女王陛下に忠誠を(―― On Her Majesty's...)
あ、しまった。そう思ったときにはもう遅い。
落ちてしまったものは取り返しがつかない。内心で小さな舌打ちをして、表情だけは何の気負いもなく冷静なまま、加賀はくるりと店内に視線を廻らせた。
そもそも、こんなところに来てしまったのが間違いだったのだ。
自分一人でだったら、絶対――そう、絶対、と言い切ってもいい――足を踏み入れたりしない場所だ。
ついてきてください、と強引に加賀を引っ張ってきた張本人のハヤトの方は、熱心に自分の用事を進めている。
心底嬉しそうな表情が眩しい。というか憎らしい。
そうだ、ハヤトに無理矢理連れて来られたりしていなければ、こんな厄介な状況に陥らなくても済んだのに。
まったく、厄介この上ない。一目惚れなんて何年ぶりだろう――いや、もしかしたら初めてだったかも。
自覚した瞬間に脳裏を過ぎったのは、何故かと言うべきか当然と言うべきか麗しき女王様の面影で、それが尚更加賀を焦らせた。
気付いてしまった以上、無視する訳にも行かない。無視しようにも、できない。完全に囚われてしまった自覚の苦さに溜め息をつく。
さて、どうしたもんか――そもそもこんな事態には慣れていないし、気付かれるのも気恥ずかしい。
お近付きになるのは後々まで取っておくとして、まずは遠目に眺めるだけから入っていくのが正解か。
導き出した答えを基に、いかにも気のないふりをして、視界の端で様子を窺う。
あれほどまでに強烈な存在感がある割には、店内の誰も、その存在を気に留めてはいないようだった。
当たり前すぎるのだ。そこに存在していることが。誰か不届き者が手を触れて、遠くに連れ出してしまうなんてこと、それこそありえないと誰もが思っているかのように。
近寄りがたいほどの優美。艶やかな金色の輝き。豪奢な癖に派手ではなくて、取り澄ましている訳ではないのに気圧されてしまうような威厳がある。
やれやれ、まったく厄介この上ない。嘆息。こんな大物、どうやって籠絡すればいい?
取り敢えず、軍資金がいる。これだけは確実。退屈を持て余したような顔をしながら、頭の中で目まぐるしくソロバンを弾いた。
財布の中の現金では足りない。こんな事態になるなんて思ってもみなかったから、必要最低限しか持ってない。
そもそも、必要最低限以外のところは、ハヤトに全部払わせるつもりでいたのだし。
チェックもカードもあまり使いたくないけれど、手持ちの現金が十分ではない以上、こればかりは仕方がない。
口座の中身と今後の動きをざっと頭の中に描いてから、これくらいまでなら、という概算ラインを弾き出し、そのままざっくりと見積もりに入る。
まあ、一筋縄では行くまい。「お安くない」どころではない、はっきりと「お高い」に決まっている。普通なら手を出す気にもなれないほど、極上中の極上レベル。
それでも、だ。気付いてしまったものは仕方ない。手に入れないでは収まらない。――何が何でも、モノにしてやる。
その覚悟は覚悟として、さて、ここからどう振舞うか。
ハヤトはまだ自分の用事に夢中らしい。時折、携帯電話を出してはあれこれ打ち込んでいるのは、自宅で待っているあすかにお伺いを立てているのだろう。
大体、どうして「息子の」誕生日の為に「妻への」贈り物を用意する必要があるのか、加賀にはさっぱり理解できない。
いっそあれくらい献身的になってしまえれば楽なのに。我が身と引き比べて溜息。気付かれたかと慌てて呑み込んで、再度平静を装い直す。
よし、このまま。周囲の目を盗んで近付いた。
煌びやかな佇まいを間近から眺める。空恐ろしいほどの優美。
――ああ、囚われてしまったのも当然か。数歩の距離まで近付いて漸く読み取れた情報に小さく苦笑する。
だってこんな、誰もが跪かずにはいられない称号を戴いているというのだから。
後ろに続いた幾つものゼロの数に目を細め、加賀はそっとガラスケースの上に屈み込んだ。
誇り高い金色の輝き。洗練された曲線の上に堂々と鎮座する、深い黄金色の石ひとつ。
――見事なシェリー・カラーの、インペリアル・トパーズ。
こんな、柄にもないもの。あまりにも似合わないもの。高価な宝石の付いた指輪を軽々しく贈る習慣など加賀にはない。
こんな買い物をしてしまったが最後、いよいよプロポーズですか!?と周囲が目の色を変えるのは分かっている。
分かっているけど、どうしても――彼女の指に、飾ってみたくなったのだ。
遠い日本で待っている、麗しきアオイの女王様の指に。
気付かれてしまうのはみっともない。手渡すまでは隠し通したい。
けれど、彼女の指のサイズなんて、これまで意識したことすらないし、どうにか見当をつけない限り、ここから先には動きようがないわけで。
大体、どう言って渡すつもりだ。どんな顔をされるか分からない。
感激して泣かれてしまうならまだいい方で、何か疾しいことでもあるの?くらいは言われるかも。
というか、ハヤトがそこにいる状況で、どうやってこれを手に入れるとこまで持っていくか――いや、いっそ、共犯に仕立ててしまえれば……?
目まぐるしく働く頭の中身を退屈そうな態度に押し隠したまま、加賀は気のない態度でケースの中身を見続けた。
季節は秋、祝うべき彼女の誕生日が、もうすぐそこまで迫っている。
トパーズ:11月の誕生石。忠誠や友情の象徴。シェリー酒色の最高級品をインペリアル・トパーズ(「皇帝陛下の黄玉」)と呼ぶ。
[2011年10月]