理由も何も


 少し、考えさせて。そう言って、逃げ出すように帰って来てしまった。走った所為でも暑さの所為でもなくて、心臓がばくばく言っている。
 だって、初めてだ。「すきです。つきあってください」なんて、言われるのは。
 一応、喜んでおくところ、……なのかな。記念すべき「初」なんだし。
 ずるずると玄関先に座り込んで、間の抜けたことを考える。
 知らない相手だった。同じ制服を着ているから、同じ学校の子なんだろうな、と思う程度の。
 短めの髪と大きな目の、女子にしてはずいぶん背の高い、顔立ちもかなり可愛いと言ってよさそうな子で、……あれ、名前、なんてったっけ。
 考えさせて、なんて言っておいて、いつどこで返事を伝えればいいかも判らない。というか、そもそもその返事だって、どう答えるべきなのかさっぱりだし。 ああもう、と頭を抱えて途方に暮れた。
「……とりあえず、頭冷やしてこい、俺」
 深く息を吐いて、立ち上がる。夕焼けに染まる人気の無い河原。躊躇いなく、制服のまま川べりまで降りた。
 水が冷たい。風からも感じられる秋の気配が、水からだとより一層はっきりと感じられる。手のひらに掬い上げた小石は白っぽく、夕陽の赤を浴びてきらきらと光った。
 どう、しよう。ぼんやりと見つめながら考える。
 流石にもう果たし状だとは思わなくなった「放課後、○○で待ってる」という手紙は、月に1〜2度くらいアルマの下駄箱に入っていた。 言われた通りに行ってみると、なんだかんだと頼みごとを抱えた誰かが待っていた。
 いちばん多いのが「鏡くんのメールアドレスを教えて」で(アルマは携帯電話を持っていないのでこの希望には応えられない)、 次が「鏡くんにこの手紙を渡して」(渡すことは渡すがちゃんと読んでいるかどうかまではアルマには判らない)、 時折だが「藍羽さんと友達になりたい」「藍羽さんに紹介してほしい」という依頼もあった(意外なことにこの依頼者は男女半々だった)。
 だから今回もそんなことだろうと思って、割に気安い気持ちで指定された場所に行ったのだ。なのに。
 予想外の展開に、初っ端から打ちのめされた。すきです、と言われて自分がどう返したのか、いくら考えても思い出せない。 気付いたら目の前のその子がひどく思い詰めた顔になっていて、やっぱり藍羽さんと付き合ってるんですか、と問い詰められていた。
 違う、と反射的に答えた。周囲にからかわれる度に繰り返してきた反応。答えを受けたその子の顔がぱっと輝いて、じゃあ私と付き合ってくれますか、と言い出したので、 はっとなってそれで、捨て台詞を残して逃げ出してしまったのだ。
 ……どうしよう。一通りの回想を終わらせてみても、事態を打開できる気はちっともしなかった。
 違う、なんて言わなきゃよかった。そうすればきっと、何も言わなくても諦めてくれただろうに。 ……でも、「付き合ってる」訳でもないのに勝手にそんなこと言うのって、なんかすごく藍羽さんに申し訳ないし。
 というか、「やっぱり」って言ってたってことは、「付き合ってる」ように見えるのかな。ぽしゃりと石を放り出して、河原に座り込んだ。
 周りは勝手なことを言うけれど、実際のところ、騒ぎ立てるようなことは何もない。 一緒に出掛けたことが何度かあったり、学校帰りに送って行くことが時々あるだけで、それ以上のことは全くだ。 そもそも、付き合って下さいとか付き合いましょうとか言ったことも言われたこともないし、……だいたい、「付き合う」ってなんだ。よくわからない。
 情報も経験も極端に少ないアルマでも、たまたま身近にいたから、とか、相手が勝手に好きになってくれたから、なんて程度の理由で「付き合う」のはよくない、 というくらいの考えはある。ちゃんと自分も好きで、相手も好きになってくれてじゃないと。
 ……だったら、好きになるって一体どういうことなんだ。
