親バカ以前の問題


 大袈裟な溜息の音に振り返ると、目が合った加賀がしみじみと言った。
「やーっぱ、留守番にお前引っ張り込んどいて正解だったわ」
「は?」
「俺より断然、三歳児の相手がうまい」
 首を傾げた新条の、背中にまとわりついているのは加賀の言った通りの三歳児である。 傍目には、年若い父親と幼い息子の微笑ましい父子団欒の風景に見えるだろう。
 だが実のところ、新条にべったりの男児は彼の子ではない――隣で図々しくくつろいでいる、加賀の実の息子である。 奔放な癖っ毛とやや吊り気味の目が、それを見事に証明していた。
「……それは単なるお世辞なのか、それとも感謝の科白なのか?」
「感謝カンシャでございますよー。さっすが、精神年齢がガキに近い」
「殴るぞ。勿論キョウくんじゃなくておまえを」
「あーん新条くんったら怒っちゃいやんっ!」
「やっぱり殴る」
「やん、イヂワルっ!」
「今日子さんに告げ口する」
「ごめんなさいマジで許して下さい」
 突然正座して深々と頭を下げる加賀に漸く溜飲を下げ、新条はお返しのように溜め息を吐いた。
 午後の陽射しが射し込んでいるリビングルームは暖かい。暖房の設定温度はそれほど高くはないのだが、子どもの相手をしていると、すぐに背中が汗ばんでくる。
「きょーこさんは相っ変わらず新条に甘いからなー。下手なコト告げ口されちゃかなわねーよ」
「……おれ、そんなに甘やかされてるか?」
「甘やかされてる。ときどき首絞めてやりたくなるくらい」
「おれに甘いんじゃなくて、おまえに厳しいんだと思うけどな」
「どっちにしたって俺が大変なのには変わりねーだろが。協力しろ」
「してるだろ、文句言うなよ」
 唇を尖らせた途端、きゃー♪と楽しげな悲鳴を上げて、背中から叶二郎が転がり落ちた。
「っとと! キョウくん、元気よすぎるぞ、」
「眠くなってぱたっと転がってくれりゃいーのにな」
「この様子じゃまだまだだな」
 抱きとめた腕の中で手足をばたつかせている叶二郎に、諦観をこめて息を吐く。
「男の子ってほんと、大変なんだな。瑞希とも優希とも全然違う。ハヤトがぼやくのも解るよ」
「子どもによるんじゃねーの? 確かにヒロトは手強いガキだと思ったけど、悠はそんなに手ぇかからなかったぞ」
「そうなのか?」
「叶はちっと体力ありすぎ。将来有望っちゃ有望か」
「おまえに似たのかな」
「や、案外今日子さん似かもな。今だって、いつ寝てんだかよくわかんねーんだよあのひと」
「……だろうな」
 改めて感心しながら周囲を見回す。小さな子どもを抱えながら月に数度の海外出張をこなしているにもかかわらず、相変わらず気持ちよく片付いた部屋だ。 乱雑さや適当さはなく、それでいて潔癖すぎる感じもない。
「まあ、悠が叶の面倒見てくれる分、前より楽だとは言ってるけど」
「忙しいだろうに、無理言っちゃって悪かったな」
「お前がムリ言ったわけじゃねーだろ」
「いや、そうだけど、うちの娘のことだから」
「女の子だったって結局、大変なんだよなー。たまの休みにこうやって、家から追ん出される羽目になるんだから」
「……まあ、男子禁制だからな、こういうのは」
 にやりと笑った加賀に、苦笑いで返す。本来ならくつろいで休日を過ごせる自宅では今頃、娘二人を含む女性陣がてんやわんやしている筈だった。
「大体うちなんて、女三人おれひとりなんだし、どう考えたってこっちが弱いんだよ」
「お気の毒ー」
 全く同情していない口調で加賀は嘯く。その加賀に向かって、叶二郎が機嫌よく手をばたばたさせている。
「しっかし早熟っつーかなんつーか。いくつだっけ、瑞希ちゃんは」
「8歳。小2」
「で、優希ちゃんが5歳か。悠よりひとつ下だもんな」
「そうだな」
「女ってのは、すーぐオトナになんだなぁ。小学校低学年の男なんて、喰うと騒ぐにしか脳みそ使ってねーのに」
「それは流石に言い過ぎだろ」
