託す
随分好みが変わったのね、と不思議そうな顔をされる。別にそういう訳じゃない。好みそのものは変わっていない。必要とするものが、選ぶ基準が変わっただけだ。だから性癖も変わった訳じゃない。必要に迫られているというただそれだけ。
邪魔にならないよう両手をまとめ上げて、頭の上で大雑把に縛る。声を出せないように口を塞ぐ。目が合わないよう、目も塞ぐ。清純ぶった下着は着けさせない。名前を呼ばせない。呼んで欲しいとも言わせない。喘ぎ声も極力抑えさせる。大概の女は、その無茶な要求に余計悦ぶ。可笑しくて、頬が歪む。バカな女。それに相応しい、バカな男。そうだ、馬鹿だ。自覚してんのにな。可笑しくて、可笑しくて、なんだかもう、泣いてしまいそうだ。
明かりを落として、目を閉じて、目の前に転がっている気配を抱く。くぐもった喘ぎ声は口に噛ませた布の中に沁みて、外へはほとんど漏れてこない。上出来だ。視覚を拒み、聴覚を拒み、脳内でイメージだけを膨らませる。気付かれないように見つめては溜め込んできた、イメージ。それでも、彼女だと錯覚するには足りなくて。もどかしい。
髪を指に絡ませながら、小さな頭を抱え込む。髪の感触――こんな風だろうか? 長さは多分、同じくらいだけれど。彼女の髪は豊かで、そう、幼い頃から大事にされてきたんだろうな、と思わせる、艶やかで活き活きとした栗色で。歩く速度が速いから、いつも背中で躍っているように見える。
おさげやポニーテールだったらひょいと引っ張って笑ってやることも出来るのに、あの気品ある栗色の波を無闇に引っ掻き回すなんてことは流石に不可能で。だから想像するだけだ。手の中の髪は、シャワーの余韻でまだ湿っている。見た目から予想していたより、細い。彼女の髪はきっと、もっと強くて弾力のある――存在感のある髪だろうに。
額に口付ける。彼女の、あの、形よい、聡明さを思わせる額。内側には、機転の利いた皮肉と軽口が詰まっている筈の。からかい顔で弾いたことは何度もある。本当はずっと、唇で触れてみたかった。感触はこんな? 分からない。反応は? わからない。どんな顔をするんだろうか。
腕の中の気配が身を捩る。欲しがっているのはもっと直截的な刺激だ。分かっている。けれど、深い口付けなんか、くれてやるつもりはない――唇に触れてやるつもりもない。余計な声が漏れないように、布で塞いでおけば充分だ。だから代わりに、きっと自慢なのに違いない、重たげな胸に触れてやる。
乱雑に掴み、握り、好き勝手に遊んで、時々お望みの刺激を与えておく。腰が捩れ、息が上がり、馬鹿馬鹿しいほど簡単に、感じる。くだらない。閉じた瞼の裏で冷笑する。本当は? 彼女ならどんな風に、応える? どんな感触を、どんな形を味わわせてくれる? スーツの下で窮屈そうに揺れるあの胸は、流れ落ちそうに柔らかいのだろうか、それとも、彼女の気性そのままにつんとして凛々しいのだろうか。わからない。
けれどたぶん、こんなんじゃない。手の中でだらしなく形を変える丸みは重たくて、愚鈍ささえ感じさせる。もっとも、そういう重量感のある胸は割と好み、の筈だったのだけれど――。
そう、好みが変わった訳じゃない。選ぶ基準が変わっただけだ。必要なのは、屈まなくても額に口付けられる程度の長身。女らしい、程好い丸みのある身体つき。長い、緩やかに波打つ髪と、品のいい香水――それから、綺麗な、すっと伸びた首筋。
彼女を感じさせるもの。少しでも。想いを託す、その手掛かりになるもの。
腕の中の気配が、苦しげに顎を上げた。指でいじられるだけでは足りない、と、そう言いたいらしい。――もっとも、声は布に押さえつけられて全く意味をなさなかったが。
まったく、バカな女。こんないじられ方で簡単に感じて。繋がってやれば、あっという間に達してしまうだろう。その後のことなど知らない。名を呼んでやるつもりも、目を覗き込んでやるつもりもない。追い出すだけだ。
せいぜい役に立ってくれ。声に出さずにそう言って笑い、一気に内部を刺し貫く。
「ん……!」
「黙っとけよ。……余計な声出したら、抜くぜ」
くぐもった悲鳴に冷徹な声をぶつけてから、また聴覚を締め出した。声も眼差しも、彼女とは似ても似つかない――比べたくもない。
ただ、抱き締めた腕の中の感触だけは、悪くない。
ちょうど重なる程度の、長身。丸く女らしい、薄く脂肪のついた腰。重たげな胸。華奢な首――ああ、そう、意外なくらい無防備な、首。
目を閉じたまま唇を落とす。舌を這わせて、噛み付く。女の体が跳ねる――声は出すな、と、片手で口を塞いで分からせる。余計なものは締め出して、イメージだけを膨らませる。
彼女を、抱いたら。彼女を抱けたら。こうして抱けたら――きっと――きっと、こんな風に――
「…………っ」
言われた通りに声を殺して、腕の中の女が喘ぐ。彼女なら、と想像して、強く抱く。内側を抉る。傷が残ってしまいそうなくらい。
彼女なら。本当にこれが、彼女なら。
本当は。本当はいつも。
本当はいつも、いつも、いつもいつもいつもいつも彼女を、彼女を、彼女だけを、近くて、親しくて、なのに触れられない、許されない、汚れない遠い遠い遠い遠い彼女を、あのひとを、あのひとを、あのひとを抱きたくて触れたくて抱きたくて抱きたくて抱きたくて、いつもいつもいつもいつもいつも――
耐えられ・ない。
「っ、く、」
喰いしばった歯の間から、声が漏れる。抑えておけなくなった本心が。本当はいつも、呼び・たい――あのひとの、名前が。
「……、ん……!」
崩れる。聞こえないように、声にしないように吐き出しながら、崩れ落ちる。
意識が絶壁を滑り落ちる、その最後の一瞬だけ――
幻覚の中で彼女と重なる目の前の身体を、ただ想いを託すだけのその身体を、縋るように強く、抱いて。
[09年8月]