愛より甘し
1、キャンディみたいにきらきらの
手伝ってくれないか。大きな荷物を抱えてやってきた修は、顔を見るなりそう言った。
すまない。忙しいのは分かっているんだが。その一言でクレアの抗議を封じて机に置いた包みの中は、色とりどりのキャンディボックス。
無造作に上に載せられた、ハートの形のステッカーの束と、二つ折りの小さなメッセージカードが一包み。ホワイトデー、ですわね。
確認の為に呟くと、ああ、と平板な返事が返った。
大したものは返せないが、人脈というのは財産だからね。
言い訳がましい台詞を受け流し、手伝いますわ、と微笑んでやる。
ありがとう。リボンにカードを挟んで渡すから、ステッカーで止めてくれ。途中で落ちてしまわないように。
頷いて、早速渡されたものを手に取る。可愛らしい小さなカードには、多分、メールアドレスと電話番号が書かれているのだろう。
SUGOの人間ならそんなものはとっくに行き渡っている筈だから、外部、やはり提携プロダクションの子たちあたりだろうか。
ぺたりとハートを貼り付ける。誰のハートを誰のところに届けるのだろうが、クレアにとっては何の意味もない。
ただぼんやりと、ステッカーの色の規則性を追っていた。赤、赤、赤、白、青、青、青、白、白、赤、赤、白、青、青……。
次が青ならその次は赤、と思い浮かべたところで、ありがとうクレア、これで最後だ、と声をかけられた。
ふと気付くと、あれほどあったボックスの山は既に無い。最後だ、と手渡された箱を見て、クレアはゆっくり首を傾げた。
一回り、大きい。他のどれとも違う包み紙。
これは?
特別なものなんだ。頼む。
言われて、今度は瞬きをした。挟み込まれたカードには、クレアの名前が書かれている。
おかしなものが入っているの? 箱から目を逸らさないまま聞いた。
多分、おかしくはないはずだ。目を合わせないまま修も答えた。サイズは一応、調べたからね。
そっと覗いてみた箱の中には、キャンディのように色とりどりの石で飾られた、小さな、可愛い指輪があった。
◆
2、ショコラみたいに意地っ張り
その音は、特別なのだ。ちょうど淹れたばかりの紅茶を口に運ぼうとしていた今日子は、4回目のコールでその電話を取った。
はい、葵です。名乗る必要なんてないのにそう言うと、受話器の向こうで彼が笑った。
誰だと思って出てんの、今日子さん。
うちを出て行ったナマイキで恩知らずなドライバーからだろうと思って出てるわよ。
あー、正解。くすくす笑いが耳元で弾けてこそばゆい。
今どこにいんの?
うち。
そっか。風邪引いてない? こっちすっげー寒ぃの、三月だってのにさ。
こっちも寒いわよ。久しぶりに霜が降りたもの。
うわぁマジで、しんどいな。桜まだ咲かない?
まだまだ。梅がちょうど満開なくらい。
他愛無い会話をする。抱えている本題の気配を感じながら、じゃれ合うように的外れな話題を囁き交わす。
移動いつ?
火曜。
今年はインジャントロプスからだっけ。
そうよ。フライトが長いから大変。
気ぃつけてな。
ありがとう。
短く、会話が途切れる。
あのさ。
なぁに?
こっち、初戦が来週だから。
そうね。
見てて。
ええ。必ず。
勝つからさ、ちゃんと。
わかってるわ。
…それとさ、GWにはそっち行くから。
ええ。
……この前もらった奴、旨かったから。またあったら、買っといて。
パレ・ド・オールのこと?
