午前9時


 どうも重力のかかり具合がおかしいと思いながら目を開いたら、ソファから半分ずり落ちていた。脳天だけで支えるには自分の半身は重すぎて、気付いた鈍い痛みにうえっとなる。
 カーテンの向こうは眩しい。それでも12階にあるこの部屋は静かで、空調の音も目覚ましの音も、テレビの音も話し声もしない。
 時計を見るとちょうど9時。
 えーと、昨日は……
 頭痛に耐えかねて額に手を当て、うつ伏せたまま考える。
 ……呑んだ気がする、それもものすごく。てコトは今日は多分休日なのだ、そうでなければあんな無防備な呑み方はしない。
 叩けば簡単に外れるくらい理性のたがが緩んだ状態で、失礼ですがお客様、と言われたのは明け方。
 あの店は――名前は忘れたが、何度か行ったことがある――確か朝の5時までやっているから、うちに帰ってここに倒れ込んだのはえーと、たぶん、6時過ぎ……くらい? 3時間も眠っていない計算だ。
 ……思い切って起き出すには短すぎる睡眠時間。もう一回寝なおすには明るすぎる室内。
 午前9時。中途半端な自分の体を持て余す。
「…………うー」
 取り敢えず唸ってみた喉はがらがらで、床に転がった煙草にさえ手を伸ばす気にはなれなかった。
 ああ、水。とにかく水だ、ちくしょう。
 誰にともなく小声で悪態をついて、降りるというより落ちるようにしてソファを離れる。
 ……そもそも、なんでソファなんだ。俺んちなのに。なんでベッドにいないんだよ、おかげでこの頭痛じゃねーか馬鹿野郎。
 罪もない冷蔵庫を罵って、のろのろと扉を開け放つ。こっちにいる間は取り敢えず切らさない、買い置きの水が――
「…………ない」
 なんでだ。眉間の皺が深くなる。帰って来てから飲んだのか? いや、それならいくらなんでもこんなにからからの喉じゃ――

「――あ」

 我ながら間の抜けた声だった。無意識に喉下に当てた手が、見落としていた記憶を探り当てたのだ。
 こんな渇いた喉じゃない、白い、細い、瑞々しい、思わず唇で辿りたくなるような喉の反り具合を、確かに昨夜、間近で――
 ……そうだ。そうだった、そうなのだった。

 薄く開いた寝室の扉。
 静かすぎる室内の空気に、ひとすじ、水脈のような香気。
 立ち上がって、辿る。
 音を立てないように扉を押し開け、薄明かりの部屋にそっと立ち、ベッドの上に咲き乱れた大輪の百合に目を細める。
 サイドテーブルに置きっぱなしの水のボトル。投げ出された花束。白いドレスの彼女。
 長い髪に縁取られた小さな頭の、付け根の首筋は細く白く、まるで白百合の、その白い花びらの、艶やかな曲線――

 午前9時。
 まだ夢の中のような頭と、僅かに重い身体を持て余して。

 睡眠不足の責任を彼女と分かち合うことに決めた彼は、百合の香りのベッドの上に、ゆっくり静かに身を屈めた。


[09年7月]