For you.


 今日子がそれに目を留めたのは、ちょっとした違和感からだった。
 似合わない、とか、浮いている、というのではない。 基本的に彼のセンスは悪くない。いや、センスなどというものを強引に捩じ伏せてしまえるくらいの、強烈な雰囲気を持っている。 派手で奇抜で個性的だが、それが下品や低俗にはならないところが彼一流の着こなしなのだ。
 だからそのレザーブレスも、決して非難するような対象ではなかった。けれど。
 ……なんだろう。そぐわない。何とはなしに、不自然な感じ。
 シンプルというよりシャープな細い黒革に、冷たく光を弾く銀色。 なんというか、……彼が着けるにしては、少し上品すぎる。彼の持つ強烈な印象に、ブレスが負けてしまっているのだ。 それに気付かずに着けているというのなら、そんな鈍感は彼らしくない。
 それとも、と、大きなクリスマスツリーを見上げながら考える。
 誰かからの、贈り物なのだろうか。多少そぐわないと思っても、すげなく断ることは出来ないくらい、大切な誰かからの。
 ……だとしたら今度は、その贈り主の見る目のなさが訝しい。 そんな鈍い、そんなセンスのない恋人なり友人なりを持つなんて、それこそちっとも彼らしくない――。
 そこまで考えて、嫌気が差してやめた。 折角のパーティーだというのに、彼のブレスひとつをあれこれ考え込んで過ごすのも馬鹿げた話だ。 何かを決心するようにして、グラスの中の赤いワインを呷った。
 名目上は主催者の癖に半時間以上も遅刻してきた今日子は、まだ周囲の皆ほどには気持ちよく酔えていない。 忙しかったのだ、今日は。いや、今日も、というべきか。 一度帰ってシャワーを浴びて、などという暇は端から望めなかったから、着替えも化粧も執務室の片隅で済ませている。
 本当なら髪もアップにするつもりだったが、時間的に無理だと判断してやめた。 代わりに緩く編んで片側に垂らし、柔らかい金色のリボンで結んで飾った。 咄嗟のアレンジにしてはいい出来だと思っていたのだが、華やいだ広間に出て来てみると、 いささか砕け過ぎたスタイルのように思えて気が引ける。
 まだ、仕事気分が抜け切っていない所為だろうか。早く酔ってしまいたいのに、こんな時ほどなかなか酒が回らないものらしい。 すっかり空になってしまった2杯目のグラスに溜め息を零し、次はどうしようかと視線を廻らせた。
「グラスをお下げしましょうか、オーナー?」
 途端、冴えた銀色を閃かせて、誰かの手がするりと空のグラスを抜き取った。 見覚えのあるレザーブレスに、聞き覚えのあるその声。驚いて振り向くと、ちょうど視線がぶつかった。
「…………っ」
 心臓が跳ねた。別になんの悪事も働いていないのに、妙な後ろめたさで息が詰まる。
「メリークリスマス、女王様。なんでそんなにびっくりしてんの?」
「……メリークリスマス。別に吃驚は、してないわ」
 ちょっと後ろめたいだけよ、とは言えずに、口を噤む。
「これ、何杯目?」
 空のグラスを振って見せる彼に指を2本立てて答えると、へぇ、意外と控えめなペースなのな、などと失礼なことを言って笑う。
「ついさっき着いたばかりだもの。まだまだここから楽しませてもらうわ」
「重役出勤は結構ですケド、こんな日まで残業ってのはしんどい話だな」
「年内に片付けておかないとそれこそ大変なのよ! これでも無理矢理切り上げて駆けつけてるんですからね。 ああ、どうしてクリスマスパーティーなんか許可しちゃったのかしら……」
 どうしてもこうしても、この男を始めとするチーム内のお祭り好き連中にあれよあれよと担がれてしまっただけなのは重々承知の上なのだが。 わざとらしく見つめてくる今日子の視線を悪びれずに受けとめて、加賀はにししと笑い声を立てた。
「そーでもしなくちゃ到底クリスマス気分になんかならねーだろ、女王様は」
「なる必要も感じないわよ」
「んなコト言って、それなりに楽しいクセに」
「まあそうだけど」
 そこだけは素直に認めて目を上げると、また、彼と目が合った。如何にも楽しそうな、瞳。視界の片隅で閃く、光。見慣れない銀色。
「……それ、」
「ん?」
「どうしたの?」
 思わず手を伸べて、触れていた。きらきらと目映い銀色。ふいに肌を掠めた感触に驚いたのか、彼が一瞬目を見開く。
「こんなの、初めて見たわ」
「……あー、」
 さらりと今日子の手を交わし、加賀は片手を上げてみせた。
「まあ一応、クリスマスってことで」
 手首に絡まる銀色が、照明を受けてきらきら輝く。間近で見ると尚更、似つかわしくないほど上品な、随分と高価そうなものに思えた。
「新品など用意してみたワケなんですけど。ダメ?」
「……駄目、なんて、言わないけど」
「似合わない?」
「……とまでは、思わないのよ。ある程度、似合ってない訳じゃないんだけど……」
「けど、なんかダメなのな」
 加賀は何故だか、嬉しそうに笑っている。
「実を言うと俺もそー思うんだな、コレが」
「じゃあ、」
 なんでそんなものを選んだの?
