食べて(―― Could I eat you, couldn't I?)
脂が焼ける、いい音がする。炭火特有の香ばしいにおいも。
薄い煙にぼんやり霞んだ店内を見るともなく見ながら、どうしてこんなとこに来てしまったんだろう、と、彩・スタンフォードは考えた。
「きょーこさんソレ早く取んねぇと硬くなるぜー?」
「まだでしょ、豚なんだからもうちょっとしっかり焼かないと」
「おっライス来た来た! ほい、重いぜー気ぃ付けてな」
「ありがと。キムチ、手届く?」
「んーだいじょぶサンキュなー。きょーこさん次何飲む? 空いてんじゃん」
「ウーロンハイ頼んであるわ。加賀くん生でよかったわよね? あとサンチュも頼んであるから」
「ほい、タレ。あ、トントロよさそうだからそっち載せとくな」
「ありがとう。加賀くんは野菜ももうちょっと取りなさいよ、ほら、葱あげる」
「さっきカボチャ喰ったからもういいって」
「いいわけないでしょ、あっ、こら、椎茸を退けるんじゃないの! ……ああ、彩さんは? ご飯のおかわり要る?」
「いえ……もう、オナカイッパイです……」
そうですとも、二重の意味で(こういう使い方であっているだろうか?)。
なんなんだろうこの人たち。夫婦か。夫婦なのか。
どうしてこんなとこに来てしまったんだろう、と、彩はもう一度タレの染みた割り箸の先っぽを噛んだ(未だに握り箸は治らないが、文化圏が違う所為だ、そこらへんは勘弁して頂きたい)。
屋内型のBBQみたいなもんだ、と説明されていたけれど、どうも雰囲気が違いすぎるんじゃなかろうか。
簡単なダイナーでも、それなりのリストランテでもいい、どっちにしろもっと落ち着いた夕食を取るつもりだったのに。ふたりで。
シーズンオフだから、少しは時間にもカロリー制限にも余裕があるんじゃないかなんて思ったのだ。
顔を見る事自体久しぶりだったし、少しくらい独占出来たらと夢みたいなことを考えたのも否定しない。
「あー、ワリ、今日先約あるんだわ」
そこまではまだよかった。ものすごくがっかりはしたけれど、別に困惑するようなことではなかった。
「久しぶりだし、彩ちゃんと話せりゃいいなと思ってたコトもなんだかんだあんだけどさ……」
ここまでもまだよしとしよう。社交辞令だとしても、残念がってくれていたのだし。
「あ、んじゃ、一緒行くか?」
ここだ。今思えば、問題はまさにここだった。
今夜は時間に余裕がある、ホテルではなく外で夕飯を済ませるつもりだった、色々情報交換もしたい、と、ここまでに打ってきた布石がすべて裏目に出た。
――断る理由を見つけられない。
「今日子さんに焼肉おごってもらうことになってんだ、これから!」
満面の笑みでとどめを刺されて、彩はがっくりと項垂れるように頷いたのだった。
それが数時間ほど前のこと。
男には(※新条除く)厳しいが女には優しい今日子だ、奢りの対象が突然ひとり増えたことに対する反応は鷹揚で、寧ろ場が賑やかになることが嬉しそうだった。
「せっかくのふたりきりを邪魔された」というような雰囲気は欠片も読み取れない。
いや、そもそもそんなことを考えているのか、どうか。
嫉む筋合いもない筈の彩の方が寧ろ「せっかくのチャンスだったのに」などと浅ましいことを考えてしまう。
一緒に焼肉屋に行く男女は云々、とか、日本では言うらしいけど(MOVEはゴシップ誌ではないのだが、こういうことにやたらと詳しいシンディからの情報である)、
そもそも噂話ばかりが一人歩きしている感のある彼らだ。実際のところどういう関係なのか、一応は部外者である彩には判らない。
友人にしては仲が好すぎる気もするし、恋人にしては距離がありすぎるような気もする。
他とは違う特別な間柄なのだろうとは思わされるのだが、どう違うのかが掴めないのだ。
知ってしまうのが怖い、と尻込みする気持ちも確かに、あるのだけれど。
まあ、実際の関係性はともかく、やりとりだけを見ている分には熟年夫婦以外の何物でもない。
お互いの好みを完璧に把握し合っている辺り、見ている方が徒労感を覚えるくらい。
ちょくちょく加賀が今日子の世話を焼いたり、今日子が加賀の食事マナーを窘めたりしつつ、
同じくらいのペースでかわるがわるグラスを干し、絶妙のテンポで注文を投げてはすいすいと皿を空けていく。アルコールの量もそれなりに。
彩自身はほろ酔いに差し掛かるくらいのところだが、今日子の口調が僅かに舌っ足らずになってきたことで、ああ、彼女も酔うんだな、などと思う。
加賀の方はまだ余裕がありそうだ。今日子は酒にも強いと思っていたけれど、こうしてみるとやはり男女差は歴然というところだろうか。
「加賀くん、トング、」
「んー? いーよ取ってやる、ほら」
「ありがと、あと、」
「タンはまだ早いから先ハラミなー。ほい。あ、ウーロン茶そっちです、マッコリはこっち。次の注文もいーすか? 彩ちゃん次どーする?」
「あっ、ええと、お茶がほしいかも、」
「んじゃウーロンふたつ、片方はホットで。で、いいよな今日子さん? あとクッパください、取り皿3つー」
「……加賀くん、」
「んー、だいじょぶ、デザートは次頼むから。あ、注文以上で!」
今ので今日子がデザートを要求していることが判ったのか。概ね「加賀くん」しか言ってないのに一体どういう耳をしているのか。感心どころか呆れてしまう。
今日子の方はいよいよ酔いが回ってきたらしく、背筋が頼りなくしなだれて、眼差しも僅かに緩んで見える。
熱いのだろう、鬱陶しそうにシャツの襟元を寛げる仕草がやけに扇情的だ。布地の隙間から覗く首筋が、案外柔らかそうな肉付きをしていることにどきりとする。
――美味しそう。
なんて不埒な考えが脳裏を掠めるのは、呷り過ぎたアルコールの所為だろうか。それとも彼の気配に無意識に煽られている所為なのだろうか。
あ。目が合った。ばしりと音を立てるようにして、ぶつかった視線が弾けて飛んで、そうして彩は唐突に悟った。
にんまりと、満足そうに笑った彼の口元から、尖った犬歯がちらりと覗く。噛み千切り、突き刺し、引き割く為の一揃いの器官。
けれどもしかするとそれは、脂の乗った豚の肉や血の滴る牛の肉に噛み付くためではなくて、そうではなくて、ああ。
そこでうっすら色付き始めた、薄く白く生々しい皮膚の下の、あの――
(――今気付いたこと、ナイショな?)
口の動きだけでそう言って、加賀は人差し指を口に当てた。薄く吊り上がる唇の端から、整った歯並びが不埒に光った。
[2014年3月]