うん、それ。旨かった。
わかったわ。用意しておく。
………じゃ、また。
またね。おやすみなさい。
こっち朝だけどな。照れ隠しのように笑った声を最後に通話は途切れた。
他愛無い話題に混ぜた、チョコレートの話。次の日曜の話。
これが彼なりの「お返し」なのだと知っているから、今日子は満足の笑みを浮かべて、またティーカップを手に取った。
◆
3、砂糖細工の花びらに
足を止めたのは、花の香りがしたからだ。甘く可愛らしい、少し清々しい香り。
なんだろう、これ。すみれ? 源を求めてさまよわせた目が、道の向かいにある花屋の姿を捉えた。
軒先に並んだ三色菫。あれだ。ああ、もうそんな季節なんだな。
レーシングドライバーである新条にとって、三月はまず「開幕戦の季節」であり、それ以外のものが入り込む余地はあまりない。
それでも、日に日に強くなる陽射しや、柔らかく降り注ぐ雨や、こうして流れてくる花の香りやなんかに、心が浮き立つのもまた確かで。
そうか、花なんてのもいいな。ぼんやりと考える。
おにぎりのお返しは缶コーヒーだった。板チョコには、飴玉を返した。
チョコチップクッキーにマシュマロを、トリュフチョコには和三盆を。互いを名前で呼び合うようになってからは、小さな可愛らしい菓子ばかりでなく、
雑貨やアクセサリーがやりとりされるようになった。
今年はどうしよう、と考えていたのだ。そういえば定番とも言える筈の花束を、贈ったことは一度もない。悪くないかも知れない。どんな花がいいか、今日子にでも訊いてみよう。
いや、ハヤトやあすかの協力が得られれば、そちらから情報を貰うのも有効か。ぱっと光が射したみたいに笑う彼女には、どういう花が相応しいだろう。
明るい色のガーベラとか、素朴な形のチューリップ。可愛らしい小花系でまとめるのも案外、面白いかも知れない。――いや、待てよ。
ガラスに映る自分と目が合った。すこし突飛な思い付きを、素直に認めてしまうのは少し怖い。でも、ほんの少しの躊躇いは、深呼吸ひとつで収まった。
ブラックアウトを待つ、あの瞬間みたいに。
うん、そうだ。遅咲きの梅を見に行こうって、誘ってみることにしよう。
水戸でも北野でも、太宰府でもなくて、紀伊の辺りの梅の名所。新条自身の、故郷の。
そしてそのついでにでも、ちょっと、うちに――実家に寄って行かないか、なんて。
忙しいこの季節の、自分と彼女とのスケジュールについて考えながら、新条はわくわくと足を早めた。
◆
4、蜂蜜みたいにどっしりと
その日は、ハヤトにとっては二重の意味を持っている。
ひとつには、彼女の愛にかたちのあるお返しをするべき日。もうひとつには、彼女がこの世に生まれてきてくれたことに感謝するべき日、だ。
あのね。ティファニーの新作が欲しいの。ピンクゴールドにダイヤモンドの、あれね。
にこにこと伝えられたその言葉を思い出す。この場合、こちらが誕生日プレゼントに当たるのかな。じゃあもうひとつは、何にしよう。
新しいドレスなんてのはダメだ――もうとっくに、自分で選んで買ってしまっているのに違いないから。
アクセサリーがふたつになってしまうのも面白みがないし、下手に甘いものなんてあげると、このところ体重を気にしている彼女には、
わたしが太ってもいいって言うの?なんて拗ねられそうだ。
どうしようかな。あすかが喜ぶもの。
欲しいものならなんだって――お金で買えるものならほとんどなんだって手に入ってしまうような今でも、あすかが本当に嬉しがってくれるものって、なんだろう。
「……でよろしいですね、ミスタ?」
「えっ……あ、はい、問題ないです!」
スケジュールを読み上げてくれていたマネージャが頷き、それから小さく笑った。
「うわのそら、ですねェ」
「あ、ばれてました?」
頭を掻いて、弁解するように笑い返した。
「奥様のことでも考えておいでだったのでしょ?」
「……すごいな、アイラさん。そこまでばれてましたか」
「得意なんです。こういうの」
悪戯っぽく笑う瞳は少女のようだ。実際にはそろそろ50に手が届く、夫も子もいる頼もしい女性なのだけれど。
ああ、そうだ。頼もしい人なのだった、彼女は。訊いてみる価値は、あるかも知れない。
「アイラさんなら、どうだろうな」
「なんでしょう?」
「長いこと一緒にいるんですよ。欲しいものなら大抵買えるし、買ってあげちゃってるし。プレゼントのリクエストだってあらかじめもらってる。
でも、リクエストどおりだけじゃつまらないでしょ。もうひとつくらい、何かないかなと思って」
「それでお悩みだったんですか」
くすくす声を立てて笑う。小さな花が咲き零れるみたいだ。
「全く、男の人って、こんなもんなんですかねェ」
「?」
首を傾げてみせるとますます面白そうに言う。
「忘れてやしませんか、奥様があなたを選んだ理由」
「え、」
