可愛くなけりゃ女じゃないよ


 さばけた性格のマリーと違って、女王様は頑なだった。
 勝負はついて契約も済んで、シュトルムツェンダーには無事に新ドライバーが加わり、歓迎会もプレスリリースも終わって、シーズン開幕は秒読みだ。
 なのに今でも、彼女とすれ違うたびに、きゅっと眉根を寄せられる。覆うもののない反発心。
 ああ見えても悪気はないんだよ、と城之内みきは言う。顔に出やすいだけだって、と加賀が笑う。 単に気持ちが落ち着かないだけだろう、とハイネルまでもが言うけれど、美人にああいう顔されるってのは結構、堪える。
 だいたい、嘴をつっこんできたのは向こうなのに、……というか、そもそも彼女にはまったく関係ない話だったのに、どうしてあんな騒ぎになったんだ。 彼女お気に入りの新条みたいに、誠意を尽くして謝るってのは向いていないし(そもそもお前に誠意などあるものか!とハイネルには言われた、) こまごましたお叱りを見事に躱してみせている加賀ほどには、彼女と親しいわけでもない(ハイネルの小言を受け流すのだったら少しは自信もあるのだけれど)。 結局、見かねた周りがなんだかんだと口を出してくれて、お互い一杯ずつ奢って忘れるってことで手打ちになった。
 だから、こんな慣れないところで飲んでいる。AOI-ZIPフォーミュラ代表の、高慢で気の強い女王様と一緒に。
「……じゃあ次は、マンハッタンを」
「あああああ」
「なによ」
 思わずあげてしまった声に、ぎろり、ときつい視線が投げ付けられる。
 もっとも、普段ほどの迫力はない。目の縁が潤んで、瞼が薄赤く染まって、長い睫毛も重たそうに、半ば閉じられているからだ。
「まーたそんな強いの頼んじゃってェ」
「っさいわね、」
 気怠そうに手を伸ばして受け取る、背の高いグラスは何杯目だろう。興味本位で数えていた数も、だいぶ前に忘れてしまった。 こっちだって、素面だというわけではないのだし。
「いーじゃない別に私の勝手でしょう? お互い、最初の一杯はちゃーんと奢ったんだし、」
 女王様らしからぬ、微妙に崩れた口調。あー、これはいささか、飲み過ぎだ。
「んなコト言っちゃって」
「黙んなさいよ、」
「帰れなくなっても知らないゼー?」
「…………みんな、おんなじことを言うのね」
 グラスから離した唇を、不満そうに尖らせる。ルージュはすっかり落ちてしまって、けれど生身の唇の紅が、照明を受けてとろりと光っている。
「みんな?」
 間を持たせるように問い返して、あーそうかアイツか、と考える。それ以外に、この女王様とふたりっきりで飲もうなんて猛者はいないだろう。 今回みたいに、強いられたお膳立てがあれば別だけど。
「加賀チャンのこと?」
「……どーせ他にいないだろうって思ったでしょ」
 変なところで鋭い。あはー、と曖昧な笑いで誤魔化して、次の一杯をオーダーする。
「まーまー、いーじゃナイ! なんだかんだで楽しそーだし! なかよきことはうつくしきかな!ってネ!」
「どこで覚えてくるのよそんな諺、」
 呆れた顔だが、言葉に棘はない。実際、これだけ蕩けてしまった声に棘を含ませるのは無理だろう。 それなのにまたもやあっと言う間にグラスを空けている。ラスティ・ネイル、という次のオーダーに目眩がする。女の子の飲み方じゃないだろ、これは。
「もー、ホントそろそろやめときなって」
「ほっといてってば、」
「加賀はどーだか知んないケドさ、オレは、ちゃーんと部屋まで送ってってやるとは限らないゼー?」
 カウンタ越しにアラウンド・ザ・ワールドを受け取りながら、軽い脅しを投げてみる。コイントスでもするように。
 彼女はことりとグラスを置いた。かららん、と、氷の触れる音がする。
「……じゃあ、どうなるかも知れないの?」
「どーでしょーねェ?」
 含ませた笑いがいやに大きく響く。あー、意外と酔っている。ハイネルからの許可はもらっているとは言え、こんなに飲んでしまって大丈夫だろうか。
「置いてかれたって、ちゃんと自分で帰るわ、」
「それっくらいならまーだいい方だよなァ」
「……どこに連れてかれたって、迷子になんかならないわ」
「へー。ドコに連れ込まれたって?」
「…………」
 意図的な聞き違いを見逃してくれるほど、酷く酔ってはいないらしい。空いたグラスを取り換えながら、彼女は呆れ混じりの溜め息を吐く。
「…………貴方も大概、悪趣味だわね」
 あなた「も」っていうのはなんなんだ。単純な興味とからかいの気持ちで訊ね返そうとした途端、目を伏せたまま彼女が続けた。
「それとも、それが礼儀なの? 女性と見れば口説かなくちゃいけないのは、イタリアだけじゃなかったってことかしら」
 不思議と、静かな苦さの混じった口調だった。 クレア・フォートランは彼女を「女性解放論者フェミニスト」だと評したが、この物言いはそんな攻撃的な感じじゃない。
「オレはアメリカンなんですけど?」
「知ってるわよ、」
 小さく語尾が笑う。頼りなく揺れる瞳。酔いに紛れて剥がれかけている、勝気な女王様の仮面。
「だったらちゃーんと、わかってるっしょ? オレは礼儀でくどくワケじゃーなくって、カワイイ子に声をかけてるだけ!」
