そういう魔法なので、


 ことこと、ごとごと、線路が歌う。小娘たちの会話には遠慮会釈無く花が咲き、時折、短いトンネルを通り過ぎる轟音にかき消されてはまた沸き起こる。 慣れない光景だ。何年ぶりだろう、こんな混雑した電車に乗るのは。
 日曜の夕方、穏やかな薄暮、紺色に沈んだ窓の上に、眠たそうな顔をした自分が映っている。 疲れた。しぱしぱと目を瞬けば、硝子の中の自分が同調した。
 車なら、まだ楽なのにな。たとえ渋滞に巻き込まれたとしたって、これほどの疲労は感じまい。
 電車でなければ駄目なのだ、と、頑に言い張ったのは今日子だった。曰く、鉄道会社と手を携えての企画なのだからと。 確かに、工夫を凝らしたモノレールの車内にも、非現実感溢れる駅舎にも、思わず唸る程の感嘆は感じたのだけれど、それでもどことなく「してやられた」感は拭えない。
 当の今日子は数分前から、こくりこくりと舟を漕いでいる。頼りなく揺れる頭を横目で捉えれば、うまいこと先を越されたような気がしてしまうのだ。 だって、こうなってしまえば、睡眠欲より庇護欲が勝ってしまうのが人情だ――少なくとも加賀の場合は。
 知らず思わず溜め息が出る。全く、女王様には敵わない。唐突な電話は昨夜だった。明朝6時に東京駅、と言われて、目眩を感じたのは寝不足の所為ばかりではあるまい。 それでも逆らうなんて選択肢は端から無い加賀である。 眠い目を擦りながら、無駄にきりりと引き締まった表情の今日子に連れられて、日本一のテーマパークの、一日がかりの視察をやり遂げたのである。
 アオイの手がけるテーマパークに、本来なら今日子は関わっていない。 専門家には逆に分からない、新しい視線での評価が欲しい、と、畑違いの今日子に協力要請があったのは、ほんの一月足らず前のことだと言う。 多忙なのはいつものこと。勿論、断る今日子ではなかった。 唯一の問題は、経験して批評すべき新企画がいわゆる「カップルプラン」だということぐらいのもので。
 だからって、なんで俺? 今更ながらのやりとりが甦る。 だって、他にいないじゃない? さも当然といった風情で瞬いた今日子の、長い睫毛がほんの一瞬、憎らしかったのを覚えている。
 大体、厄介事は全部、加賀なのだ――新条には、こんな無茶させないクセに!  とは思ったところで言えないので、賢明にも、せめてもう少し早く言ってくれ、と呟くだけに留めた加賀である。
 結論から言って、今日一日は、楽しかった。幼い頃にほんの数回だけ味わったことのある、あの特別な、意味もなく胸がわくわくする休日に似ていた。 加賀を引きずって来た今日子もそれは同じようで、混雑するテラスで昼食を取った後くらいから、明らかに目的を忘れて楽しんでいた、と思う。間違いなく。
 こういうのよく知らねーから任せるわ、と言ったら、私だって全然知らないわ、と言われたのは予想外だったけれど、 二十歳になる前からアオイの最前線で戦っている今日子なのだから、そんな暇はなかったというのが寧ろ自然なことなのかも知れなかった。
 とにかく、夢と魔法の王国の、影響力は伊達じゃない。たぐいまれなるタフさを持つ今日子でさえ、はしゃぎ過ぎた挙げ句にこうして陥落してしまうくらいなのだから。 仕事としてはどうか知らないが、楽しんだのならまあ、よかったよな。
 ことこと、ごとごと、列車は進む。ゆらゆら、ゆらゆら、今日子は眠る。窓の向こうを街灯りが通り過ぎ、眠たげな自分の瞳の中を飛び去ってゆく。 がたん、と電車が揺れた。かくん、と今日子が傾いた。座席からはみだしてしまいそうな肩を慌てて掴んで、自分の方に引き寄せた。
 ぽすん。柔らかな髪を挟み込んで、今日子の頭が肩に乗る。くすぐったさと確かな重さ、穏やかな体温、甘い匂い。 眠たかった目をつい見張って、加賀はこくりと息を呑んで、――それから、すっぱり力を抜いた。
 ま、いーや、これで。不思議と素直に納得する。だって、夢と魔法の王国の、余韻が今も消えてないのだ。 あんなところで過ごしたなら、魔法にかけられるのも当然で、それが恋の魔法なのも必然で。だから今、隣に触れる温もりが、やけに愛しくったって仕方ないのだ。 そうだよな。
 頷いて、緩く目を閉じて、加賀もまた眠りに身を任せた。肩にかかる今日子の重みが、ひどく幸せに思えた。

[2013年6月]