やめてくれ
どこにいても、不思議と彼は目立つ。隣に長身の美女を伴っているとなれば尚更だ。
ほう、と感心の声を漏らして、エデリー・ブーツホルツは去っていく彼の後姿を見送った。
名高いドン・ファンであるSUGOのオーナーが女性を伴っていること自体は別に珍しくも何ともないが、
SGM主催のビア・パーティーという公の場から、ああもスムーズに抜け出せるとは珍しい。
こういう場では十中八九、素晴らしく有能なお目付け役が隣に控えている筈なのだが――
「……どんなに、じょうずに、かっくれっても♪」
金の糸を紡ぐような歌声。振り向くとそのお目付け役が、ゆったりとテラスに出てきたところだった。
「かわいいしっぽが、みえてるよ、」
「クレア」
「だん、だん、だーれが、めっかった……♪」
呼びかけに歌の続きで答えながら、クレア・フォートランはブーツホルツの隣に立ち止まった。右手に掲げたグラスの中身を、こくりと飲み干す。
「お前さんがスゴウを取り逃がすとは、珍しいな」
「あら、どうして?」
「お前さんは優秀だからな。ものすごく」
大きな瞳をぱちくりと瞬かせて、それからクレアはころころと笑い声を立てた。
「何言ってるの、」
「優秀じゃないとでも言うつもりか?」
「違うわ、取り逃がしてなんかいないのよ、ってこと」
「は?」
思わず外を見やったが、修の姿は既にない。クレアは相変わらずゆったりと微笑んでいる。
「かわいい、かわいい、修さん」
つい、とグラスの縁をなぞりながら呟く。
「嘴の黄色い、ひよこさん。……どんなに、じょうずに、かくれても、」
「……」
「きいろい、あんよが、みえてるよ……♪」
「……お前さん、まさか」
呆れた。零した溜め息に、楽しげな答えが返って来た。
「琥珀の、素敵なカフリンクスを贈ったの」
「発信器を付けてか」
「いいえ」
「いいえ?」
「盗聴器も付いてるのよ」
「…………」
「すごいでしょう? 振動で自動充電するの」
呆れて、ものも言えない。溜め息と共に天を仰ぐと、下弦の月が美しかった。
隣にいる彼女の髪のような、優しげな金色。
「いっちばんいいところで電話してあげると、すごく面白いのよ、修さん」
小さく笑んだ横顔も、おっとりと緩やかな口調も、話している内容とはかけ離れすぎている。
「ご苦労なことだ」
「私がかしら? 修さん?」
「どっちもだよ」
「やさしいのね」
うふふ、と笑う声は柔らかで、隠している針は見えない。
「お前さんほどの人間が、いつまでもスゴウひとりに拘っていることもなかろう」
「遠回しに口説いてくれているの?」
「まさか」
「冗談でも、そうだ、って言ってくれればいいのに」
「スゴウに恨まれたくはないんでね」
「残念だわ」
言葉通りに残念そうな溜め息を吐く。伏せた睫毛が微かに揺れて、彫刻のような横顔に影を落とした。
「あなたに口説かれたら、喜んでお受けするのに」
「クレア」
呆れた声で遮る。
「冗談の度が過ぎるぞ」
「あら、なぜ?」
空になったグラスを一輪の薔薇のように摘まんで、芝居がかった求婚の仕草。
「自分の魅力に無頓着すぎるわ、困ったエデリー・ブーツホルツ。あなたに憧れている女性が、この世にどれだけいると思うの?」
「随分な悪食がいたもんだな」
「そんなことないわ」
かつん、と差し出されたグラスが左腕に触れる。硬質な金属の音。唇に、苦笑いが浮かんだ。
「この通りだぞ。お前さんみたいな機械オタクならともかく、この腕に抱かれてみたいなぞという女が、そうそういるとは思えんね」
「そんなことないわ」
同じセリフを繰り返す。グラスの縁が、布の上からつうと腕をなぞっていく。
「見せてあげればいいのよ、あなたのこの左手が、」
先端まで降りてきたグラスで指先を、弾く。手袋の中で、かつん、と冷たい音がする。
「どんなに優しく、ブラウスのボタンを外せるかをね」
ゆらゆらと見上げてくる。視線がぶつかる。怜悧で玲瓏とした、艶やかなアイスブルー。
「……クレア」
「なぁに? エディ」
唇が微笑む。瞳が細まる。離した磁石が引き合うように、ふっとふたつの影が、近付く。
「……そういう、いかにも自分は外されたことがあるような言い方をするのはやめてくれ」
「あら、面白くなかった?」
うふふ、と笑う声は軽やかで、潜ませてある毒は見えない。
「……ご苦労なことだ」
「修さんがかしら? それとも私?」
「どっちもだよ」
深々と吐いた溜め息に、クレアは楽しそうな笑い声で答えた。
[2011年8月]