「どこまで本気なの、」
「わりとどこまでも」
 バカ言って、と笑う彼女に笑い返しながら、内心少しばかり焦る。ホントに割と、本気かも。
 ――こんな風に、一対一で話をするのは初めてだ。確かに顔馴染みではあったし、会話をすることもあったけれど、実際のところ、相手は敵対企業の代表者なワケで。
 レセプションだの表彰式だのでは、こんなに酔うほど飲んでいる姿は見かけない。 大抵、派手なドレスを着て、ちょっと濃すぎる化粧をして、堂々としかも悠然とその他の連中をあしらっていて、 ……ああ、いつだったか、新条がCFに復帰したあのときだけはちょっと、しおらしくてカワイイかなとも思ったけれど。
 なるほど、あんだけきゃんきゃん小言を喰らっても、加賀が嬉しそうにつきまとっている理由がわかる。
 かわいいのだ、この人は。普段は覗かせない素顔が。鮮やかに君臨する女王様としてではなく、同年代の女性としてだけ時々見せる表情が。
「……バカは言うけれど、バカにしたりはしないわよね」
「へ?」
 一瞬、ぼうっとしていた。見惚れかけていたと言ってもいい。だから、反応は間の抜けたものになった。
「貴方が。……貴方の、過剰なレディーファーストの態度とか、大袈裟な口説き方とか、……女をバカにしてるって思ってたの。ずっと」
「……それで、マリーへの態度が許せなかった?」
 彼女は無言のまま笑う。ごめんなさいね、と小さく唇が動く。
「そうじゃなかったんだってこと、ちゃんと解ったわ。……解ってるんだけど、なかなか、許せなくて」
「まだナニか、足んない?」
「足りないっていうんじゃないの、」
 からん、と氷が鳴る。その音が背中を押してくれるとでもいうみたいに、彼女は伏せていた目を上げる。
「貴方が優しいんだってことが、わかったから」
「…………?」
 どうにも話が繋がらない。酔っているのはこっちなのか、それとも彼女の方なのか。
 瞳が潤んでいる。赤い頬がひどく、熱くなっていそうに見える。普段は見せない顔。無防備な。
「優しくしてほしくなんか、ないのよ」
「なんで?」
「女は弱いから守ってやんなきゃいけないんだ、って、言われてるような気がするから」
 うわ。これは、重たい。 昨日までだったら、面倒くせぇ女、としか思わなかっただろう。
 けれど今は少し違う。 男ばかりの中で、女の癖にと言われたくない一心で、全力で肩肘突っ張ってきただろう人だってことが、少しだけれどわかってきたから。
「……んなつもり、ないヨ」
「そうかも知れないけど、」
「だって、守ってあげたいじゃん?」
 バカにしているのでも、見下しているのでもない。守ってあげなきゃ、なんて使命感を抱いているワケでもない。
 こっちが、してやりたいのだ。たとえやめろと言われたって、守りたいから守るのだ。ただそれだけのことなのに。
「…………なんでもないみたいに言うのね、」
「そりゃそーでしょーって!」
 疑り深い声をかき消してやる。だってそんな、当たり前のこと。
「だってさー。好きな人に元気でいてほしい、笑顔でいてほしいって思うのはそんなに、おかしいコト?」
「すきなひと?」
 子どもみたいな口調で繰り返して、それから笑う。
「なるほどね、貴方にとってだったら確かに、世界中の女の子がみんな『好きな人』になりうるんでしょうね」
「とーぜん!」
 そう、言うまでもないほど当たり前のこと。何しろ、「世界の恋人」を自認する身なのだから。
 だからこの、高慢な女王様でも。――本当はとても無防備でかわいい、意地っ張りなこの人のことも。
「流石はジャッキー・グーデリアン、というところ?」
「そーんな堅苦しい! ジャッキーだけでイイのよー?」
「……ご親切にどうも、ミスタ・グーデリアン」
 腰に回しかけた手をぴしゃりと叩いて、澄ましてみせる。ちぇー!と大袈裟な声をあげてみせると、笑う。
「……もう、だいじょうぶだと思うわ。貴方が優しくても、厭じゃない」
「そらーよかった」
「ありがと、」
 ほんの少し言葉足らずに言って、微笑む。色付いた瞼がひどく、誘惑的に映る。
「じゃあ乾杯して、おしまいにしましょう。……X.Y.Zを、ふたつ」
「うっひゃ、まだそんなに強いの飲むのォ!?」
「っさいってば、」
「いや、ホントに! オレにどっか連れてかれちまっても知らないゼー?」
「心配してないわ、」
 ちょっと笑って、真っ直ぐに見上げてくる。緩やかな酔いに潤まされた瞳で。
「だって貴方は、優しいんだものね?」
「……参りましタ!」
 両手を挙げると、満足そうな笑み。曖昧に笑い返しながら、声には出さないように呟く。
 ホントに割と、本気だったりするんだけどな。紛れもなく「可愛い女の子」のひとりである、こんな彼女を目の前にしている今は。
 ――明日になれば、そんなつもりはなくなるだろう。サーキットで出会う彼女は、またいつもの女王様に戻っているのだろうから。
 運ばれてきた最後のカクテルを受け取る。小さくグラスをぶつけ合わせて、グーデリアンはこっそりと、去りゆく夜を惜しんだ。

[2011年9月]