よかったのに


 セラ・ギャラガーは物怖じしない。場の空気に流されることもない代わり、空気を読んで巧く振舞うということもしない。
「死んじゃえばよかったのに」
「……わざわざ見舞いに来ておいていう言葉か、それは」
 だから顔を見るなり、これだ。眉を寄せてやろうとしたら、こめかみの横が鋭く痛んだ。
 まあそれはいい。ほんの三針縫っただけの、単なる切り傷なのだから。
 問題は、――この動かない左手だ。視線を向けるだけで忌々しくなるくらい、大仰に繋がれた無数の管。
 切断するかどうかの瀬戸際だったと聞かされた。 誇り高いランドル家次期当主の返事は「執刀医に感謝する」の一言だけだったが、内心ではリハビリに要する時間と強いられる苦痛と、 みすみす逃すことになる幾つかの勝利についての漠然とした思いがあった。
「見舞いに来たわけじゃないわ」
「見舞いじゃない?」
「アレクセイ・キンバリー」
「……決まったのか」
「いつまでも寝てるからよ」
「そうだな。目が覚めていれば、ヘンリー・チャンにさせたところだ」
 ユニオンに所属する若手ドライバーたちの顔を思い浮かべながら、溜め息を吐く。 二日間昏睡している間にこのざまか。
 もっとも、「迅速な対応」は日頃から彼が口を酸っぱくしてチームに言い聞かせていることなのだし、寧ろ褒めてやるべきところなのかも知れないが。
「ヘンリーじゃ経験不足だって」
「ほんの14歳の癖に、経験豊富な筈があるか。誰だって初めは初心者だ」
「アレクだって、いいドライバーだわ」
「それは認めるが、」
 最年長の――と言っても18歳になったばかりだが――アレクは既に、下位カテゴリでの経験も実績も十分にある。 来季辺り、他チームからの交渉対象になるかも知れないと思っていたのに。
「認めるが、何」
「僕は」
 重たい頭を傾けて、突っ立っている彼女を見やる。視線を合わせてからはっきりと、答える。
「守りに入るのは、嫌いだ」
「――そんなこと言ったって」
 彼女は物怖じしない。眉ひとつ動かさない。
「どうせなんにも出来ないでしょう」
 ごもっともだ。
「……今シーズンは無理だな」
 目を合わせたまま表情を微かな苦笑に変えて、ランドルは小さく息を吐いた。
「次だって判らないわ」
「わからない?」
「神経再生手術はまだ、完璧じゃないもの」
「最善を尽くさせるさ」
「リハビリも」
「あれの辛さはよく知ってる」
 だから正直、進んで味わおうって気にはなれないがな。呟くのは心の中でだけにする。
「何度手術を受けたって、完全に治る保証はない」
「そうだな」
「死ぬほどきついリハビリをしても、元に戻れる可能性は低い」
「ああ」
 ぶつかったままの視線の先で、セラはゆっくり瞬きをして、酷く厳かに囁いた。
「ほんと、死んじゃえばよかったのに」
「――まったくだ」
 まるで、誓いか何かを交わすみたいに。
「走れないなら、死んだ方がマシだな」
「でしょう」
「だが僕は、まだ死ぬ気はないらしい」
「らしい、って何」
 く、と唇の端が綻ぶのがわかる。吐き出した声が弾むのも。
「また走ることになるだろうってことさ。――そんな気がするから、仕方ない」
「往生際が悪い」
 ばっさりとつきつけるように、声。
「悔しかったら、さっさと戻ってきてみせて。そしたらちゃんとその時は、」
 ぶつかっている視線は揺らがない。たじろがない。いつも通りの顔のまま、セラ・ギャラガーは宣言する。
「セカンドドライバーにしてあげるから」
「…………」
 思わず数秒絶句して、それから肩を震わせて、くっくと声を立てて笑った。傷に響いて痛んだけれど、――楽しくてもう、どうにも堪らなかったので。
 セラからは何のフォローもない。けれど小生意気なファーストドライバーは漸く、口の端で小さく笑んだようだった。

[2011年7月]