世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
1、これはあんたの分じゃない
むっ……かつくー!
あんまり腹が立ったから怒鳴ることさえ出来なかった。
秀麗な顔立ちに底意地の悪い笑いを浮かべて、めぐみよりいくらか年下のはずの少年は、白い包み紙を破り捨てた。
ほーら、やっぱり安物のチョコレート。こんなもの、風見先輩にあげてほしくないね。
ふたを開けて鼻で嗤って、取り出したハートの形を無造作にぱきんと割る。
なっ……わっ……!
口をぱくぱくさせるしか出来ないめぐみの目の前で、真っ二つになったハートの半分が少年の口の中に消える。
つんと澄ました形のいい唇。端に残ったチョコレートを、覗いた舌がぺろりと舐める。
思った通り下品な味だ。こんなの、風見先輩にはふさわしくない。おまえ程度にはちょうどいいけどな。
文字通りに噛み付いてやろうかと思った途端、めぐみの口に残りのチョコレートが押し込まれた。割れたハートのもう半分。
……う、確かに少し、甘すぎるかも。苦さも結構強烈なくせに。
だけど、それでも、「下品」だなんてあんまりじゃない、ハヤトさまにふさわしくないのはあんたみたいな生意気な後輩の方なんだから、
めぐはあんたみたいに失礼な態度なんか取らないんだから、あんたなんか、あんたなんか、あんたなんか、ああもうなによなんなのよその顔ー!
怒鳴りたかったけれど、口いっぱいのチョコレートを呑み込み終わる前に少年の姿は消えていた。
結局、アンリさんにあげたのとおんなじことになっちゃったわね、そのチョコ。
背後で聞こえたさつきの指摘に、こみあげた怒りも勢いを失くして、めぐみはしゅんと俯いた。
これは、あの人に食べてほしかったのに。……あんな奴に食べられるなら、もっと、違うやつを選んだのに。
生意気で意地の悪いすごくキレイな男の子に似合うような、ちゃんとしたチョコを。
粉々になったハートの欠片が、口の中でまだ苦かった。
◆
2、努力はぜったい無駄じゃない
はいっ、チョコレート。もちろん手作りよ。差し出された可愛らしい包みを受け取る。
大丈夫かな。これ、ちゃんと食べられる? 含み笑いで訊くと、子どもみたいに膨れる。
もう、当たり前でしょ! がんばってつくったのに!
うん、わかってる。よく頑張ってくれたよね。ぽん、と頭に手を置いて宥める。
いつの間にか随分、身長差もついてしまった。ふたつ年上の彼女は、いつも自分より高い位置から、お姉さんぶってあれこれ口うるさくかまってくる存在だったのに。
その割に不器用で、どうにも頼りなくて、初めてもらった手作りチョコなんてお口でとろけず手でどろどろだったし、
翌年のトリュフは創意工夫が溢れすぎていて食べた途端に苦悶の呻きが漏れたくらいだったし、
その次の年のはものすごく苦くてものすごく硬い「ブラウニーらしきもの」だったし、なんというか、思い出すだけで涙が出そうだ。
ほんと、すごく頑張ってくれてると思うよ。毎年、毎年、少しずつ上手になってるから。
今度は照れたように睨みつけてくるあすかの視線を受け止めて、ハヤトは満面の笑みを浮かべた。
◆
3、それとこれとは同じじゃない
義理堅いのは、彼生来の美徳のひとつ。とは思うけど、正直、毎年よくやるよ。
トラック何台分とまでは行かなくても、段ボール何十箱分、で数えられるくらいのバレンタインチョコレート。
断るのでも捨てるのでも、他人にそのままくれてやるのでもなく、全部開けて、一口食べる。もらった包み、全部。
どうせその後スタッフ用のおやつ箱に移動するのだから、そこまで義理立てしなくてもよさそうなものなのに。
というか、その一口×何十回分で、どれだけ自分のカロリー制限がきつくなっているか、まだ分かっていないんだろうか。
呆れ果てて見てたら振り向いた。
なに?