 小学校に上がるまでの間に、一応、好きな子のひとりふたりくらいはいた(と、思う)。 けれどその後、ごく最近人生が大きく変わり始めるまでは、誰かを好きになるどころか、碌に口を利く相手すらいない状況だったのだ。初恋の感覚なんてほとんど忘れてしまった。
 いや、何より、あの頃と今とでは、心もだけれど体が違う。 可愛い子や優しい子に、どきりとしたりどぎまぎしたりする裏側に、何か不純なものが隠れているんじゃないかという気がして不安になる。
「かわいいな」なんてことは、ちょっと見た目のいい子なら、割と簡単に抱ける感想だし。 どきっとしたりたじろいだりすることも、相手が誰かというよりは相手との距離による気がするし。 感謝の気持ちや尊敬みたいなものや、身近さとか親しさとかいうのなら、それこそルリだけじゃなく、若菜にもメイド隊のみんなにも感じていることだったりするし。
 ……他の誰かと比べるなら、確かに藍羽さんはちょっと、特別かなっていう気はするけど。
 遠い影絵のように思える記憶を頭の中に並べながら、考えてみる。
 でもやっぱり、「付き合ってる」っていうのは、違うよな……。
 漸くその結論まで辿り着いたところで、聞き慣れた声が降ってきた。
「あっれー、丹童子くん? 部活休みだったのに、熱心だねー! 感心感心!」
「……部長っ」
 ぎょっとした。ついさっきまでの悶々とした思考の中にも登場していた、鉱石部部長、伊藤若菜。夕陽を背後に颯爽と、ヒーローのような立ち姿である。
 いつも通りの制服姿に、片手に下げた重たげな袋。あの中に新たな仲間(石)を加えようと立ち寄ったのだろう。ここは彼女の、お気に入りの石拾いスポットなのだ。
「どれどれ、今日のこの辺は、いい顔した子たちがたっくさんいるかなー?」
 駆けるようにして降りてきた若菜は、でこぼこした部分を器用に避けながら、ひょこひょこと河原中を移動して石を手に取っていく。
「おっ、君はなかなか個性的な輪郭をしているね! 一緒に来るかい? えっ、この子も一緒に? おお、確かに君たちは、並べると映えるっ! うん、採用!」
 ……楽しそうだなー。どんよりした気分のアルマには、若菜が一際眩しく見えた。
 と、視線を感じたのか、若菜がくりんと振り向く。
「んんー? 丹童子くん?」
「えっ」
 な、なに、とどもりながら答えたアルマに、若菜はひょいと近付いた。
「なーんか、元気がないねぇ。さては何か、悩んでいるな?」
「え」
 鼻先に指をつきつけられて、たじろぐ。
「どしたの? おねーさんに話してみなさい」
「いや、別に……」
「まっ、無理に話せとは言わないけどねー!」
「……はぁ」
 諦めの早い人だ。さっぱりしてる、というべきか。……彼女くらい自分の気持ちにまっすぐに、すっぱりと振る舞えたらいいだろうな、と思う。
「悩んじゃっててどうしようもないときって、あるからねー。そういうときこそ石と触れ合うチャンスってもんだし!」
「……そういうもんなの?」
「そういうもんなの。この子たちと話をしてるとねー、思いもかけない発見があったりするんだよ?」
「へぇ……」
 あながち、嘘でもないかも知れない。 この前の春、新しい環境をどう乗り切っていくか分からないまま途方に暮れていたアルマに、ひとつの道しるべを与えてくれたのは白っぽい小石と、この若菜だった。
「まー、なんですよ私的には、石も大切だけど、丹童子くんも大切なので。困ってることがあったらいつでも、言ってきてほしいなって思うんだよねー」
「…………」
 このあけっぴろげな好意は、どこから出て来るんだろう。既に何度も、救われている。
 とはいえ、なんだかんだと複雑な心中を解ってもらえる相手だという気はしなかったので、この場は世間話でやり過ごそうと密かに決めた。
「おおっ、こんなところにも逸材がっ! んー、このなめらかな手触り、君はなかなかの苦労人だねぇ!」