「あなたが最も誇りとする、何かのこと」
「…………」
最も誇りとするもののこと。存在意義そのもの、風見ハヤトという生き物そのものである何かのこと。
レースを止めろ、とは、あすかはもう言わない。ただ、必ず帰って来て、と言う。
――いつだったか、ふと零したことがあった。困ったもんなのよ、わたしもだわって気付いたの。
レースをしないハヤトなんてハヤトじゃないわ、って、最近、思うようになっちゃったのよ。
確か、結婚して何度目かの不調のとき、進退問題を大袈裟に報じるゴシップ紙を見ながら、そう呟いたあすかは眩しかった。
あの、ランドルとのクラッシュのあとの一悶着、あの時の彼女とは、まるですっかり別の人間みたいに。
「リクエストどおりでいいんですよ。それを持って、会って、渡してそして言ってあげてごらんなさいな。次も勝つよ、って。
今年もちゃんとチャンピオンになるよ、って」
「……そっか」
零れた呟きは日本語だったけれど、アイラはまた笑った。それでいいんですよ、と言うように。
「ありがとう、アイラさん。さすが人生の大先輩」
「こら! 大、は余計でしょう?」
そしてふたりで、あはは、と笑う。ありふれた贈り物のやりとりを繰り返していつか、あすかもこんな風に頼もしい存在になっていくのだろうか。
それはとっても、素敵だな、と、目を細めながらハヤトは思った。
◆
5、マシュマロみたいに煙に巻く
「なんかよこしなさいよ」
アンリの前に立ちはだかり、腰に手を当てて怒鳴るように言う。アホか。
口に出すまでもなく表情だけでそう吐き捨てて、アンリは目の前に立ちふさがる邪魔者の横をすり抜けた。
「ってちょっと! 無視してんじゃないわよ、ガキ!」
「……」
かちんと来たので振り向いた。けれども、それを顔には出さない。ふっと吐息をつくようにして、一言だけ。
「ババア」
「〜〜〜〜〜っっっ!」
声にならない声を上げて悶絶する相手に再度、アホか、と無言の罵りを投げて、アンリは冷たい視線で立ち尽くした。
ほんの3つの歳の差を、ガキ扱いしたけりゃするがいい。ババア扱いで返すまでだ。
「で? 何の用、ババア」
「その言い方やめなさいよ!」
「何のご用ですかババア」
「あんたね……」
怒りも頂点を越えて気抜けしてしまったらしい。めぐみは、春もまだ浅いというのに剥き出しにしてある肩をがくんと落として、心底うんざりといった溜め息を吐いた。
「もー、これだからめぐ、あんたと話すのイヤなのよ……イヤなのに無理してせーっかく話しかけてやってんのに!」
何を偉そうに。この調子でどうでもいい愚痴が続くのなら、突っ立っていても意味はない。アンリはくるりと踵を返した。
「っと、ちょっとちょっと! 待ちなさいってば!」
「だから何の用、」
「おかえし!」
「は?」
再び目の前に立ちはだかり、きりりと眉を吊り上げてめぐみが叫んだその言葉に、アンリは結局足を止めた。
「なんの話だよ」
「もー、これだから子どもはヤなのよね! ホワイトデーですよーだ!」
「……それが僕に何の関係があるっての?」
「しらばっくれないでよね! めぐのチョコレート食べたでしょ!」
「知らないね」
「ウソツキ! うそつきうそつきうそつきサイッテー! ハヤトさまにあげるはずだったチョコ、食べてないって言うんなら返しなさいよ、ほら、早く!」
……ああ、アレか。思い出した。安っぽい香料の味ばかりする、陳腐なハート型のチョコレート。
確かに食べたことは食べたが、もらってやった覚えはない。従って、礼を言う義理もお返しの義務も全くない。いや、寧ろ。
「ていうか、そっちが僕に礼を言えよ」
「はぁ!?」
「あんなまずいチョコレート、風見先輩が喜ぶわけないだろ。ただでさえ低いお前の評価を、それ以上落とさなくて済んだんだ、僕に感謝するのが当然だよな?」
「じょーだんじゃないわよっ! だれが!」
「……ったく、」
金切り声に嫌気が差して、アンリはとうとう、ポケットに手を突っ込んだ。出来れば、忘れたままでいたかったもの。
片手で器用に包みを開けて、指先にひょいと挟み込む。
「ほら、」
「んぐ!?」
煩く喚き続けていた口の中に、無造作に押し込んで黙らせた。めぐみはもぐもぐと口を動かして、怒っていたことを忘れてしまっているみたいに突っ立っている。
「美味いだろ」
「……っ! べ、別に!」
「ま、お前にはどうせわかんないだろうけどな。それ、やるよ。満足しろ」
「……やるよったって、こんなの、別においしくないけどだからってあんたに返すってワケにも行かないじゃない、こんなマズい――」
思い出したようにぴーぴー喚き出しためぐみの声に背を向けて、アンリはすたすた歩き出した。
さっきのマシュマロがハヤトからもらった「お返し」の一部だということは、絶対教えてやるもんか、と、思った。
[2012年3月]