 苦笑して、でも、と続ける。
「ある程度、同感。そのくらいの時期って、女の子の方が大人なんだよな。優希もだけど特に瑞希は、この1年でいきなり育っちゃったって気がするよ」
「お年頃になっちまうのも、あっと言う間なんだろーなー? すーぐお嫁に行っちまうな!」
 きしし、と意地の悪い笑い方をする加賀に叶二郎を引き渡しながら、新条はむっと眉を寄せた。
「嫌なこと言うなよ」
「事実事実。かっわいーもんなぁ瑞希ちゃん。お前に似なくて賢いし、はきはきしてて元気だし、ありゃ絶対モテるよなー」
「…………」
「優希ちゃんもなんつーの、にっこにこしてて愛嬌があって、年上に人気があるタイプだな多分。 心配だよなー父親としては。一時も気が休まらねぇよな、気の毒にー。あー、俺んとこは男ばっかでよかったー!」
 きゃっきゃと嬉しげな次男を肩に乗せて、加賀は大袈裟に天に感謝してみせた。
「……腹が立つ」
「狙い通りだな」
「ったく、他人事だと思って」
「ヒトゴトだもーん」
 少年のような笑顔が腹立たしい。
「……おまえのとこだって、次が女の子じゃないとは限らないだろ」
「それはそーなったら考える。今は悩む必要ねーもん、全然」
「…………」
「まー実際気の毒だな! どこの誰だよ瑞希ちゃんの手作りチョコをもらえるなんて幸せなヤツは。やっぱあれか、同じクラスのナントカくんってとこか?」
「莫迦言うな、」
「ん? なんだよその偉そうな顔は」
「おれが貰うに決まってるだろ」
 胸を張って言い切った。 怪訝そうな顔をしていた加賀が一転、にたぁりといやらしい感じに笑う。
「……まったまたぁ。虚しい希望的観測持っちゃって」
「みきがそう言ってたんだから、希望的観測とかそういうんじゃない」
「へー、やっぱ母親には誰にあげたいとか何とか話すのか」
「まぁ、ああ見えてみきも、結構そういうの嫌いじゃないから」
 十代の少女だった頃から、男ばかりの世界で過ごしてきたみきである。却って「女の子らしいイベント」にはわくわくするのだと言っていた。 15年近くの長い付き合いの中で、バレンタインにくれるチョコレートには毎回、様々に工夫が凝らされていたものだ。
「あれ? でも、そしたらなんできょーこさんなんだ? みきちゃんと一緒に作ればいいのに」
 回想に浸っている間に、目の前の加賀は首を捻っている。ああ、と新条は頷いた。
「この前、ケーキ焼いて来てくれたろ、今日子さん」
「……? あ、あれか、みきちゃんの誕生日のとき」
「そう。あれを覚えてて、今日子さんはお菓子作りが上手いんだ!って、インプットされてるみたいでさ、瑞希。それで、どうしても今日子さんに教わりたいって」
「へー、そんな事情がねぇ。……フクザツだな、みきちゃんとしては」
「まあな」
 あたしもナオキの誕生日にケーキ焼いとけばよかった、とぼやいていたみきの顔を思い出して、少し笑う。
「それでも、久々に今日子さんと喋れるって嬉しそうにしてたから、まあいいんじゃないかな。実際あのケーキは美味しかったし」
「よく喰ってたよなーお前。主役のみきちゃんより絶対多く喰ったろ」
「おまえに責められる筋合いはない」
「そーだけど。……あんだけ旨そうに喰うとこ見てりゃ、そりゃ甘やかしたくもなるってもんか……くそ」
「ん? 何か言ったか?」
「いや何も」
 ふるふると首を振ってみせると、加賀は背中に体当たりしていた叶二郎をひょいと抱き上げた。
「ま、いーよな別に。俺らも瑞希ちゃんたちからおいしーのもらうんだもんなー、叶!」
「ユウくんキョウくんはともかく、正直おまえにはやりたくない」
「んなきっぱり言うっての」
 おいしーの!と歓声を上げて暴れる息子をうりうりうり、と抱き締めつつ、加賀がふくれっつらで抗議してくる。
「残さずちゃんと食べろよ。多少甘すぎたって、幾らか生焼けだったって、食べ残したりしたらおれが許さないからな」
