真夜中シンパサイズ
「――っは、」
一瞬のことだ。ほんの一瞬だけのこと。けれどその瞬間、全身全霊で抵抗されたように、感じる。
「う、」
「ん、あ、あはぁ……っ!」
力尽くで押し切れば、抵抗が千切れて甘い声が弾ける。ぎちぎちと鳴りそうだった繋ぎ目が不意に潤んだ音を立て、内側が甘く柔らかく蕩けて、奥へ奥へと急く質量を受け容れる。
ひとつ年上の恋人は、人並み以上に小柄で華奢だ。のんびりと平穏な高校生活を送ってきたという彼女は、緑間と付き合い始めた時点でまだ男を知らなかった。
みどりまくんは、したことあるの?
初めての夜に訊かれて、童貞だと答えた。嘘ではない。女性を抱いた経験はない。あるのはただ、男に抱かれた経験だけだ。
ほんの三ヶ月足らず、回数にして多分、二十回にも満たない程度の、童貞のままに積み重ねられた性交渉の経験、それだけ。
「あ、あっ、」
強く腰を引き付けていた手を緩めて、ほんの少し上体を起こす。ぼやけた視界、薄暗がり。薄く開いたカーテンの隙間、細く街燈の光が零れて、シーツの海に縞を作る。無防備に広がった髪。はくはくと浅い呼吸を繰り返す彼女の、丸い、小さな、あどけない輪郭。
「……はいっ、た?、」
根元まで。苦しげな声にそう問われる。
「ああ」
「あつ、い、」
「動くぞ」
くたりと投げ出された身体は細い。細く、薄く、柔らかく、どうしようもなく頼りない。けれど緑間は手を伸ばす。圧し掛かり、抱きすくめ、息さえ出来なくなるのを承知で、容赦なく腰を打ちつける。
「っああああぁ――!」
衝かれ揺らされ抉られて、悲鳴混じりの嬌声があがる。くるしい、と、言葉以前の何かが訴える。
それでも、止めない。止めてくれとは言われない。寧ろ、背に回された彼女の、細い白い優しい腕が訴えるのは、もっともっと、という要求で。
「あ、は、は、はっ、ひぃん、んぁぁ、」
日頃あまり饒舌ではない彼女は、最中には舌足らずに喘ぐ。目尻を滲ませ瞳を揺らして、浮かされたように名前を呼ぶ。繰り返し繰り返し、きもちいい、と訴えるみたいに。
「は、やだ、やだ、はやく、もっと、」
せがまれて、融けた繋がりを深くする。小柄な彼女が受け容れるには緑間のものは大き過ぎ、だからいつでも入り口はきつく、根元まで沈めば最奥がつかえる。
つらくないはずがない。くるしくないはずがない。緑間にはそれが解る。自分自身、身を持って知っているから解るのだ。
解るから、それでもきもちいいと繰り返す彼女を、殊更、愛しく思うのだ。
◆
愛されていたのだと、思う。日頃は陽気な、しばしば軽薄ですらある瞳に苦しげな色を宿らせて、しんちゃん、しよう、と彼が言う。少ない機会を惜しむように。僅かな時間を噛み締めるように。
別に繋がらなくたって快楽は得られる。手も使えれば口も使えるし、その為の工夫なら緑間だって知っている。緑間も彼も同じつくりの身体を持つ男で、だからそれを繋げようとすれば却って面倒でさえあるのに、なぁ、しよう、と彼は言う。
何故なのだろうと思っていた。面倒で、厄介で、余計なことばかり要るのにどうして、彼は繰り返し、執拗に緑間を抱きたがったのか。
――今は解る。今だから解る。壊れそうにかぼそい身体が懸命に自分を受け入れてくれる悦びを、暴力的な侵入を許されている歓びを、今の緑間は知っているから。
◆
「――っく、」
「ひぁぁぁん!」
高いかぼそい声をあげて、彼女が背をのけぞらせる。きつく抱き締める緑間の腕の中で、折れそうな背骨がみしみし軋む。
初めて知った女の身体は、それこそ壊れてしまいそうに細くて、白くて、柔らかかった。そのくせ、人並み外れた長身と、平均以上の体重にも、決して抱き潰されたりはしなかった。
儚げなつくりからは信じられないほどの、しなやかな強かさを以て開かれる、身体。壊れてしまわないのが不思議だった。幾ら抱いても、どれだけ見つめても、見極められない不確かな秘密。
