ファニー・ハニー



1、幼馴染の恋人が。

 おかしなひと! どういう思考回路でこんな発想してるんだか、呆れるを通り越してもう諦めるしかできない。
「……ねえあすか、一応訊くけどさ、デニッシュを焼くのは初めてなんだよね?」
「そうよ!」
 えっへん!と背後に文字が見えそうなくらい、誇らしげな笑顔で彼女は頷く。
「普通のだとつまんないから、林檎とレーズンを入れてみたの! あとね、新条さんとこからもらった抹茶!」
 抹茶入りならたぶん緑色になるんだろうけど、目の前の物体はどう控えめに言っても焦げ茶色だ。 香ばしすぎる匂いは林檎でもレーズンでもなくて、強いて言うなら、うん、消し炭のにおいとか、かな。
「だってハヤト、この前、レーズン入りのベーグルが好きだって言ってたじゃない? アップルパイも美味しいって言ってたし!」
 そうだね、言った覚えはあるよ。――ちゃんとプロが作ったベーグルとアップルパイへの感想だったけどね。
「……初めてなのに、こんなチャレンジングなことしちゃったんだね……へぇ…」
 彼女の頭の中に、“慎重”とか“堅実”とかいう言葉はたぶんない。あるのはきっと、……うん、わかってる、今はきっと、おれのことだけなんだろう。
 まったく困った、おかしなひと! でも、そんな君のためならいつでも、胃袋のひとつやふたつくらい、犠牲にする覚悟はできてるんだ。
「ありがとう、あすか。いただきます」
「うん!」
 胸の前で両手を合わせて、ハヤトはこっそり天に祈った。


2、とても頼れる同僚が。

 おかしなひと! 他人にはあれだけ言う癖に、なんで自分はこうなんだろう。
「城之内」
「ん、だいじょーぶ、わかってる」
「分かってないだろ。11時半だぞ」
「わかってるって! きこえてる!」
「だったら」
「っ、ナニすんの!」
 掴んだ手が聞き分けなく暴れた。振り解けるわけないだろう、こっちはこれでもアスリートだぞ。 思ってた以上に細い手首に、余計に頭がぐらぐらする。
「終わりにしよう。いくら今がんばったって、体調崩したら、何にもならない」
「だいじょーぶだって言ってんじゃん!」
「……城之内、」
 おんなじ台詞でおんなじように、おれを止めて無理矢理寝かせたのは城之内本人だっていうのに、 今はまるっきり忘れてしまっているみたいだ。
 まったく困った、おかしなひと! でも、おれも君も、きっとお互いさまなんだろうって思うから。
「――5分だけだぞ」
「よし! さんきゅ、新条!」
 離した途端に弾けるみたいにマシンに飛びつく彼女を見ながら、新条は眠たくなり始めた目元を擦った。


3、自分のチームのオーナーが。

 おかしなひと! 決してバカじゃないはずなのに、どうしてこうなっちまうんだ?
「っとゴメンな今日子さん。今んところもう一回」
「? だから、」
 不思議そうな顔しちゃって、無邪気とすら言いたくなるような口調で。
「今夜一晩、お世話になりますって」
「…………」
 うん、やっぱり聞き間違いじゃない。なに言ってんだコイツ。なんでこんなに平然としてんだ。
「着替えとかは別に要らないから、洗面所だけ貸してもらうわね。朝は5時半に目覚ましかけるけど、いい?」
「……いや、その辺は別にいいんだけどな」
 けどな、なんかちょーっと、おかしいだろ。心の声は届かない。たぶん言っても分からない。
「? ? どうしたの、何か変?」
「なんかっつーか、どーしてそんなアタリマエに俺んちに泊まることになってんの……」
「えっ、だって」
 後光が射すかってくらい清々しい顔で彼女は言った。きらきら眩しい何かを周囲に散らして。
「ともだちのうちに泊まる、って、憧れのイベントじゃない!」
「……あー、ハイ…」
 ダメだ。やっぱりコイツはダメだ。まったく困った、おかしなひと! でも、こういうアンタだからきっと、未だに慣れも飽きもしないワケで。
「はじめてだから、――よろしくね?」
 変わらず嬉しそうな声で言われて加賀は、あー、ハイ、とおんなじ台詞を呟いた。


4、至高の頭脳の持ち主が。

 おかしなひと! ずいぶん長い付き合いなのに、いつになっても理解できない。
「ねえ、修さん?」
 おっとりと口元に当てた人差し指、軽く傾けた首の角度は完璧で、けれども怪しく底光りする目の奥が、嫌な予感をひたすら煽る。
「コレを買ってみたいのですけど」
 開いた古い雑誌の中央を占める写真に、視線を落とすのが正直怖い。彼女の趣味は独特で、好奇心の強さも尋常じゃない。
「……クレア、俺の目がおかしくなっていなければ」
「定期検診の結果は良好だった筈よ?」
 全力を傾けて無視する。
「…いなければ、ここに載っているのはいわゆる重火器類というものだと思うんだが」
「そうね」
 うっとりと指先が写真をなぞる。
「ここ、ここの噛み合わせがね、」
 ああ、始まった。空間識失調。平衡を見失う額に手を当てて、深く大きく息を吐く。
「とても魅力的だと思いません? この時代の技術でこれだけの精度……実物を分解して見てみたくなるでしょう?」
 ならない。全然ならない。言ってる意味が解らない。
 まったく困った、おかしなひと! でも、そういう君に振り回されるのがたぶん、人生の醍醐味ってやつなんだろう。
「……まず、値段の確認から始めさせてもらえるかな」
「!」
 なんとも嬉しそうな顔になった恋人の隣に腰を下ろして、修は二度目の溜め息を大きく吐き出した。

[2015年3月]