「や、喰うけどさ。……けど、お前が口出すところかー?」
「娘を大事に扱ってほしいと思って何が悪い」
「あー、はいはい」
「はいは一回!」
「はーいっ」
 口調こそ素直に答えたが、その実叶二郎に両手を挙げさせたりして遊んでいる。まったく、とぼやいてから、新条はふっと溜息を吐いた。
「実際、こんなこと言ってられるのも今のうちだけなんだろうなってのは、……解ってるんだけど」
「あっと言う間だよな、子どもが育つのなんてよ。悠のヤツがもう小学校入るってんだからなー」
「そういやユウくん、そろそろ帰ってくるんじゃないか」
「あー、3時までっつってたっけ。ぼちぼちだな」
「あんなちっちゃかったのに、もうひとりで遊びに行ける歳なんだもんな……あっと言う間過ぎて吃驚するよ、本当に」
「優希ちゃんだって来年の今頃はそーなってるだろ」
「かな」
 嬉しいような寂しいような複雑な気持ちで、笑う。
「おーおー、思いつめた顔しちゃって。まさかホントに嫁に出すとこまで想像して暗くなってんじゃねーだろうな?」
「まさか」
 苦笑で否定して、でも、と新条は続けた。
「そのうち、風呂に入れてもやれなくなるし、一緒に寝てくれなくなるだろうし」
「まーな」
「いってらっしゃいのキスもおやすみのちゅーもしてくれなくなるし、『おっきくなったらどうするんだっけ?』って訊いても 『パパのおよめさんになったげる!』なんて言ってくれなくなるんだろうと思うと、……ちょっとな」
「……んなコト言わせてんのかよお前」
 うわぁ、と顔を顰めた加賀は、若干身を引き気味にして呟いている。
「……そんな顔するほどのことじゃないだろ」
「するほどだろ! 聞いてるこっちが恥ずかしーじゃねーかこの親バカっ」
「いちいち失礼だな」
 むっとしかけたが、ふと思い出したことがあった新条は一転、にやりと笑ってみせる。
「……まあ、キョウくんばっかり今日子さんと一緒に寝ててずるい、って駄々を捏ねてるようじゃ、親馬鹿の醍醐味は解らないんだろうけど」
 うげっ、と声にならない声を上げると、加賀は恨めしげに新条を睨みつけた。
「んの野郎、どっからそんな話……」
「ユウくんが言ってたんだ。よく見てるよなぁ子どもって」
「…………」
「結構前から思ってたけど、おまえって今日子さんが絡むと大人げないよな」
「ほっとけ」
 唇を尖らせる姿に溜飲を下げると、新条は改めて溜息を吐く。
「でも、本当にあっと言う間なんだろうな。瑞希の『およめさんになったげる!』なんて、あとどれくらい聴けるんだか」
「とりあえず指切りして、あと言質取っとけ言質。書面は難しいから、音声付の映像で。ちゃんと日付入れて」
「……おまえな」
「証拠は握っとくに越したこたーねぇぞ?」
 やけに活き活きとしてきた加賀に新条は、訝しげな視線を向ける。
「せめて記録って言ってくれよ」
「えー、契約関係を証明する重要な証拠じゃーん」
「大体、そんな証拠握って何に使うんだ」
「だからー、そのプロポーズを破棄されたときに抗議をだなー」
「必要ない」
「ホントにー? どっかの男のお嫁さんになっちまうってコトなんだぞー? お前のもんじゃなくなっちまうんだぞー?」
「必要ない。だって、おれには」
 表彰台に向かう時みたいに堂々と、胸を張って新条は言った。
「とっくの昔にみきがいるから」
「…………」
 少しの間きょとんとして、それから小さく吹き出して、加賀は面白そうに笑った。
「つまり、なんだ、お前の場合、――親バカ以前の問題ってワケか」
「ほっとけ」
 ついさっき聞いたばかりの加賀の科白を投げ返して、新条も誇らしげに笑う。
 二月の第二日曜日。愛の詰まったチョコレート菓子を待っている、男ばかりの午後は呑気である。

[2011年7月/for Ms. Akiraka as commemoration of 9999-hits]