きらきら、ひかる
嫌われているんだろうな、と、思っている。
卑下している訳ではない。誤解されがちだが、新条直輝の本質は、至って冷静で分析的なのだ。――頭に血が上っている状況下を除けば。
だからこれも可能な限り客観的に考えた末の判断結果。即ち、「城之内みきは、新条直輝を嫌っている」。
「新条」
掛けられた声に視線を向ける。セーラー服の広い襟、プリーツのぴしりと通ったスカートの、立ち姿があまりにも堂々としていることに、舌打ちのひとつもしたくなる。
だってそうだろう、男子トイレの入口なんだぞ、そこ。
SHR後の教室内は閑散として、扉もカーテンも無防備に開け放たれているらしく、だから廊下の向かいのここにまで、教室の窓の光が入ってくる。
逆光。午後の陽射しを背中に受けて、声の主の顔はよく見えない、けれど。
「何やってんの、アンタ」
ほんの少しハスキーな声と、ちょっとばかり蓮っ葉な口調。よく知っている。クラスメイトの、城之内みき。
瞬きひとつだけを返して、それからするりと目を逸らした。早く部活に行きたいのだ、気を散らしている暇はない。
「ちょっと、新条、」
「……掃除」
見て判らないのか、と言わんばかりの口調で言ってやる。ぴくりと城之内の肩が強張るのが、分かる。
「アンタひとり、で?」
答えない。ちり取りの中身を屑籠に流し込み、用具入れの中に箒を戻す。
「おかしくない?」
「別に。何も」
焦れたような気配。
「おかしいっしょ!」
「どうでもいい」
「――あー、もう、バカ!」
呆れじゃない、諦めでもない、明白な怒りに彩られた声が、ぴしりと周りの空気を打つ。
「だいったい、アンタがしゃっきりしないからこうなるんだよ!」
ぴしり、ぴしり。一語一語が鋭くて強い。頭を抱えて縮こまりたいところをぐっと堪えて、小さく眉をひそめるに留める。
それがまた反抗的な表情に見えるのだろう、城之内の凛々しい目元が険しくなる。
「自分のコトだよ、わかってんの、新条!」
「わかってる」
分かってるよ、自分でも。堂々とも振る舞えないし、大人しくにこにこしてもいられない。
中途半端で子どもじみた、自分の器が小さいのは、自分自身が誰よりもよく承知してる。
「なんだよ、佐々木も篠原も! 訊いたらアイツら、今週の部活皆勤だって言うじゃん、
アンタひとりに押し付けて好き勝手やってるってコトだろ、なんで何か言ってやんないのさ!」
「だから、別に、どうでもいい」
「よかないよ!」
被せるほどのタイミングで言い放たれる非難にかちんと来る。なんなんだよ、大体、城之内には関係ないだろう。
「どうでもいい。誰かがやればいいんだろう。他人を説得してる暇があったら、自分で済ませた方が早い」
こんな台詞だって、穏やかに微笑みながら言えたならそれなりに説得力があるんだろうけど。
できない。不機嫌、と太ゴチックで書き殴ってあるような顔をしている、と、自分でもちゃんと承知している。
「……アンタさぁ、それ本気で言ってんの?」
「ああ」
「そういう風には見えないけどね、」
一瞬の間と、短く切り上げられた語尾で、見放されたと判った。なんだよ。自分から絡んで来たクセに。
「……アタシ、帰る」
新条は返事をしなかった。
――というのが、先週末のこと。こんな場面がしょっちゅうあるのだから、溜め息も出ようというものだ。と、SHR後のざわつきに沈んだ教室の隅で考えている。
そもそも、誰からも好かれる城之内と、誰とも関わりたくない新条との、学校生活における相性は最悪。
見て見ぬフリとか、茶化して誤魔化すといった手段が好きではないらしい城之内は、放っておいてくれと願う新条の後ろ向きな態度にいちいち苦言を呈す。
