つれてって(―― Drive me crazy.)
最新のオーディオシステムから、ノイズ混じりのHighway Star。相応しいんだか場違いなんだか微妙なとこだな、と考えて、加賀はちらりと隣を見た。
背筋を伸ばしてハンドルを握る、彼女の姿は凛々しいと思う。
女性は大人しく助手席に収まってるものだなんて思ってない。
自分の行きたいところには自分の力で行くのだし、誰かを連れて行きたいのならそれも自分でするべきなのだと思っている、たぶん。
「で?」
「で?って何よ」
「ドコ行くの?」
「野辺山」
「なんでまた」
「よく晴れそうだから。今夜」
「晴れるとなんか、いいコトあんの?」
助手席の窓から空を見上げて問うと、短い答えが返って来た。
「極大なの」
「……キョクダイって何」
「流れ星がすごくよく見えるってこと」
「……へー」
「納得した?」
「用語としては納得した」
「何に納得してないの」
ぴしりと額を叩かれるような問いを投げながら、視線は一点を向いたまま揺るがない。視線の途中、滑らかなガラスに進路変更を指示する表示が表れて消える。
フロントグラスに直接方向指示が映し出されるナビゲーションインターフェイスシステムはアオイが先陣を切って開発したものだ。
シンプルに見えて高級感を損なわない辺り、企業イメージの確保は流石というべきか。
「なんで流れ星なんぞ」
「好きだから」
「誰が何を」
「私が、星を」
「初耳」
「でしょうね」
話した覚えは全然ないもの、と嘯く横顔を窓に映しながら眺めている。
普段、彼女の愛車は真っ赤なGTRだが、今日のお供は発売されたばかりの小型HVだった。
コンパクトカーの癖にスポーツタイプという突っ張った新車は、如何にもアオイの車らしく滑らかに走る。しんしんと控えめな稼働音を響かせて。
柔らかく加工されたブリンカーの音が響き、車はするりと左側の車線へと移った。
「泊まるとこは?」
「友達がお店をやってるの。そこのペンション」
「男?」
「女」
「そっか」
「心配?」
「楽しみ」
「ならいいわ」
視線は真っ直ぐ前方に向けたまま、ふっと息の抜ける語尾だけで笑う。目の前に広がる空は底抜けに青い。ガラス越しに押し寄せる、夏の陽射しと休日の匂い。
「いー天気だな」
「全国的に猛暑日になるって言ってたわね」
「野辺山って涼しい?」
「そりゃもう」
「助かる」
週末わりと暇なんだけど、と加賀が言い出す時はいつも突然で、当然なんの具体的なプランもない。
私も特に予定は無いわ、と今日子が笑ったらその時からがプランニングのスタートだ。
行き先も旅の目的も、宿泊先も今日子が決める。
目的地までの最適ルートも、出発する時間も移動方法も。加賀はただ、言われた通りに今日子にくっついていくだけだ。
その代り、帰路は丸ごと加賀に任される。出発時間も寄り道もすべて。車の場合は当然、運転も。
だから目的地までの道々は、コースの下見にほぼ等しい。
軽口を叩きながらぼんやりと流れる景色を追って、それでも職業柄の冷静な目で、辿るべきルートの構成について考えている。
「暑い? 冷房、強くしましょうか」
「いや。行き先が涼しいんなら別にいい」
「いいところよ、空気が澄んでてさっぱりしてて。野菜と乳製品が美味しいの。
夏だと、ソフトクリームが沢山売ってて、あ、加賀くんはアイスは駄目よね、ごめんなさい」
「まぁ、一口もらえば十分。……前にも行ったことあんの?」
「今回で4度目」
「そっか」
背もたれに深く身体を埋める。正面を向くふりをして今日子の横顔を見る。
緩やかに編んだ長い髪と、涼しげな淡い色のサマーニット。珍しくヒールのない大人しめの靴は、運転の為だけでなく高原での避暑仕様というところなのか。
ヘンな女、と頭の中だけで呟く。いつ倒れてもおかしくないような働き方をしている癖に、誘えば幾らでも「行きたいところ」が出てくる。
それもすこぶる付きの意外な提案を伴って。
今回もそうだ。CF界に君臨する情熱的な女王様と、高原の夜の流れ星とがどうしても結び付かない。
まあ、あの大きな目の中に、星が幾つも映っては消えていく眺めは悪くはないか。
それでも個人的に言うと、目の中に映っているのは車のヘッドライトくらいの方が彼女らしいというか――
「ね、どんな感想?」
「へ」
唐突に訊かれて思わず座り直した。鎖骨の辺りでシートベルトが居心地悪く擦れる。
「感想って、なんの」
「この車の。乗るの、初めてでしょう」
「……ああ」
危うく今日子の横顔について語らねばならないのかと思った。小さく息を吐く。
「いーんじゃねーの、割と」
「誠意の無い回答ね」
「俺、ドライバーだもん」
「助手席の乗り心地なんか知ったことじゃない、って意味?」
「帰りになんか気付いたら言うよ」
「楽しみにしてるわ」
短く言って、アクセルを踏み込む。滑らかな加速。抵抗がほとんどないのが逆に物足りないが、反応はきびきびしてしかもスマートだ。
小型車だけあって、多分幾らかパワーは不足。都会的で現代的、癖も無ければ卒もない、素直な優等生というところか。
起伏のある山道よりも、平坦で開けた道を飛ばすのに向いているかも知れない。例えば海沿いの都市高速辺り。
けれど今日子の選んだ行先は海などない内陸部の高原で、オーディオからは古典的と言ってもいいようなハードロック。
ヘンな女。改めて呟く。
長い付き合いでもあるし、深い仲でもある。口うるさくはあるが気難しい性質ではないし、聡い割には単純なところもある。
それなのに時々、未だに掴み切れない、と思わされることがあるのだ。
振り回される。いとも容易く煙に巻かれて、足を掬われて笑われる。
ミラー越しにすら視線も合わせない。こちらを振り向きもしない。ただ真っ直ぐに前を向いて、楽しそうにハンドルを握って、目を細めてアクセルを踏む。
――それだけのことで見事に、加賀はどこかへ攫われてしまう。思いもよらないような遠くまで。
「……星ねぇ」
「流星群よ。ペルセウス座流星群」
「願いごとしたりすんの?」
「秘密」
「そっか」
そう、小さく笑んでハンドルを握る、彼女の姿は美しいと思う。
女性は男性の後ろをついていくものだなんて思ってない。
やりたいことがあるなら遠慮なんてせずにするのだし、誰かを巻き込めるものならばそれはそれで面白いなんて思っている、たぶん。
「加賀くんは?」
「ん?」
「何か願い事があるの?」
「お星さまに頼らなきゃいけないほど落ちぶれちゃいませんので、別に」
「そう」
ふふ、と笑いを含んだ語尾をはぐらかすように、加賀はぱたりと目を閉じた。
最新のオーディオシステムから、ノイズ混じりのSpeed King。
……あー、そうだな、星に願うことなんかないけれど、運転席の女王様にはひとつだけ。
"Come on, baby, drive me crazy,"
これからももっといつまでもずっと、どっか遠くまで連れてって――思いもよらないようなところまで。
く、とアクセルの踏み込まれる気配。青い空気を切り裂いて、加賀はどこかへ攫われていく。
[2011年7月]