ごきげんななめ
1、あすかが。
「……うわぁ」
「なによその失礼な反応」
「だって、あすか、一応医者の卵だろ? ちょっと酷いよ、この環境」
「病人なの! 普段はちゃんとキレイにしてるの知ってるでしょ!」
「そもそも病気こじらせちゃってる時点で、自己管理どうなのって思うけど?」
ここ数年、メンタルも含めて文句なしの自己管理ができているらしいチャンピオン様は、まあ随分と偉そうな口を利くものだ。
ああ、頭ががんがんする。背筋がぞくぞくする。カラダの不調に引きずられてただでさえ機嫌が悪いのに、やけに楽しそうなハヤトを見てると段々腹が立ってくる。
「ま、どんなに気を付けたって風邪引くときは引くからね。早く治してよ」
飛行機のチケット取っちゃってるしさ、と続けて、漸く気付いたみたいに上着を脱いだ。部屋の気温はだいぶ高めに設定してある。寒気の所為でよく判らないけど。
「取り敢えずおかゆ作るよ。あ、汗どう? 先に着替える?」
「……あとでいいわ。どうせ、食べるとき起き上がらなくちゃいけないし」
「そうだね」
ぶらさげてきたショッピングバッグの中から、手品みたいにモノが出てくる。あ、生姜なんて見るの久しぶりかも。
「…ハヤト」
「なに、あすか」
「……伝染らないように、がんばってね」
ぷ、と小さく吹き出してから、伸びてきた手が額を撫でた。
「お心遣いどうも。大丈夫だから、寝ててよ」
「ん」
ちょっとだけ気分は悪いから、まだありがとうは言わないけど。
わかってるよって言いたいみたいな顔で、台所に向かうハヤトはこちらにウィンクしてみせた。
2、新条が。
扉を開ける音がいつになく乱暴だったので、あ、これは荒れてるな、と思った。
廊下を近付いてくる足音が荒い。真っ先に聞こえる筈の「ただいま」の声もない。
ばん!と音を立ててリビングの扉が開いて、筆書きで“不機嫌”と記されているかのような顔で彼が突っ立っていた。
「おかえり、ナオキ」
「……ただいま」
地を這うような声音。うーん、相当機嫌悪いな。
議論も愚痴も吹っかけて来ない辺り、本業絡みじゃなくて何かどうでもいいような話かな、それも、本人も自分が大人げないだけだってきっちり自覚しちゃってるような。
「お茶淹れる?」
「いい。……寝る」
おお、不貞寝モード。まあ本人がそれで落ち着くって言うんなら止めないけど、まだ5時にもならないのになー。
「あれ、そっち、」
寝室じゃないけど。って声に出すより早く、ざーっと水の音がして、それからからころうがいの音。
まだ少し荒い足音が暫く行ったり来たりして、とたとたと階段を登って行く気配。
笑ってしまう。帰ってきたら手洗いうがい、コートはきちんとハンガーに。マフラーとコートは所定の棚、玄関先の靴だって多分、きれいに揃えられているんだろう。
どんなに不機嫌でも、こういうところは丁寧なんだよねぇ。ご両親の育て方がよかったんだろうな。
さて、どうやって元気になってもらおうか。ショッピングバッグを引き寄せながら、夕飯の献立について考えた。
3、今日子が。
「これ、」
つきだす右手にビニール傘。きゅっと強めに握られた拳。見上げてみたら、綺麗な眉毛の間のところ、やけに力が入ってる。
「ありがとう。助かったわ」
「……あー、」
なんだ、それか。別によかったのに。だってどうせ100円ショップで買ったヤツだ。
一緒に入ってくってほどの大きさじゃないし、雨ならともかく、雪なら傘は要らないし、
だからぽんと渡して自分はさっさと走って帰ってきてしまった。その程度の出来事だ、一昨日の夜のことなんて。
「たいしたコトしたワケじゃねーから、別にいいって」
「何がいいのよ。ほら」
「?」
「返すわ」
「返すって、」
こんな安ーい、ビニール傘を? 生粋のお金持ちの、あんたが?
「なんでそんな意外そうな顔してるの」
「や、だって100円だぞコレ?」
「それが何」
「この程度のもん、アンタにとっちゃどーでもいい値段だろ」
「……守銭奴の筈の貴方から、そんな台詞が出るなんて」
あれ、なんでだ。眉間のところに縦じわが寄って、なんだかますます不機嫌な顔。
「大体、値段どうこうの問題じゃないでしょう」
「えー?」
「手をつけたなら大事にしなさい。これだって、“貴方のモノ”なのよ?」
なんたる頑な、なんたる真面目。上から目線の説教が、なんだか妙に可愛く思える。
思わず頬を緩めたら、ますますきつく睨まれた。
4、修が。
溜め息の奥に僅かに不穏な気配があって、珍しいから顔を上げた。
指の方は今もかたかたとタイプ音を響かせているけれど、視線に気付いた彼もまた、こちらの方を振り返る。
「……もしかして、心配してくれているのかな」
「そうね」
視線をモニタに戻して半秒、確認を済ませてもう半秒。エンターキイを叩き込み、ソファに沈み込もうとする彼の姿に目を向ける。
「頭痛、悪寒、鼻づまり。測ってないけど熱っぽい。隠しているけど喉も痛い。恐らく風邪のひきはじめ」
今度は両手も休ませて、椅子ごとくるりと向き直った。
「…と、いうところ?」
「怖ろしいな、君は」
苦笑いが幾らか鼻声なものだから、やっぱり、とこちらも苦笑する。
「気分が悪いなら、早く帰った方がいいわ」
「そうしたいのは山々だが」
「問題でも?」
「自力で帰れる気がしない」
やれやれ。思ったよりも重症らしい。
「迎えを呼ぶ?」
「君が運んではくれないのか」
「あら、伝染されるのはごめんだわ」
「だろうな……。…?」
力なく笑って目線を上げた彼が、ふと怪訝な顔をした。
「どうかして?」
「…どうして、急に不機嫌になるんだ」
おや、そう見えるのか。重症の割によく気付く。実際、向けられた視線は平静で、そう症状が重いようにも見えないし。
だから、苛立ってしまうのも無理はないだろう、だっていつの間に、こんなに隠し事が上手くなったのか。このクレア・フォートランが見誤ってしまうくらいだなんて。
「片付けるまで、待ってて」
膝掛けの毛布を放り投げ、もう一回モニタに向き直る。すまない、と呟いた声が鼻声で、キイを叩く手の速度が増した。
[2015年1月]