酒と煙草と女の匂い
予告なし、午前二時半のドアチャイム。開けても碌なことはない。重々承知、のその上で、今日子は溜め息と共に扉を開ける。
「ああっきょーこさんっ! あいたかったっ!」
大袈裟な歓声と同時に倒れ込んでくる身体を抱き止める。細いわりにかちりと重たい身体は、今日子とほとんど変わらない上背。図々しいほど飛び跳ねた髪の毛と、下品すれすれの派手な服装。そして、嘘と冗談で塗り固められた台詞。
相も変わらず、見事なものだ。
「……光栄だわ。毎度毎度ご苦労ね」
「あれ、ツレナイ。きょーこさんもしかして俺のことキライ?」
生意気にも子猫のような顔をして首を傾げてみせる男に背を向けて、今日子は薄暗いリビングへと戻る。強烈な酒の匂いをさせながら、それでも静かに扉を閉め、鍵を掛けて、野良猫のように男はついてくる。
「ねぇねぇきょーこさん、キライ?」
「そうだといいんだけど」
気だるくソファに腰を下ろして、男を見上げる。灯りを消した室内でさえ煌いて見える、強い眼差しが嬉しげにそれを受け止めた。
「で、今日は?」
「えー? ナニ?」
図々しく太腿の間に割って入った手を無視して、男の耳元で尋ねる。受け流そうとした気配を耳朶に噛み付くことで断って、再度。
「だから、今日は? 誰をどうしたの? ふったの、ふられたの?」
「んー、誰って言われても」
懲りずに寝間着を引き剥がしながら、気のない声で曖昧な台詞を返す。
「名前も覚えてねーし。顔……も、忘れたし」
「最低」
「うん。でも、いつものことだし」
「自覚がある分尚更最低」
「うん」
露わになった彼女の鎖骨に唇を落として、相変わらずの気のない声。
「誘われたからついてったけど、つまんなかった」
「そう」
「うん。つまんなかった」
だからあんたに、会いに来たんだけど。
屈託ない告白と同時に、圧し掛かられ抱き締められて、重みに一瞬、息が詰まる。
体臭を深くする酒の匂い。馴染んだ銘柄の煙草の匂い。苦く煤けたその気配の奥、消し損ねた落書のように、ほんの僅かに、女の匂い。
甘さと華やかさのある、幼くて愛くるしい残り香の――これは多分、ベビードール?
ああ、まったく。止まっていた息を深く吐き出したついでに、つまんないのは、と、指摘する。
「貴方に、見る目がない所為ね」
「えー?」
「好みに合う娘を選びなさいよ。それだけの余裕はあるでしょう」
「でも、」
と、彼女の首に噛み付いたまま、くぐもった声で反論する。
「ちゃんと好みで、選んでんだぜ」
「昔の好みのまんまなんでしょ」
「そりゃ」
「莫迦ねぇ、」
胸元に差し入れられた手に、僅かに声を歪ませて、今日子は呆れ声の説教を続けた。
「いつまでも若いと思わないことね。……甘ったるい、少女の匂いの娘ばかりじゃ、」
「うん、」
聞いているのかいないのか、男は楽しげに頷いた。うきうきと脚の間を押し広げられて、彼女は僅かに身を捩る。
「それこそずっと、つまんないわ、よ」
「うん」
「……っ!」
「あ、ここ、イイの?」
「ちょーしに、……乗んなって、のよ、酔っ払い」
唇の端を皮肉に歪めて投げ付けても、男のにやにや笑いは引っ込まない。
「やっぱきょーこさん、たのし」
「悪趣味、」
「すき。あいたかった」
「バカ言うのは、よし、て」
嘘と冗談で固めた少年のような笑顔で、彼は彼女を抱き締める。
「俺、やーっぱ乗り換えちゃおうかなぁ」
「なに、が、」
「きょーこさん専門に。いや、てゆーか既に、きょーこさんひとすじ?」
――呆れた。そんな楽しげな顔で、よくも、言う。
「最っ低……、」
「あ、ヒドイ。やっぱ俺のことキライ?」
くらくらする額に口付けて、嘘だらけの男は囁く。
ほんと、そうだといいんだけど。数分前と同じ台詞を返しながら、今日子は諦めて目を閉じる。
溜め息のあとの深い呼吸に、女の匂いはもうなかった。
[09年7月]