ホテル日和
「……いかがですか、ご感想は」
後ろ手に扉を閉めて鍵を確かめても、先に入った彼女の動きが感じられなかった加賀は、若干の懸念を抱いてそう声を掛けた。入り口で立ち尽くしていた優美な後ろ姿が振り向いて、きらりと瞳を閃かせる。
「テーマパークみたいね」
「……どこが?」
分からん。どうすればそんな感想が出てくるんだ。呆れると同時に、少しばかり感心してしまう。普段は強かに見えても、流石は天下の葵のお嬢様、箱入りっぷりは本物だ。
「窓がないし、狭いし、おかしな内装。天井まで鏡なの? こんな落ち着かない部屋、見たことないわ」
うん。そりゃそーだろう。寧ろ、見たことあると言われたらがっかりする。何となればここは「そーいう」ホテルの一室で、「そーいう」趣味嗜好を満たすために作ってあるのだから。
ベッド以外にはほとんど余裕のない空間と、確かに広過ぎる面積を占めている鏡たち。さりげなく置かれている怪しげな道具類。使いようによっては彼女を如何様にも泣かせられる筈のそれを、その彼女は純粋に、興味津々といった様子で眺めている。
「ね、これって、使う前には洗わないといけないのかしら」
…………。散文的なんだか生々しいんだか。てか、どうやって使うのかホントに分かってんのか?
「あら、見れば大体予想はつくわよ」
内心で突っ込んだはずが声に出ていたらしい。ちょっとむきになった彼女が唇を尖らせる。
「ふーん。予想、は、つきますか。……てコトは、実際に使ったことはない、わけだ」
「当たり前でしょ」
「そりゃよかった」
にやりと笑って、加賀は彼女の腰に手を回した。
「じゃ、初めての栄誉に浴させてもらいまして――」
「って、ちょっと、」
ころりとベッドに押し倒されながら、彼女は柳眉を吊り上げる。
「よしてよ、シャワーも浴びてないのに……」
「後でいいじゃん」
どーせ汗かくだろ、と言いながら、柔らかなワンピースの裾を捲り上げる。
「汗以外のもんでも、いーっぱい汚れる予定だし」
「……変態」
「正常ですよ、この上なく」
これだけ綺麗な脚を見て、汚したくならない方が異常。ストッキングを剥がした後の滑らかさを確かめながら、加賀は内心独りごちる。
ほんの少し汗ばんだ首筋に顔を埋め、味見とばかりにひと舐めすると、彼女の身体がびくんと震えた。相変わらずの敏感だ。
「ちょっと、……加賀くんっ、」
「んー?」
「よしてよ……明かりくらい、消して」
「ヤダ」
あっさり切り捨てて胸元へ手を伸ばす。馴染んだ丸みを手のひらに感じて、加賀は満足気な息を吐いた。
あーそうそう、これだよこれ、この感触。落ち着くっつーか興奮するっつーか……、ま、堪んねーわな。
が、彼女の方は違うらしく、涼やかな目元に紅を散らして首を振る。
「バカ言わないで頂戴、……消してっ」
「イ、ヤ、ダ。だって、ほら」
言いながら、空いている方の手で天井を指差した。
「え?」
「鏡。見てな」
「え……」
戸惑う声を無視して、脚に絡まっているストッキングの布地を放り投げた。すんなり伸びた長い脚の、ぴんと張り詰めた太腿。その間を慎ましく覆う小さな布きれに指を掛けて、遠慮なく引き下ろす。
足首から抜いて、そのまま手のひらを膝に。脚を押し広げ、身体をずらして、無防備なその姿が天井の鏡に映るように。
「…………!」
「アレはこーやって、使うわけ。お分かり?」
一気に襲い掛かって来た羞恥に息を詰まらせる彼女を、にやにやと見下ろす。
「だから明かりは、消さねーの」
な?と上機嫌に笑いかけると、目を逸らした彼女はやっぱりヘンタイ、と呟いた。
「正常だって。あんたもすぐ、」
イイと思うように、なるぜ?
後半は、無理に塞いだ唇の中に注ぎ込む。不満げに小さく抵抗した後、結局諦めることにしたらしい彼女は、漸く身体の力を抜いた。
――両手両足の指をすべて足しても足りない程度には、抱き合う回数を重ねてきた。それでも毎回、彼女は僅かばかりの抵抗を試みる。自分自身の力だけで完成させてきた人生に、不穏な何かを注ぎ込まれるのを拒むように。その何かに、愛だとか真心だとかいう名札がたとえ付いていたとしたって、当然彼女は信じないだろう。
それでも。辛抱強く、粘り強く、ひとつずつ新しいことを教え込んでいく。その度に反発する気の強さを、戸惑う純粋さを、堪らなく嬉しく好ましく思う。
だってそれは、彼女の中に残るということなのだ。自分の存在が。
「っ、」
例えばこんな風に、耳朶を噛むと勝手に背が反る癖だとか。最中に名前を呼ぶと、両手にきゅっと力が入ることだとか。
それは加賀が教えたこと。分からせたこと。たとえこの先、他の男に抱かれても――自分が教えたその反応で、彼女は感じるのだ。
「ほら、イイだろ?」
呆れたもんだと思う。触れられるだけでも奇跡のような相手なのに、その全部を、自分のものにしておきたいだなんて。自分の印で埋め尽くしておきたいだなんて。
「……っ、あ、」
「見てみろよ。……あんたの、そのカオ、」
潤んだ瞳が素直に鏡を見るのを確かめて、笑う。たぶん幾らか歪んだ顔で。
「すっげ、やらし」
「や、バカ、」
顔を背けようとする素振りが余計にいやらしい。それに気付かない辺りがまた、なんとも純粋で――自分の中に渦巻く独占欲が、酷く汚らしいものに思えたりもするのだ。
それでも。何度でもまた、新しいことを教え込んでいく。その度に露わになる自分の独占欲が、容赦なく彼を傷つけるけれど。
それでも。それでも彼女は。彼女が。
また、見たことのない姿を、彼に覗かせてくれるから。見たことのない彼女が、胸を甘く疼かせるから。
そしてその度にまた――やっぱり、好きだ、と、気付かせるから。
何度抱いても。どれだけ求めても。飽きもせず懲りもせずに、この人でなきゃ、と。
「ん、あ、はぁ、……」
溺れかけた人のように浅い呼吸をし始めた彼女に、もう一度ふいと口付ける。言わないけれど、言えないけれど、たぶんずっと、あんたでなきゃ、と。
苦しそうな顔をした彼女が甘く睨むので、彼は嬉しくてまた、にやにやと笑った。
[09年8月]