その度に新条は不機嫌な対応をするから、ますます苛立ちを募らせるという悪循環が続いてしまうのだ。
むっつりと黙り込んだ新条には誰ひとり声をかけないが、ぷんすかと肩を怒らせたみきにはクラスの女子たちが労いの言葉をかけるというのもまた、新条にとっては引っ掛かる。
まあ無理もない。クラス替えからまだ3ヶ月というところなのに、城之内の周りには友達が多い。
つまり、人気者なのだ。明るくて元気で、しかし締めるべきところはきっちり締める、まさに頼れる姐御肌。
――だから皆、彼女の言うコトなら聞く。新条が言ったところで、うぜぇー、なんて嗤うだけの奴らでも。
「やー、ないない、それは絶っっっ対ない!」
「えー? でもみっちゃんもしのっぴも言ってたしー」
「ネタっしょ?」
「ガチだってガチ!」
そう、耳に突き刺さる甲高い声の主たち、窓際に群れているあいつらとか。モバイル片手に突っ立ったまま、馬鹿笑いを交えて無駄話に余念のない女子が数人。
すぐ後ろに箒を持った教室掃除の当番が困惑した顔で立っているのにも、当然気が付くはずもなくて。
「…………」
ああいうのホント、みっともないよな。呆れもするし、腹も立つ。けれど、何も言う気はない。言っても詰られるだけだと知っているからだ。
代わりに席を立って、窓際までつかつかと進んで、黙って女子生徒たちの間に割り込んだ。
ちょっと!という非難が湧き上がる前に勢いよく窓を開け放ち、わざとらしく下に向かって声を掛ける。
「宮坂! おれ、今日、委員会あるから! 部活遅れるって部長に言ってくれ!」
おっけー、呑気な声が返ってくるのを聞きながら、視界の端で彼女らが教室から消えているのを確かめる。まあ、こんなもんだろう。
城之内さえいてくれれば、そもそもこんな、苛々と険悪な空気になんかならないのだけれど。
――そこまで考えてまた溜め息が出た。なにやってんだ、おれ。結局、城之内のことばかりじゃないか。「天敵」とまで呼ばれてるのに。
舌打ちしたいくらいの気持ちを抑えて、足早に自分の机に向かう。中身の詰まった鞄を取り上げ、出しっぱなしだった椅子をかつんと仕舞って整える。
磨かれた木の天板がきらきら光った。机の中に映り込むほどに、青空が眩しい。――眩しい。目を細める。
そうだ、つまり彼女は太陽のようなので、眩しくって見てられない。陽射しの中では、眩し過ぎて見えない。
うまく絡めないのも口論ばかりになるのも、別に、嫌いだからって訳じゃない。向こうがこちらを嫌いでも、――おれは別に、嫌いじゃない。
嫌いじゃないっていうか、……割と好きだ。っていうのは、自覚している。
あんな風に振る舞えたら。あんな風に明るく笑って、あんな風にぴしりと正論をぶつけて、それでいて誰も傷付けたりはしないで。
憧憬というべきだろうか。羨望? 嫉妬? 分からない。とにかく、「嫌い」なんて感情とは、正反対くらいのところにあるもの。
眩しい彼女に、惹き付けられる。でも、あのきらきらと眩しいものをいつも、おれは苛々させてしまうんだ。――そんなこと、ほんとは、したくないのに。
「…………、」
しつこく零れそうな溜め息を深呼吸のフリして呑み込んだ。鞄を背負うとモバイルが鳴って、夕立アラームがちかちか黄色く点滅する。
「えっ、」
思わず振り向いて空を見た。眩しい。鮮やかに濃い青に、派手な入道雲。――積乱雲。
なるほど、夕立、或いは突然の豪雨、その可能性は充分ある。せめて、委員会が終わるまでは持ってくれればいいんだが。
「まあ、置き傘だったらあるけどな、」
傘立ての隅の蝙蝠を思う。
新条直輝。ロードレース部、通称チャリ部の2年生。任務をさっさと終わらせるべく、重たい鞄を背負い直すと、眩しい教室を飛び出した。
[2013年11月]