同類アドミッション


「ありがとうございました」
「おー。とりあえず気を付けて帰れよ。で、今日はさっさと寝ろ」
 その後に、んでもって明日は頑張れよ、という言葉が隠されているのを聴き取って、俺は小さく笑った。 職員室にいても少し寒かったが、廊下に出ると凍えるほど寒い。大寒間近のこの季節、受験生の正念場。不穏なことに、夜空には雪の気配さえ感じられる気がする。
 かじかむ手で鞄から携帯電話を取り出した。メールゼロ、着信ゼロ。新規メール画面を立ち上げて、送信履歴のトップに残っているアドレス宛に文章を作る。
[教室で返せなくて悪かった。おまえんち寄って渡す。今自分ちにいる?]
2分と経たずに返事が届いた。
[体育館]
「…………学校にいんのか、あいつ」
 マフラーを巻き付けて階段を駆け下りる。向かう先の体育館には、なるほど、まだ灯りが点いていた。


 俺が部活を引退したのは、3年の夏の終わりだった。IHの終了を区切りに選んだのだ。
 正直、スタメンどころかレギュラーでもない立場だし、4月の時点で止めていたって別に良かった。 部活動実績が進路に直接影響するような推薦組なら話は別だが、俺の選択は一般受験一本で、しかもセンター試験の結果が不可欠なのだから。
 それでも部活を止めなかったのは、――結局のところ、好きだったからだろう。好きだ。今でも。
 体格に恵まれたメンバーの多い秀徳高校バスケ部で、自分の身長はそう高くもない178cm。目立った長所や実績がある訳でもない。
 けれど、他人より少しだけ誇れる事柄がひとつあって、それが、3Pシュートの成功率だった。
 ……だから、3年生のSGが抜けたそのあとは、俺がレギュラーに選ばれるんじゃないかって。
 俺自身も、周囲も、思っていたのだ。
 アイツが入学するまでは。


 体育館入り口に、黒い人影が佇んでいる。ひとり、二人、3人。どれも長身だ。なんとも見慣れた後ろ姿。
「宮地」
 呼ぶと、俺よりも幾らか高い位置にある頭が振り返った。派手な金髪も険悪な目つきも相変わらずだけれど、俺だと判ると少しだけ視線が柔らかくなる。
「なんで体育館なんかにいるんだよ。とっくに帰ったと思ってたのに」
「おまえがシオザキんとこ行くの見えたから、どーせ7時までやってくんだろうと思ったんだよ。オレは別に暇だし」
 早々に有名私立大学への推薦合格を決めた宮地は余裕を滲ませた態度で笑う。別に腹も立たないのは、宮地なら当然と思う部分があるからだ。 スポーツ特待生として云々ではない、日頃の成績が優秀だからこその合格。
「そうか。悪かったな」
「別に悪かねーよ」
「じゃあ、ありがとうって言っておく。これも。ありがとな」
 長いこと借りっぱなしになっていたCDアルバムを手渡した。所謂「ドルヲタ」であることは知れ渡っている宮地だが、意外とフツーに洋楽なんかも聴いていたりする。 ……まあ、宮地が最近気に入っている女性アイドルが、プレゼンターを担当している英会話番組内でオススメしていたというのが購入動機らしいが。
「おー。ちったあ役に立ったか?」
「たぶんな。覚えたのが出りゃいいけど」
 入試頻出のフレーズやら構文やらを使った英語の歌を詰め込んだ、受験生向けの学習応援CDなのだそうだ。 教科書の例文は忘れても、好きな歌の歌詞なら忘れない。そういうことらしい。
「そうか、明日だったな」
「早く帰んなくていいのか?」
 ひょいと振り返って口を挟んできた大坪も、気遣わしげな声音で問うた木村も、それぞれとっくに推薦での進学が決まっている。
 当然と言うより、無理もない。12月まで日本一を目指してハードな部活を続けていれば、まともな受験勉強など不可能だ。 逆に言えば、まともな受験勉強をしようと思ったら、さっさと引退するしかないということ。そりゃそうだ。ここは名門秀徳高校の、男子バスケットボール部なのだから。