――何度か或いは何十回か。繰り返す中で、唐突に悟った。壊れないのは、繋がっていられるのは、彼女がそれを許すからだ。無理や無謀や苦痛を超えて、彼女が自分を受け容れるからだ。
そして、彼女がそうしてくれるのは、そういうことが、できるのは。
◆
饒舌を通り越してやかましく、闊達を通り越して軽薄で、博愛主義に見えて壁が高く、いい加減そうでいて酷く誇り高い。そういう男が、傍に居た。
高校生活の大半を、相棒と呼ばれる関係で過ごした。時によっては親友とも呼ばれ、女王と下僕と揶揄されたりもした。仲間でもあり好敵手でもあり、少々特別な友人同士でもあった彼と、最後のほんの三ヶ月、恋人と呼ばれる関係になった。
部活仲間であることと、恋人であることは両立不可能。少なくとも彼はそう判断したのだろう。だから想いを告げられたのは最後の大会を終えた後だったし、受験生であることとはなんの問題もなく並立した。
不思議なくらい違和感はなかった。性急に深まる関係性を、おかしなことだとも思わなかった。すべて、自然なこと、だった。
その所為だろう、桜前線が本州に到達しようとする時期、告白してきたのと同じ声、同じ唇に、別れてほしいと告げられた時も、あったのは奇妙に落ち着いた気持ちだけだった。
ああ終わったのだ、と思った。何故だかふわりと満ち足りていた。安堵した思いですらあった。大学名と住所を教え合い、ありふれた友人同士のように、握手を交わして笑って別れた。
それから、一度も連絡していない。
◆
追い詰められて、締め付けられて、只でさえ余裕のない体格差にとどめを刺されて、緑間は一拍遅れの頂点を超える。身体の下で切なげに零れる息遣いに、瞼の裏がちかちか痛む。
あいしている。あなたにも、あいしてほしい、と思うくらい。あなたから、あいしているとつたえてほしい、と思うくらい。
ああ、あいしている。あいしている、あいしている。あいしている。
言葉にはしない思いを、できない想いを、奔流に乗せて流し込む。彼女の中へ。緑間を呑み込み受け容れる、酷く柔らかな覚悟の中へ。
◆
許されていること。愛されていること。愛されているのを確かめたくて、何度も、抱いてしまいたくなること。
同じだったのだと思う。彼も。無意識にそれを知っていたから、苦痛と屈辱感を伴う彼との行為を、それでも緑間は受け容れた。痛みの中から快楽を拾い、苦しさの裏側から快感を掬いとって、もっと、もっとと声を上げた。
愛していたから。愛していると伝えて欲しい、と訴える彼を、緑間は確かに愛していたから。だから、だから、だから――
◆
「……、はぁ、」
「大丈夫か」
「…うん」
震えが止んで、ぼんやりと潤んだままの視線が絡まって、照れくさく甘ったるく笑い合う。恥じらうようにそのくせ誇らしげに綻ぶ彼女の瞳を、緑間はくすぐったく見つめる。
あの頃の自分も、同じ顔をしていたのだろうと思う。そしてきっと今の自分は、あの頃の彼と同じ顔をしているのだろう。
愛されていた、と思う。そして、愛していた、と。
離れても、別れても、あの満たされた日々は消えない。それが切ないから、それでも嬉しいから、今は目の前にいる彼女のことを、もっと愛してやりたいと思うのだ。自分が彼に、愛されたように。
「……疲れただろう」
「ん、」
言いながらもう、半分意識を飛ばしている。体力が違い過ぎるから、こうなってしまうのはいつものことだ。明日は確か、朝から予定が入っていたはずだが。
――それでも、受け容れてくれた。苦しさも怖さも乗り越えて、このか細い頼りない身体で、今日も。
力の抜けた身体を取り上げたタオルで拭いてやり、それからぽつりと唇を寄せる。
おやすみ。
あいしている、と囁く代わりにそう言って、緑間はカーテンの隙間を閉じた。
[2013年9月]