その反対


 彼女が口にした意外な台詞に、加賀は思わず手にしたグラスを取り落とすところだった。
「……え?」
「だから」
 ちょっと苛立ったように首を傾げて、今日子はもう一度、言う。
「好みのタイプを教えて頂戴、って言ったのよ。……聞いてる?」
「聞いてる、」
 けど。ちょっと、呆気に取られてる。
 だってそうだろ、そんなセリフはたいてい、遠回しな誘い文句だ。
 ……それにしては、昼下がりのカフェテラスは少々、健全過ぎる雰囲気だけれど。
「なんで、今更?」
 一応、訊いてみる。期待半分、諦め半分。じっと見守る彼の目線の先で、彼女がほろりと微笑んだ。
「マスコットギャルをね、雇おうと思って」
「……は?」
「来期はうち、色々変わるでしょう。大々的に広報活動をしたいのよ。
今までみたいにいちいち契約事務所から派遣してもらうのって、手続きの手間を考えると結構面倒だったのよね。
イメージの統一を図るためにも、二人くらい専属を雇おうかって話になったの。ほら、スゴウの二人みたいに」
「…………」
 ああ、やっぱり。うん、分かってたけどね。うん、まさかそんなはずねーよ、って確かに、思ってたけどね。
 でもやっぱ、ちょっと。
「? どうしたの? 体調悪かった?」
「……いや。別に」
 ちょっとがっかりしちゃっただけです。くそ。
 心の中だけで吐き捨てて、平静と軽薄が五分五分くらいの仮面をかぶる。再度口を開いたときは、ああ、大丈夫、いつも通りに憎たらしい顔が出来ているはずだ。
「で、ナニ? それは俺の好みに合わせて雇ってくれるってコト?」
「馬鹿おっしゃい」
 調子に乗ってずいと近付けた額をぴしゃりと叩かれる。
「その反対よ。貴方の好みになるべく引っ掛からないような子を雇いたいの」
「ややっ、それはもしや、ヤキモチ!」
「……来期の契約金は要らない、と」
「すいませんでした」
 額をテーブルに擦り付けて謝る。自分の冗談にちょっと傷付いてしまった自分に、内心とほほぉとなりながら。
「……別に、貴方を信用してない訳じゃないのよ」
 加賀の目の中に落ち込みの色を見て取ったのか、声音を和らげて今日子は言う――もっとも、落ち込みの理由は彼女が思っているのとは全く違うものだったが。
「あくまで予防策ってことで、承知しておいて頂戴。リスクヘッジも経営者の仕事なんだから」
「そりゃそーだけど。心配するほどのリスクだとは思わねーけどなぁ」
 何しろほら、よそ見してる余裕なんかないくらいの本命が、今はいるわけだし。
「念には念をでしょ。信用してない訳じゃない、けど、断言できるほどの自信もないのよねぇ正直」
「……信用してないってんだろ、そーいうのは」
「そうかも知れないわね」
 ひとかけらの悪気もなくそう言って、今日子は再び加賀の顔を覗き込んだ。
「で、どうなの? どんな子が好み?」
「…………」
 これが真昼のカフェではなく、深夜のバーだったら。彼女の背後に責任感や好奇心ではなく、色っぽい思惑が透けて見えていたら。
 もしそうだったら、ぞくぞく来るような距離感なんだがなぁ。……くそ。
「聞いてるの、加賀くん?」
「教えない」
 語尾を被せるようにそう言って、そっぽを向いた。一瞬ぽかんとしていた彼女が、たちまちむっとした顔つきに変わる。
「ちょっと、加賀くんたら! こんなことくらいで臍曲げないで頂戴」
 なーにが「こんなことくらい」だよ、畜生。俺は心底がっかりしてんだぞ。
「好みのタイプくらい、教えたって罰は当たらないでしょ?」
「そーだけど、教えない。ぜーったい、ヤダ」
 数秒間むっとしたオーラを持続させてから、呆れた、と呟いて今日子は肩を落とした。大袈裟な不機嫌の理由を測りかねているらしい。
「……当ててみな」
「え?」
「教えねー代わりに、当ててみなっての。俺の好み。長い付き合いなんだしさ、」
 自分とこのドライバーのことぐらい、ちゃーんと分かってなくちゃな、オーナー?
 にやりと意地悪く笑ってそう付け加えると、今日子は一瞬かちんときた顔をして、それからすぐに考え込む顔つきになった。
 負けず嫌いで、そのくせ素直。しかも生真面目。目を閉じて眉を寄せ、真剣に考え込み始めた彼女を見ながら、そんなところがいいんだよなぁ、などと不届きなことを考える。
 んと、と小さな前置きを呟いて、今日子が顔を上げた。目は閉じたままだ。今まで加賀が連れ歩いて来た女の子たちを思い浮かべているのだろう。
「陽気でノリがいい、それでいてやかましくない」
 細い指をゆっくり折って、数え上げながら。
「綺麗というよりは可愛いタイプで、小柄だけど華奢ではない。服装や化粧の好みは派手、顔立ちもどちらかというと華やかで、」
 指を折る仕草だけで、どうしてこうも人の目線を惹き付けるのだろうか。優美で典雅で、華やかな指先。
 ちょっと寄せた眉がまた色っぽい、と思いつつ、ぼんやりと彼女の数え上げる条件を聞いている。
「ちょっと子供っぽくてちょっと軽薄な感じの、お金と手間のかからない、若くて元気のいい女の子。……てところ、かしら」
 ぱちりと目を開けて、どう?と小首を傾げてみせる。妙に誇らしげな様子に口元が緩んで、加賀は思わず破顔した。
「なんで笑うのよ」
「いや、……お見事ですよ、きょーこサン。さすが女王サマ」
「またそんなこと言って」
 呆れの混じった溜め息をついて、今日子はすっかり氷の融けた水を一口呑み込んだ。
「まぁ、本当に当たってるならいいんだけれど。この反対を探せばいいってことよね」
 そうそう、と頷いて、ちょっとだけ顔を彼女に近付ける。
「似ても似つかないよーなヤツをな。そしたら、ま、口説くときにゃ本気だからな、軽率な真似はしませんて。
 強気で勝気で意地っ張りで、ときどきすごく冷淡で口うるさい。凡人にゃ近寄りがたい美人で、背が高くてすっげぇグラマー。いつ見ても品のいい高そーな服着て、派手というより華のある顔で、いかにもオトナでいかにも手強いってカンジの、ものすごく金と手間ヒマのかかる、すこぶる綺麗なおねーさま。……だったら、な」
 意味ありげにじっと見つめて言い切ってみた。反応を待つ。
 一秒。二秒。三秒。
 ――ゆっくり、ぱちくりと目を瞬いた彼女は、心の底から困ったわという顔をしてこう言った。
「そんな子が、マスコットギャルなんてしてるかしら?」
「…………」
 ――がっかりした。
 あああああ、ダメだ。ほんとダメだ。ここまで言ってまだ分かんねーんだこの人。
「? どうしたの? 私、何か変なこと言った?」
「いや……ヘンじゃねーです……まったくおっしゃるとーりで……」
 項垂れたままそう答える加賀に尚も不思議そうな視線を向けて、今日子はまた小首を傾げる。
 小鳥のように無邪気なその仕草に、込み上げる呪いの言葉を呑み込んで、加賀はもう一度溜め息を吐いた。

[09年7月]