レモンシャーベット


「……雨でも降るんじゃねーの」
 無意識のうちに呟いていたのは本心だった。本心からの驚きと、感嘆。 あまりにも本気がこもってしまったのが自分でも少し気恥ずかしくって、だから、何がです?と横から聞き返されてつい、誤魔化した。
「や、珍しいこともあるもんだと思って。こんな豪華な差し入れとか」
 ああ、と頷いた片桐の目に、疑いの色は欠片もない。内心の安堵を表に出さないように注意しながら、目線を彼女の方に向けた。
 大きなクーラーボックスの前にしゃがみ込んで、あれこれと指示を飛ばしている今日子は、何とも珍しい格好をしている。 ノースリーヴのワンピース。色合いは涼しげなシャーベットイエローだ。剥き出しの二の腕の白さに、淡い色合いがよく映える。――本当に。
 珍しいのだ、彼女がこんな、大胆な肌の見せ方をすることは。この季節に多いのは品のいい七分袖のシャツで、それだってまくり上げたりすることは滅多にない。 半袖ともなれば尚更珍しいのに、今日に至っては二の腕どころか、肩の丸みまで完全に露わになってしまう長さ。
 驚いた。それから、正直なところ、見惚れた。 ほっそりとしてそのくせ、やけに柔らかそうな腕――つややかな肩の、華奢な曲線――時折覗く、ひどく扇情的な腋の下の窪み。
 あー触りたい、好きなだけ撫でまわしたい、てゆーかちょっと舐めてみたい、などととんでもないことを考えてそこで漸くはっとして、現実に立ち戻っては首を振る。 真っ昼間の、昼休憩とはいえ仕事中の、健全極まりない光景にはそぐわない思考回路。
「他に、まだもらってない人いない?」
 持てあます加賀の視線の先で、彼女はすっと顔を持ち上げて、ついでに声も張り上げた。きょろきょろと周囲を見回した目が自分を横切るのが妙に、後ろめたい。
「あ、オレまだです。スイカバー残ってます?」
 手を挙げた片桐に頷きかけて、今日子はクーラーボックスを覗き込む。
「スイカの奴ね、大丈夫、はい、どうぞ。えっと、あと、加賀くん……は、要らないわよね、」
「っておい! なんで!」
「え?」
 不思議そうに瞬きする。
「要るの?」
「当然!」
「どうして?」
「もらえるもんは全部もらう主義!」
「……だって、これ、アイスなのよ」
「見りゃわかる」
 そう、大きなクーラーボックスの中身は、よりどりみどりの氷菓類なのだ。何しろここ数日、暑い。 熱を発する機械類が山ほど置いてあるガレージ内も、真夏の太陽が容赦なく照りつけるサーキット上も、過ごしにくい季節であることには違いない。
 だから大抵、オーナーからの「差し入れ」はよく冷えた飲み物類なのだが、何故だか今日は日頃よりちょっぴり豪華な商品たちなのだ。 加賀に見過ごせるはずがあろうか、いや、ない!(反語)というもんである。
「どれを選んだって、甘いのよ。もっと言うと、カロリーも高いのよ」
「平気! 問題ない!」
「どっちが?」
「どっちも!」
「……1個だけ、ね」
 念を押すように指を1本立ててみせてから、今日子はアイスキャンディーの袋を取り出した。白地に薄青の涼しげな絵柄。 差し出されたそれを押しとどめると、怪訝そうに眉を寄せる。
「なによ、要るんでしょう?」
「他の味は?」
「え?」
「レモンのやつがほしい」
「……ソーダが、いちばん甘くなくて食べやすいと思うわよ」
「でも、レモンがいい。残ってない?」
「あるわ。カップの、シャーベットだけど」
「じゃ、それちょーだい」
 はい、と小さなカップを手渡しながら、今日子はまだ小さく首を傾げている。
「どした?」
「……雨でも降るんじゃないかしらね」
「なんで」
「珍しいこともあるもんだわ、と思って。貴方が、自分からアイスを欲しがるなんて」
 それも、味まで指定して。短く付け加えて、不思議そうに見つめてくる。
 白い頬。華奢な首。繊細な鎖骨のラインに続く、滑らかな肩と、細い腕。涼しげなシャーベットイエローの、淡い色。
「ま、暑いからな」
「そうね」
 理由にもならない理由に何故か納得して、今日子は突き返されたソーダ味のアイスの封を切った。白い袋からついと覗く薄い青。
「午後は13時半からだったわよね。ハンナとロディーは別研修だから、C棟の2階に直接行って。絶対遅刻のないように」
「「はいっ」」
「それと、皆、かなり汗をかいてるでしょう。昼食時には、水分だけじゃなく、塩分もちゃんと取ってちょうだい。目眩や頭痛が起きるようなら、我慢しないですぐ言うこと」
 昼食に入ろうとする集団にてきぱきと指示を与える今日子は、いつも通りに有能だ。 片手にアイスキャンディーを握り締めている以外は。――違った、それと、滅多に見られないような、大胆な服装をしている以外は。
 なんだよちくしょう、似合うじゃねーか。珍しいけど可愛いし、しかも若干性的だし。腋の辺りとかマジでヤバいし。
 ……なんていう感慨は勿論、おくびにも出さない。どうせ、こんな気持ちはすぐ融ける――カップの中の、薄黄色をしたシャーベットと同じように。
 平然と今日子を見つめたまま、加賀は最初の一さじを口に運んだ。神経を冷ますみたいなレモンの味が、ひやりと口内に広がった。

[2012年7月]