愛してく速さ


 打ち出されたデータをじっと睨んでみても、意味するところが解らない。
 今日子は技術者ではない。豊富な「実体験」がある訳でもない。 だから、多量の専門用語と複雑なグラフの連続から、新型マシンの走りを具体的にイメージするのは難しい。
 読み取れるのは精々、単純であからさまな数値たちくらいだ。総重量、最高出力、最大トルクに、加速性能――
「……正気じゃないわ」
 呆れ混じりに呟いた声に、向かいの加賀が顔を上げた。右手には今日子と同じく、プリントアウトされたデータの束を持っている。  今日子と違うのは、自らもマシンの整備に関わり、日常的にマシンの「主人」にもなっている彼には、このデータの羅列からでも、 新しいマシンの走りが見えているのだろうというところだ。
「どーかした?」
「正気じゃない、って言ったのよ」
「コレが?」
「そう」
 頷いた後、正確には、こんなモノに乗って走ろうなんてこと自体が、ね、と訂正した。
「そっか?」
「当事者なんだから、もうちょっと慎重になりなさいよ」
「慎重ったってなぁ」
 アンタだって開発させてる当事者だろーが、と続いた軽口を受け流して、小さく眉を寄せる。
「いい加減、規制がかかるかも知れないわね。どこのマシンも、ジェット機以上になってきてるのがあからさま」
「羽つけりゃすぐにでも飛ぶぜ。オーバーテイクなんかし放題」
「レギュレーション違反は御免だわ」
 溜め息と一緒に、データの束を放り出した。加賀の方はまだ興味深そうに、そして幾らか楽しげに、描き出された数字を眺め続けている。
「…どんな感じ?」
「ん?」
「正直、私にはよく解らないから。貴方たちが見ている速度の世界が」
「……もーちょっと詳しく」
「私が知ってるのは精々、時速200kmくらいまでなのよね」
「うん」
「だから、700だの750だのなんて、全く想像もつかないのよ」
「だろうな」
「なのに貴方は、楽しそうにしてるんだもの。ずっと」
 言われた加賀はちょっと照れくさそうに笑う。ああ、本当に、楽しくて仕方ないのだろう。追いかけっこに夢中になっている、男の子の顔だ。
「怖くはないの?」
「まあ、それなりに怖いは怖いけど……なんつーかな、『それ以上』があるから」
「どういうこと?」
「んーと……そーだな、頭ぐらぐらして、意識がぶっ飛んで、空っぽになったところが全部、快感にすりかわっちまうようなカンジ」
「……へぇ、としか言えないわね」
「わかんない?」
「解るような、解らないような……」
「どっちだよ」
 からかうように笑う声を、受け流して小首を傾げる。
「……取り敢えず、納得は出来ない、かな。実感が想像出来ないって言うか……」
「んじゃ、」
 考え込む今日子に図々しく頬を寄せて、彼は再度、わざとらしく微笑む。
「味わわせてやるよ、俺が」
「……コックピットは一人乗りなのに?」
「違う。時速700kmじゃないけど、頭ん中全部、快感だけになっちまう感覚」
「碌でもないことみたいな予感がするけど、」
 言い終わる前に、唇を塞がれている。たっぷり十数秒の後、漸く顔を話した加賀は笑った。
「但し、ベッドの中でだけどな」
「こういう予感は、当たるのよね……」
「おめでとさん」
「めでたくないわよ」
 我ながら、抗議の声は頼りない。言葉通りぐらぐらし出した頭を持て余しながら今日子は、全く、ついていけないわ、とぼやいた。

[2012年7月]