「っても、いつも通りに寝ていつも通りに起きりゃ間に合うし。つーかお前らこそこんな時間まで何してんだ」
「センパイたち、ずーっとここで遊んでたんスよ。オレらが必死でメニューこなしてる横で!」
 ヒドイでしょー、という訴えにくくっと小さな笑い声を交ぜて、高尾がひょいと話に飛び込んできた。 こちらはいつも通りに居残り練習をしていたのだろう、まだ額に汗の気配が残っている。
「遊んでって……その恰好でか?」
「止めたんですが、聴いてくれなかったので」
 ぶすっとした声は緑間だ。呆れ切った眼差しが指している3年生の元スタメン3人は、いつも通りの学ラン姿――しかも足元は、上履きだ。体育館履きですらなく。
「お前ら……なんつー恰好してんだよ……」
 床傷めたらどーすんだ、と言ったら、遊ぶ時は靴下だから大丈夫、と来た。1月末の冷えた体育館で、 靴下一枚でバスケットボールを追い駆けて「遊んでた」なんて言ってしまう辺り、こいつらも大概馬鹿だ。バスケ馬鹿。まあそれでこそのこいつらだが。
「他人の心配してるより、急いで帰った方がいいんじゃないか。風邪引いたら元も子もないぞ」
「本番前は早く寝た方がいいんだろ、試合と同じで」
「みんなやさしーなぁと感激した方がいいのかお前ら全員おかんか!とツッコんだ方がいいのかどっちだ」
「センパイ中途半端に律儀!」
 ぷくく、と楽しげな声を上げて高尾が笑う。そう言えばこいつと口を利くのも久しぶりだ。少し背が伸びたのか、記憶にあるのと目線の噛み合い方が違っている気がする。
 緑間も。こちらの身長はそう変わらないが、前よりも雰囲気は柔らかくなった。不機嫌な顔と不機嫌な声をしているのに、その中に微かに隙がある。甘えにも似た気安さの隙。
 ちょっとカワイイ、なんて思う。不思議なもんだ。俺の、レギュラー入りの夢を粉々にしてくれた張本人なのに。
「冗談はともかく、……あの、風邪は引かないように、してください。今日は特に寒いので」
「体調管理も尽くせる人事のひとつっスからねー!」
 そんな後輩どもの言うこともまあ、もっともだ。素直に帰るか。そう思って宮地たちを見やれば、あ、オレらも帰るわ、と口々に頷いてみせてくれた。 高尾と緑間はこのあと片付けをして着替えて、それからやっと帰るのだろう。点々と転がっていたボールを拾いに歩き出している。
「あ、そーだ。お前さ、」
 ふと、宮地が振り向いた。俺と目が合うと、顎でくいっと緑間の方を指してみせる。
「せっかくだからアイツに触ってけよ」
「……は?」
 なんでだ。発言の意図が呑み込めない俺に、宮地は事も無げに言い足した。
「エース様だからな。アイツのシュートは、「「「「絶対、落ちない」」」」
 決めゼリフを言うように全員の声が重なる。なんで高尾までニヤニヤしてんだよおい。が、当の緑間は憮然とした顔でボールを籠に放り込んでいる。
「……オレはラッキーアイテムではありません」
 いやそりゃそうだろ。アイテムって「物」なんだし。あれ、「項目」とか「特徴」とかいう意味だったっけっか、 なんてうっかり受験生らしいことを考えてみてるその間に、片手にモップを持った緑間がずんずんとこちらへ近付いてきていた。
「因みに、明日の獅子座のラッキーアイテムはのど飴です」
「割とフツーだな」
「冬っぽくていいんじゃないか?」
 鬼畜チョイスで有名なおは朝にしては確かに穏便な内容だが、緑間がナチュラルに俺の星座を把握してることには誰も突っ込まないのか。そうか。
「…長坂先輩」
