
「じゃあ、場所を変えましょう。この季節だと新館のカフェがいいわね、テラス席が空いていればそこで」
 くすくすと笑み交わして歩き出した二人の後を追って、彩は慌ててカメラを抱え直した。なんでこんなに気安い空気なんだろう。はじめまして、って言ってたじゃない、さっき。
「彩さん、」
 くるりと振り向かれてどきんとする。ダメだ、後ろめたく思う必要なんてないのに、今日子には無意識に気圧されてしまう。 彼女の方にそんなつもりがないってことは、もちろん承知しているのだけれど。
「写真の方はどうかしら? 明るさは足りてる?」
「ええ、充分です。むしろ室内よりキレイに写ると思います」
 ならよかった、と笑う今日子に、なんだか不思議な感慨を感じて首を傾げる。迫力と言うか威圧感と言うか、いつもの今日子らしさは今日も健在なのだけど。
 さて、この人は、こんなに気さくな雰囲気の人だっただろうか?
「あ、オーナー、いらっしゃいませ」
「おはようニーナ。暫くテラス席を借りるわね。ええと、私はミントティーで、彩さんは…ダージリンでよかったかしら? ファーストフラッシュで?」
「あ、はい、」
「じゃあ私は、えっと、緑茶ありますか? ジャパニーズグリーンティ!」
 だからなんで、そんなに気安くここに馴染んでしまえるんだろう。ユーリは楽しそうに両手の指先を組み合わせている。 手持ち無沙汰というのでもない、小さな子が上機嫌でいるような、そんな雰囲気だ。
「ユーリさん、ここは何度かいらしたことがあるの?」
「初めてですよ!」
 いや、ハジメテっていう態度じゃないでしょ。思ったのは今日子も同じようで、ちょっと面白がるような、笑いを含んだ色が瞬きした瞳に見えた。 長い睫毛。黒曜石の瞳はレース絡みの取材の時と違ってずいぶん気安く親しみやすそうで、なんだか複雑な気分になる。
「ミズ・キョーコのお気に入りですか? このカフェは」
「お気に入りというか、近いのよね、よく使うのは間違いないわ」
「オススメのランチあります?」
「本日のワンプレートがいつも美味しいわよ。頼むとスープがお味噌汁に変えられて、」
 ……すごいなぁ、この人。彩自身それほど親しい訳でもない、2歳年上の先輩記者を頷きながら眺める。会話が途切れないのだ。初対面なのに。 彩だったら絶対無理だ、初めて会う相手、それもこんな、堂々たる威厳の持ち主だったりしたら。
 運ばれてきたお茶もさりげなく受け取り、話の腰を折らずに渡す。その間にも程好い間隔で繰り出されるあれやこれやの質問に、今日子が気軽に、時折苦笑を交えて答えて行く。
「流石はプロフェッショナルね。すっからかんになるまで引っ張り出されてしまいそう」
「まだ本題には入ってないんですよー?」
「あら、雑談なの? これ」
 そうですとも!なんてけらけら笑って、さりげなくお茶に口を付けて。つられて今日子も、カップを口元に運んで。 賑やかな雰囲気は途切れない。のに、話は次のステージへ進む。見事だなぁ、とは、思うけれど。
「午後のご予定は、14時からテストでしたっけ? ご一緒しても構いませんか?」
「そうね、お見せできないところも勿論あるけど、待ち時間の間にスタッフのみんなと話してもらっても構わないわ」
「ありがとうございます! ドライバーはお二人とも?」
「ええ」
「そういえば、先々週のトークイベント、ブリード加賀のコメントはさすがでしたね」
「流石と言うか、ああいうこと仕出かしてくれちゃうから困るのよ……」
 あ、ヤだな。この感じ。ちりっ、と、ハートの縁が焼かれたみたいに痛む。
 だって、今日子の声は優しい。シルクハットから引っ張り出される万国旗みたいに、ユーリの質問にするする引っ張り出されていく、今日子から見た加賀の日常。
 一昨日の喧嘩の話。共謀して新条さんをからかった話。先月末の呑み会の顛末。ここのカフェでのお気に入りのメニュー。
「だってこの前のスナップ、あれ絶対ワザとですよね、原稿見た時点でみんな笑っちゃって!」
「分かっててやってるから尚更悔しいのよね、MOVEの他にも…」
 ヤだな。唇に力を込めて、俯く。言いたくなるのだ。答えてやりたくなる。
 だって、知ってる。加賀のことだから。加賀のことなら。知りたいと思ってるから、いつも考えてるから、いつでも。
 でも、答える資格を持つのは今日子だ。加賀本人でも無い癖に、まるで加賀本人みたいに。 彩が知りたくて、なのに知り得ないこと、雑談に任せて注意深く、けれど誇らしく、ヤだな、話さないで、そんな風に。
 私だけが知りたいのに、私だけが知ってればいいのに、
 ……誰よりも、貴女からだけは、聞きたくないのに。
 彼のことなんて。彼の話なんて。
 五月の風は快く、じっと落とした視線の先で、ダージリンの湯気が消えて行く。

[2015年5月]