誰に似たやら


 空も海も、清々しいほどに青かった。真っ白な薔薇の花束が、墓碑の上に横たえらえれていた。――こういう光景に以前も、出くわしたことがある。 眉間に皺を寄せて立ち止まった加賀の肩に、くすくす笑いを乗せた手のひらが置かれた。
「奇遇ね」
「…………」
 振り向いた加賀の目を覗き込んで、微笑む。あの頃からちっとも変わらないように見える、昔馴染みの、懐かしい瞳だ。
「やっぱり、あんたか」
「これは私からじゃないわ。今週末はほら、父の日だから」
 ――ああ、そうか。母の日にはカーネーション、父の日には薔薇なのだと、それは今日子に教えられた。
 聞きながら、自分には一生縁のない話だと思った。母親は遠い昔になく、父親はいないも同然の――親の期待を裏切った、不肖の息子である自分には。
「で、その北斗は?」
 花束の送り主の所在を問う声に、美波は遠い異国のサーキット名を挙げることで答えた。予想通りだ。 分かっているのに訊いたのは、会話の糸口を探すのに少しばかり、思い悩んでしまったからだろう。小さな自覚に苦笑する。
「毎日、忙しそう。相変わらず生意気なことばかり言うけれど、でも、楽しそうにしているわ」
「よかったな」
「ええ」
 細めた目で、遠く沖合いを見やる。まるでこの海の向こうに、息子の姿が見えるとでもいうようだ。
「たぶんこのまま、決まると思うわ」
「……そうか。いよいよ、だな」
「いよいよね。あなたも」
 もう知ってんのか、と溜め息を吐く。最早、来年の動向は公然の秘密になってしまったらしい――まだ、夏を迎えてもいないというのに。
「報告に来てくれたの?」
「……まあ、一応な」
 こんな年齢になっても、つい意地を張ってしまう。美波はくすくすと笑って、加賀が抱えっぱなしだった百合の花束を受け取った。
「きれい。いい香りね」
「今朝摘んだばっかだからな」
 英二にゃもったいねーくらいだ、と嘯く加賀に背を向けて、そっと花束を横たえる。
 優しく白い薔薇の束。艶やかに白い百合の花。
「これほどの香りがするんだから、いくら英二でも気付くわね。ほんと鈍くて、無頓着な人だけど」
「…………」
 未だに、彼を現在形で描写する。記憶は遠くなり、薄くなり、けれど、決して消えてなくなりはしない。そういうことだ。
「しゃんと目を覚ましたら、きっと見守っていてくれるわ。北斗のことも――あなたのことも」
「どうだかな」
 肩を竦めて天を仰ぐ。ああ、素晴らしい青空だ。
「天国で見守っていてください、なんて言って、聞くようなヤツかよ」
「…そうね」
「見てるだけで済むか、俺も走らせろ、って言うぜ。絶対」
「ダメって言っても聞かないわね。ぜったい」
「……そっくりだろ、北斗」
 数回しか会ったことのない少年の、生意気、としかいいようのない瞳を思い出す。
 まあ多分、自分も人のことを言えた義理ではないのだろうが。
「ええ。そっくり」
 思った心のうちを読んだように、美波が笑った。
「英二にも、あなたにもね」
「……なんで俺」
「父親みたいなもんだからじゃない?」
 咥えかけていた煙草を取り落した。美波は面白そうな顔で見ている。
「んな、バカな」
「そんなもんよ。ずーっと、あなたを追い駆けてきたんだもの。遠くに見える、あなたの背中を」
 遠い昔の風景が閃く。追い付けない、遠い背中。彼の。加賀よりほんの数歳年上なだけなのに、ずっと大きく、ずっと大人であるように見えた。
「……せめて『兄貴みたいなもん』くらいにしといてくれよ、」
 北斗は父親を知らない。彼が生まれた時にはもう、年若い父親は触れることも話すことも叶わない世界の住人だった。
 一方、加賀の父親は健在だが、精神的には赤の他人も同然で、だから加賀にとってさえ、英二の背中は追い駆けるべき目標だったのだ。
 加賀は英二を追い駆けていた。その加賀を北斗が追い駆けてくる。 緩やかに流れる年月を、やすやすと飛び越えていく連鎖。解けては繋がり直していく螺旋。細く静かに、けれど確かに、次の世代へ受け継がれていくもの。
 生意気、としかいいようのない、あの瞳――誰かと同じ、強い眼差し。ああ、全く、誰に似たやら!
「じゃあ、『城太郎お兄ちゃん』、」
 冗談めかした口調で、けれど真剣な声色で、美波は加賀に向き直った。
「北斗のこと、どうぞ宜しくお願いします」
「……おうよ。楽しみにしとけ」
 CFデビューを控えた14歳。CF復帰の決まった30歳。倍以上違う年齢を抱えて、それでも彼らは、同じ瞳を持つライバルなのだ。
 きっと来季は、面白くなる。遠い空の上で悔しがっているに違いない先達に向かって、加賀は小さく目礼した。

[2012年6月]