 195cmの高みから見下ろされて俺はたじろぐ。なんというか、緑間の目には遠慮がない。曇りがない分、残酷なくらい率直で、胸がきりきりするくらい不躾だ。
 その透明な瞳が数回瞬いて、そして、緑間は俺に右手を差し出した。
 真っ直ぐに。躊躇いなく。俺に向けて伸ばされた、手。
「………、」
 魅入られたように、手を伸ばした。手のひらが重なる。握り締められる。握り締め返す。筋肉質で、指の長い、そして不思議とひんやりとした手だった。
「…オレに、他人に幸運を授けられるような力はありません」
 うん、そりゃそうだよな。いくら秀徳のエース様だからって、そんな能力まであって堪るかってハナシだよな。
「ですが、――先輩はきっと、大丈夫です」
 予言かよ!と苦笑してやろうと思ったところで、緑間はゆっくりとセリフの続きを紡いだ。
「オレが、応援したいと思ってしまうくらい、先輩は努力をされてましたから」
「…………」
 予想外過ぎる。思わず呑み込んだ息が固まって、そのまま心臓まで止まってしまったみたいな気がした。
 なのに、悪戯っぽい瞳をきらきらさせて、高尾までが緑間の後ろから顔を覗かせた。
「オレら、帰るのがいっつも8時くらいになるんスよ。センパイそんくらいまで職員室にいるでしょ?」
「オレは図書館で、よく見かけました。……集中されてましたから、気付かなかったと思いますけど」
 わあっと顔が熱くなる。俺の反応なんかちっとも目に入っていない様子で、緑間が、握った手のひらに力をこめた。
「忘れないでください。きっと報われます、でもそれは、オレの所為じゃない。先輩は自分で、ちゃんと自分を、信じられるように努力してきたから、です」
 艶やかな低音、くっきりとした滑舌。それなのにどこかたどたどしく響くのは、言い慣れていないからなのだろう。他人への励ましなんて。賞賛なんて。
 笑ってやってもよかったのに、なのに、じわりと目の奥が熱くなった。決して器用じゃないこの生意気な後輩が、本気で応援してくれているのが、分かったから。
 おかしなもんだ。俺の、レギュラー入りの夢を粉々にしてくれた張本人なのに。
 なのに、なんだか、コイツの所為で――本当に大丈夫だって気が、してくるじゃないか。
 宮地がにやにやと笑っている。木村が宥めるように手を振ってくれ、大坪は大きくひとつ頷いてくれた。
「もー真ちゃんってばカッコイイ! でもいつまで先輩の手ぇ握ってんのもう離せば?」
「……っ、」
 茶化す声音で叫んで緑間に後ろから抱きついている高尾と、そしてはっとしたように手を離した緑間と。
 知っている。才能と機会に恵まれたこの後輩たちが、それを活かすためにどれだけの努力をしているかを知っている。
 その後輩たちを認めた同級生たちが、――大坪が、宮地が、木村が、どれほどの努力を積み重ねて来たかも知っている。
 不撓不屈の四文字熟語は、俺たち全員の内臓の裏まで沁み込んでいるのだ。レギュラーになれるような選手ではなかったと、しても。
「――んじゃ、オレら帰るわ」
「あ! おつかれーした!」
「ありがとうございました。……先輩方は遊んでいただけでしたが」
「うっせーよ緑間!」
「お前らが淋しがってるかと思ってわざわざ来たんだぞー」
 げらげら笑いながら宮地が俺の横を通り抜ける。すれ違いざまにぽん、と肩を叩かれる。木村がその後を歩いて行く。目が合った途端、サムズアップを送られる。 最後を大坪が歩いて行く。小さく微笑んで、頷く。
 一瞬ためらって、やっぱり思い直して、俺は思い切って振り向いて、――生意気な後輩たちに、ひとつ大きく手を振った。
 投げ返されたピースサインと、照れたように逸らされた眼鏡越しの視線は、きっと。
 明日から、俺のラッキーアイテムになるのだろうと、思った。

[2013年1月]