 愛おしそうに小石を袋へ入れている若菜を見ながら、素朴な疑問を口に出す。
「……部長って、自分ちにも石、持って帰ってるの?」
「もっちろんだよー! 親にはさー、はじめは色々言われたんだけど。もう、すっかり慣れちゃってるから、なーんも気にされてないんだよねー」
 あはー、と笑う顔が眩しい。気負いも衒いもない態度。
「そんなたくさん拾ってって、置くとこ大丈夫?」
「だいじょーぶ! 自分の部屋とねー、庭とか、花壇の周りとかにもあるんだー、石置きスポット。ちゃーんとそれぞれ似合う場所があるから不思議でしょー?」
「……でもさ、ここの石、全部拾って持ってける訳じゃないよね」
「んー? そりゃ、そうだよー?」
「どうやって、選んでんの。どの石も全部、好きなんだろ」
「うん! みんないい子!」
「その中からどうやって決めんの、置いてく石と、持ってく石と、……これは特別だって奴と」
 言いながら、内心ではっとしていた。今口にしているのは、ついさっき考え込んで解らなくなってしまった悩み事そのものじゃないか。
 自分にとっての「特別」はこれだと、どうやって確信すればいいのか、ということ。ざわざわと緊張するアルマの内心に全く気付かないように、若菜はくるりと瞳を廻らせた。
「うーん、どうやってって言われてもねー。よく分かんないな」
「……分かんないのに、こんなたくさんの中から選べるんだ」
「だーってさ、」
 若菜が笑う。にかっ、と音が聞こえそうなくらいに思いっきり。
「好きって気持ちに理由も何も、ないと思うんだよね!」
「…………」
「そりゃーね、この石のどこがいいとか何が好きとか、探せば言いたいことなんていーっぱい出てはくるんだけどさ。でも、それはそれ、これはこれ!」
 大きな瞳をきらめかせて、ちょうど手の中にある小石を夕陽に翳す。
「ぱって目が合ってさ、たまたま手に取ってさ、それで自分が、あーこの子いいなあって思えたら、もうそれだけでいいんだよ! そういう出会いなんだよ。そういう運命なの!」
 運命。すごい、そこまで言い切っちゃうんだ。
「あ、もちろん、ちゃんと石の顔を見て、一緒に来てもいいって言ってくれてるかどうかは考えなくちゃダメだよ?」
「……そういうのは、分かるもんなの?」
「わかるよ! なーんとなくだけど、ちゃんとね。ほら、この子は、一緒に行きたいって言ってるでしょ?」
 夕陽に翳された、微かに緑色っぽいその小石の、いったいどこからそれを読み取っているのかアルマにはちっとも判らなかった。
 判らなかったけれど、笑った。気配を感じて若菜が振り向く。んー?と首を傾げて、それから満足そうな顔になる。
「いーね、いーねぇ丹童子くん! さっきまでより全然イイ顔してるよ! この子たちから、お悩み解決、見付けたね?」
「うん、まあ、そんなようなもんかな」
 誇らしげに小石を掲げたまま、嬉しそうに頷く若菜。うん、部長もやっぱり、可愛い。
 今日、すきですって言ってくれたあの子も、かわいい。メイドさんたちも、鉱石部の仲間のことも、好きだ。
 でも、それはそれで。
「……うん、ほんと。確かに、解決……できたっぽい」
「よーし、それでこそ我らが鉱石部の部員! 偉いぞー丹童子くんっ!」
 ばんばん!と背中を叩く若菜に、いたいいたいいたい、と抗議しながら考える。
 なんでかは知らないけど少し、大袈裟にじゃないけど確かに、可愛い女の子たちの中でひとりだけ、特別。
 かつて偶然出会って、今更ふいに近付いて、それで自分が、この子といると嬉しいなって、思えるのなら。
 もうそれだけで、いいのだ。
 ――その感情に、理由なんかなくても。名前が付けられなくても、分類できなくても。
「いーい夕焼け! こりゃー、明日もいい天気だねぇ♪」
「うん」
 そう、明日。名前を知らないあの子にまた会ったら、迷わずちゃんと答えられる。
 細めた目の奥で、夕陽の金色がきらきらと弾けた。


[2011年10月]