エディプスの憂鬱


※時々出て来る次世代ネタ共通設定
 葵 悠一郎 [あおい・ゆういちろう]:長男。理屈屋で頑固。母親とは考え方が合い、父親に対してはツッコミ役。
 葵 叶二郎 [あおい・きょうじろう]:次男。悠一郎の3歳下。母親は美人だと素直に思っており、父親は最強のライバル。


 ひゅー、どおん、ぱらぱらぱらぱら、どこか遠くで花火の揚がる音がする。
 ひっきりなしに蝉の声。なんでだよ、もう夜だぞ、ただでさえこんな暑いのに、
「…だぁ! うっとーしーんだよ虫ケラ!」
 ばん!と机を叩いたところで蝉どもが大人しくなる気配はない。網戸越しの、湿度の高い風がどろりと揺れる。
「どうした突然」
「まだ不機嫌なの?」
「カルシウム不足。ほら飲め牛乳」
「……イヤミか! 飲むけど!」
 17歳にして180cmを超える長身の兄がとぽぽぽと牛乳を注いでくれる。カルシウム云々はともかく、冷たいものが胃に流れ込む感覚は、問答無用で気持ちいい。
「うがぁぁぁぁ、気温がむかつく……!」
「不毛ねぇ」
「言うだけ無駄」
「つーか感想文10000字以上とか意味わかんねーし!」
「今更でしょ」
「自業自得」
「いちいちリアクションが残酷すぎんだろ!」
「おまえが煩いんだよ」
「口より手を動かしなさいな」
「ぐぅ……味方がいねぇ……!」
 兄は小学校入学以来、夏休みの宿題を8月に持ち越すなんて羽目になったコトのない奴だし(二次元か!)、 母の方は仕事を片付ける速度が通常の三倍(※但し引き受けすぎるので終わらない)と謳われ続けてきたバリキャリなので、 したがってこの場に、オレの窮状を理解して慰めてくれる人はいない。切ない。気温とは裏腹に胸の辺りがすんすんと寒くなるくらい。
「泣くな泣くな叶、俺は味方になってやんぞー」
「!」
「へー読書感想文。ナニ、まだ四行しか書いてねーの?」
「っゼェよ! 風呂上がりにひっついてくんな暑苦しい!」
「んだよー味方がほしいみたいに言ってたクセにー」
 いかにもワザとらしく唇とつんと尖らせている、実の父親を力一杯突き飛ばす。因みに兄も母も完全無反応でしたさっすがー。
「テメーが味方じゃいらねぇよ!」
「うっわナニその態度。何様? おまえいつからそんな偉くなったんだ、あぁ?」
「っせぇ! んなカッコでうろうろしてる奴に態度がどーとか言われたくねぇわ!」
「んー?」
「下着一丁で出てくんなっつってんだよ見苦しい!」
 こっちが恥ずかしくなるくらい典型的なオヤジっぷり。これで遺伝子が半分同じだってんだから泣けてくる。オレもあと30年くらいしたらこーなんのか、とか思うと尚更。
「っは、バカ言ってんじゃねーぞ叶、」
 にい、と悪いカオして微笑んで、残念な父親がなぜかぐぐいと胸を張る。
「俺は自分が『見苦しい』なんて思ったこたないぜ!」
「自重しろ中年!」
 とりあえず原稿用紙を投げ付けておいた。ダメージがなさそうだったので文庫本も追加。 ちょっと、私の本!と母が血相変えているが気にしない(どうせシメられるのは父親だし)。
 空いたグラスを流しに放り、花火見てくる!と言い残して飛び出した。……ちゃっかり兄がついてくる気配は受け流した。 扉の先の闇も暑い。どおん、どどどん、ぱらぱらぱらぱらっ、花火の音が鮮明になる。
「叶、」
「なに」
「高田橋の方行こう。多分空いてる」
「んなじっくり見る気なのかよ」
「おれは宿題終わってるから」
 にやりと笑う口元の意地が悪い。くそ、こーいうとこ結局コイツも父親似だ。
「……いーんだよ、まだ22時間くらいあるし」
「精々頑張れ」
 ち、と鳴らした舌打ちの音も、どうしてもオレじゃ様にならない。眇めた目、片方だけ跳ねあげた眉。意味ありげに吊り上がる唇、強い光の乗る瞳。
 ちくしょう。半分だけおんなじ遺伝子、だけじゃ、どうやったって太刀打ちできない。
「終わって帰ったら、残り21時間くらいだなー」
「……夜食買ってこ」
「早めに帰る選択肢は」
「ない」
 ったく、ホント、認めるのは癪だが。
「…今帰ったって、イチャイチャしてる両親にぶつかるだけだし」
「久しぶりだからな、帰ってくんの」
 こんなとこまで慮ってあげてる、健気な息子を褒めてほしい。つーか、少しは気を遣ってほしい。
 困るんだよ、いい歳してさ、ただでさえこんな暑いのに、
「…っんとウザイわ、あの親父!」
 ぼやいた声は花火が昇ってく音の陰。
 とりあえず、感想文の構成でも考えておくしかない。見上げた空に、どおん、と真っ赤な花が咲いた。

[2014年8月]