きれいだもの
シャッターを切る瞬間が好きだ。可能性を切り取っている感覚がある。
実際に画像を表示して確認するときよりも、データを加工し終えたときよりも、それを印刷物に仕上げたそのときよりも、もっと。
だから彩は、客観的で分かりやすい写真というよりも、主観のこもったドラマティックな写真を撮りたがる。
報道部門ではなくてスポーツ部門にいるのもその所為だ。
静寂の中に破裂しそうな緊張を感じる、短距離走のスタートライン。
背中に翼が見えそうな気がする、外野手のファインプレー。
画面越しのこちらまでびくっと身体が竦んでしまう、強烈に叩きつけられるスパイク。
シューターの手からゴールまでの軌跡が浮かび上がって見える、完璧なまでの3ポイントシュート……
「劇的な瞬間」という素材には、スポーツの世界にいれば事欠かない。
だから、プライベートな感情を抜きにしても、CF関係の取材が好きだ。
この巨大なサーキットにひしめく人々の群れから、かけがえのない一瞬を掬い上げる自分の仕事が。
「……しかし、」
それはそれとして、「一般受け」する写真もどっさり撮って行かなくてはならない。
ゴシップ誌でもタブロイド紙でもないとは言え、『SPORTS GRAPH MOVE』の主な購読者は青年層から壮年層の男性である。
彩個人としては最も惹かれるのは実際にこの場で働いている人々、特にチームの希望の体現者であるドライバーたちの表情なのだが、
華やかさがウリのモータースポーツ界、煌びやかなセレブリティの女性たちや、極端な露出のキャンギャルたちの姿を楽しみにしている読者も多いのだ。
この点、男性カメラマンに比べると、熱意でも技術でも彩の写真は劣る――関心が向かないどころか嫉妬を覚えるのが正直なところだから、当然と言えば当然なのだが。
「あーあ、このメモリ使い切るくらいにはセクシーショットも撮ってかなくちゃいけないか……うー、気が重い……」
溜め息と共にメモリーカードを押し込んだ途端、後ろからぽん、と肩を叩かれた。
「お疲れ、彩さん。一段落した? 一緒に休憩しない?」
「みきさん」
AOI-ZIPフォーミュラでチーフメカニックを務める城之内みきとは、数年来の顔見知りである。
只でさえ多忙なメカニック職の、それも部下を束ねる立場にいるのだから、本当ならみきに部外者を構っているような余裕なんてないはずなのに、
こうして声をかけてくれることそのものが、彩のためにわざわざ時間を作ってくれていることを示している。
内心を掠めた申し訳なさは押し隠したまま、彩は頷いてお礼だけを言った。
「どう? 調子は」
オーナーかスポンサーからの差し入れだろうか、大量に積まれたスポーツドリンクの缶をひとつ差し出して、みきが訊いてくる。
「順調よ、と言いたいところだけど、……まあ、いつも通りよ、という程度かな」
「ま、そう悪くもないんじゃない? 今年はプレス用の部屋数ちょっと増やしてるからね、少なくとも居心地は悪くないはずだと思ってるけど」
「そうね」
「あれだけの人口密度に、むさくるしい男どもばっかりじゃあねぇ……アタシでも真夏のガレージなんかうっとなることあるのに、彩さんには時々同情しちゃうよ」
ちらりと本気の見え隠れする口調。
フリー走行から決勝後の表彰式まで、数日間をサーキットに貼り付いて過ごすことになるのは、みきたち出走チームだけでなくマスコミも同じことだ。
重たい機材は有難いことに年々小型化しているが、詰めかける観客、押し寄せるプレスの人数は一向に減らない。
そして、これだけ成熟した世の中にも関わらず、未だにモータースポーツの世界は、圧倒的に男性優位の傾向があるのだった。
「やーっぱさー、まだまだ、『男の世界』だよねぇ」
みきが目を細める。目の前に広がる、永遠の少年たちが駆け回る世界。眼差しはまるで、呆れながら子どものやんちゃを見ている母親だ。
「人数だけで言えば、女性もけっこう多いはずなんだけどさ」
実際、言いながら見渡す広いサーキットのあちこちには、大きな花が咲いているように見える。
レースクイーンとキャンペーンガールたち。各地から訪れるセレブリティたち。
「開幕戦」である今回は特にステータスが高いらしく、欧州どころかアジアやオーストラリアからの著名人の姿も多い。
「人数だけはね。……そう、彼女たちを、もう何十枚かは撮ってかないといけないんだけど、」
「けど、気が進まない?」
悪戯っぽく笑うみきの目は猫のようだった。光を弾いて、きらきらと輝く。きれいだ。
思ったから、許可を取る隙もなくシャッターを切った。うわっ、と目を瞬いたみきが、少し遅れて唇を尖らせる。
「もう、彩さんてば、アタシなんか撮っても面白いコトないよ?」
「あるわよ。きれいだもの」
「まさか!」
くっくっと笑う。心底、おかしな冗談を聞いたとでもいうように。
「まーったく、こんだけ美人が溢れてるところでよく言うよねぇ」
「本当よ。とってもきれい。……誤解を恐れずに言えば、とてもきれいに『見える』と言うべきかしら」
言われたみきの、くすぐったそうな顔。そう、そういう表情も。
「眩しくて、いきいきしてる。写真でだってそれは伝わるわ。伝えたい。
露出の多い、人の目を引く写真ばっかり採用されちゃうけど、私、もっともっと、本当にきれいな人を撮りたいって思ってるの」
「プロだね、」
柔らかな相づちに、ふっと誇らしさが満ちた。
そう。そうなのだ。仕事だから仕方ない、じゃなくて、私は私の大好きなものを、本当にきれいだと思うものを、世界に伝えるためにここにいるのだ。
――目の前の彼女と、同じように。
「そうね。みきさんがマシンに全力を注ぐのと多分、同じね」
「大好きだからね。キレイだろ? どの子も」
「ええ。どのマシンも、どのドライバーも。……特に、アオイの、日本人ドライバーはね」
「もう、」
照れたように笑う顔がまたすごくきれいで、だから彩も笑いながら、もう一回シャッターを切った。
大好きなものを写している今の自分はきっと、ファインダーの中の彼女と同じくらいきれいなんだろうな、と思いながら。
[2012年4月]