 質問の台詞が出る前に、今日子は言葉を切った。今日子の見ている目の前で、加賀がブレスレットを外してしまったのだ。 それどころか、突然今日子の手を掴んで、引き寄せる。
「ちょっと――!」
 何するのよ、と非難の言葉を叩きつけるより早く、彼の手のひらが今日子の手を包んだ。乾いた、高い体温。
 息を呑む暇もなかった。 ほんの瞬き二、三回のうちに、微かな違和感と共に彼を彩っていた筈の銀色は、何の違和感もなしに今日子の細い手首に移っていた。 きらりと、繊細な光を振り零して。
「あんたにあげる」
「え?」
 ただ呆然としていた今日子に、加賀はにかりと笑ってみせた。
「メリークリスマス、だよな、女王様」
「え……」
「なーに呆けてんだよ! あげるっつってんの! 俺にゃイマイチ似合わなくても、あんたにゃきっと、似合うだろ?」
 言いながら、手放したばかりのブレスレットを小さく弾く。 涼しく澄んだ音で答える、完璧な高貴。或いは優美。
 確かにそれは、加賀よりは今日子が纏うのに相応しい雰囲気だった。
「…………」
 その輝きを呆然と見て、目を上げてぼんやりと加賀を見て、十数秒の沈黙のあと、今日子ははっと目を見開いた。 にやにや笑いを浮かべたまま、加賀がするりと彼女に顔を近付けて来たから。
「代わりと言っちゃなんだけど、」
 まさか、と身を硬くした今日子の予想に反して、幾許かの距離を残したまま彼の接近は止まった。 ブレスを失くした右手が伸びて、しゅる、と布地を引くような音がする。
「――あ」
 彼の手が引き出したのは、今日子の髪を彩っていたリボンだった。 魔法のように滑らかに、彼の手の中にリボンは消えて、代わりに栗色の髪が波打つように広がった。
「コレ、ちょーだい♪」
「やだ、なんでそんなもの……」
「だって、」
 広がった髪を慌てて押さえている今日子に、満面の笑みを向けてかれは答える。
「そっちの方が、あんたらしいだろ?」
「え、」
「あーんなおとなしそうなアタマ、ちーっともらしくねーってな!」
 わはは、と声を立てて笑ったその後に、それこそプレミアものの値段がつきそうな笑顔。 反射的にひっぱたこうとした今日子の手をかわし、もう一度零れるような笑顔を見せて、加賀はするりと人込みに消えた。
「……まったく、」
 無礼な男だ。今に始まったことではないが。……だからやっぱり、こんなブレスはそぐわない。 丸天井の照明に右手をかざし、きらりと零れる輝きを確かめた。今日子の為に用意されていたかのような、優美で繊細な、銀色。
 溜め息が漏れた。否定出来ない、満足の吐息。 呆れながらも、許してしまう以外に仕方ないのだ。だって今日は、クリスマスだから。
「……『まあ一応、クリスマスってことで』ね」
 もうちょっとスマートに出来ないものかしら、と脳裏を掠めた皮肉は一瞬で消える。
 彼らしい陽気さの裏に隠れた、彼らしくもない純情な策略を、今日子は素直に愛おしいと思った。

[09年12月]