訊くと、ちょっとだけ心配そうな目つきで尋ねてくる。
みきからはなんか、ないのかな。
ほしいの? もうそんなにもらってるのに。
……みきから貰えないんじゃ、他に幾らあっても意味ないだろ。
どーだか。アタシからなんかない方が、少しは食事制限も楽になるんじゃない?
制限なんかどうでもいいさ。その分、ちゃんと消費すればいい。それより、みきからは本当に、何にも、ないの?
全く、心底呆れ果てる。それなのに何故か微笑んでしまう口元を隠しながら、みきはリボンで飾られた包みを取り出した。
◆
4、一応嘘は吐いてない
コレやるよ、と箱を投げ出したら、今日子の顔がぱっと輝いた。
どうしたのこれ、ヴィタメールじゃない! あ、ロイヤルショコラだわ。へぇ、今年はチャームがついてるのね、素敵!
手に取って、眺め回して嬉しそうに言う。普段と違う、子どもみたいな態度。極力「どうでもいい」という顔を作って加賀は手を振った。
知らねーけど、もらっちまったから。んな甘そーなもん喰いたかねぇし、一応もらいもんだから捨てるってのもなんだし……
それで、くれるの? ありがとう!
かぶせるように言って笑ったその表情が眩しくて、加賀は思わず目を細めた。
嘘は吐いていない。もらいものだし、食べる気はないし、捨てるつもりもないし、だから今日子に渡したのだし。
そう、嘘は吐いていない。ただ、言っていないコトがあるだけで。
……今日子の気に入っているチョコレートの銘柄をわざわざ訊いて、そんなに旨いんだったら俺も味見くらいしてみたいなーとかなんとか言って、
比較的今日子と親しい女性クルーから、くすくす笑いと一緒に手渡されたものをそのまま持って来たのだ、という部分を伏せているだけで。
でも、折角貴方がもらったんだもの、私が食べちゃったらくれた人に悪いわ。ひとつくらい味見してみない?
案の定そう言い出した今日子に相好を崩しそうになるのを堪えながら、まーひとつくらいならな、だなんて嘯いてみる。
中身がお酒だから、貴方でもきっと美味しいって思うわよ。どれがいいかしら、えっと、これがワインでこっちがシャンパン……
こんなうきうきした今日子を見られるのだから、このイベントもそう悪くはない。
相変わらず気のない顔をして、それでも内心密かに加賀は、バレンタインデーの仕掛け人たちに感謝した。
◆
5、妬いてるワケじゃたぶんない
はい、あーん。
柔らかな声音と共に差し出されたものを、修はまじまじと見つめた。
トリュフチョコレートを摘まんだ白い指先の持ち主は、色素の薄い瞳を微かに細めている。
どうしたんだい、クレア。
あら、と小首を傾げてクレアが笑う。
ご存知ないはずないでしょう、今日はバレンタインデーよ。
もちろんそれは分かるんだが。
たくさんチョコレートをいただいたのでしょ。
……まあ、それなりにもらったが。
とっても美味しいんですのよ、ここのトリュフチョコレート。なにしろあの今日子さんが薦めてくれたんですもの。
おっとりと微笑む瞳からは何の企みも読み取れない。はあ、と曖昧な返事をしながら修はまだ口を開きはしなかった。
ですから、ぜひ修さんにも召し上がってほしくて。はい、あーん。
いや、だからと言って別に、「あーん」などとやらなくても。
だって。語尾を遮ってクレアが続けた。
こうでもしないと、私からのチョコレートが特別なものにならないでしょう?
言葉尻も眼差しも柔らかく微笑んでいる。逃れられない強烈な甘さ。
……もしかすると、妬いてくれているってことかな。
探るようにして訊くと、唇がほろりと綻んだ。
どうとでも、修さんのお好きなように。
摘まんだチョコレートを少しだけ近付けて答えたクレアに向かって、あーん、と修は口を開いた。
[2012年2月]