銀色の
きゃあ、と、悲鳴とも歓声ともつかない声があがって、視線が一斉に流れた。
直後に爆発する笑い声。誰かが手を叩く音。人の輪の中心にいる、背の高い、金色の髪の男。
――ああ、歓声だったのね。トラブルでなくてよかった、と思いながら、今日子はグラスの中身を一口呑み込んだ。少し甘すぎる白ワイン。それでも、程好い酩酊感を運んで来てくれたのは有難い。
FICCY主催のクリスマスパーティーは、宗教も文化も関係なく、取り敢えず関係者全般に向けて門戸の開かれた「打ち上げ」のパーティーだ。
日本でなら「忘年会」という名で催されるであろうところの。
とはいえ、新マシンの発表まであと2ヶ月足らずというチームが殆どだし、水面下での駆け引きはともかく、
「互いに親睦を深める」という大義名分が結局のところこの年末のお祭り騒ぎのメインである。
だから、ジャッキー・グーデリアンの周りには、普段以上に人が集まる。
人並み以上の体格を持つ、そこそこ「いい歳」の男でありながら、じゃれついてくる大型犬のような可愛げを持ち合わせている男だ。歓声や笑い声の、発信源は大抵彼の周りだった。
彼を囲む人々の、今の男女比は4:6。
夜が更けるにつれて女性比率が高くなり、幸運な誰かひとりが――流石に、ふたり三人も一度に、とは思いたくない――更にその後まであの厄介な可愛げを持て余す権利を手に入れる。
かつてと違って、それを苦々しく思う気持ちはない。
それは今日子が歳を取ったということでもあるし、ジャッキー・グーデリアンという男との付き合いも長くなった、ということでもある。
あの男はあれでいいのだ。あのままでいいのだ。多分。
「……あの莫迦、」
と、思っていた今日子の思考を、低い呟きが遮った。視線を斜め上に向けると、白皙の美貌に深緑の瞳。
「明日の予定を忘れているのではないだろうな」
言った後、自分に言い聞かせるように、いやそうだな、絶対だ、賭けてもいい、などと呟いている。
「……『教授』は、今年もクリスマス休暇返上?」
「私だけではない。あの莫迦を含めて、うちは全員、30日まで休みはない」
流石は「仕事中毒者」フランツ・ハイネル。自分のことを棚に上げて、今日子は小さく笑った。
付き合わされる関係者たちはさぞかし苦労しているだろう、とは思うが、反面、教授と共に働けることが嬉しくて堪らないのも本当だろうと思う。
「全く、月も出ていないというのに、ああ簡単に狼になられたのでは堪らん」
いつのことを思い出しているのか、眼鏡の奥の瞳が忌々しげに細められる。
女関係が派手な割に、ジャッキー・グーデリアンの異性交際が「醜聞」に発展したことはない。
本人の憎めないキャラクター性もあるのだろうが、上司兼相棒兼お目付け役のようなこの男が、苦労して状況管理をしているだろうことも確かだった。
「月? さっき見たときは、綺麗な満月だったけど、」
「雪になっている」
え、と反対側を振り仰ぐ。室内の灯りが反射する窓ガラスを透かして見ると、成程確かに、白いものが降って来ているようだった。
「珍しいわ。ここで、この時期に雪だなんて」
「かなり強い寒気が入ってきているらしいからな」
「……明日は、コースに出るの?」
「積雪の様子次第だが、」
答えかけてしまってから、今日子が部外者だということに思い至ったらしい。気恥ずかしそうな顔で口を噤む様子が妙に可愛らしかったので、今日子は遠慮なくくすくす笑った。
「新マシンの発表は、――1月の、28日だと仰ってたかしら」
「ああ、」
アオイの予定日より3日早い。その分、忙しくもあり焦ってもいるだろうと思う。あのハイネルのことだ、今回もまた、想像もつかないような斬新な仕組みを投入してくるに違いない。
「楽しみにしているわ。ヘル・ハイネルの、新しい『シルバーアロー』」
「…………」
目を見開かれた。何かおかしなことを言ったかと戸惑いを感じた途端、顔に出た困惑を読み取ったのか、ハイネルが少し表情を和らげた。
「いや、……少し驚いただけだ。銀の矢という名を口にする人間は、今は、あまり多くはないからな」
ああ、和らげただけではない。笑っている。あの「氷の美貌」フランツ・ハイネルが。
男にしておくのが勿体無い、と、世間は言う。確かに、と素直に頷いてしまうような繊細で端整な顔立ちだ。
普段はそれこそ彫刻のようにむっつりしていることが多い分、こんな風に笑うと思った以上に胸に来る。
そんなことを考えながら、今日子はまたグラスの中身を一口呑んだ。
「言わないだけで、思い浮かべてる人は多んじゃないかしら」
「そうだろうか」
「だって、フランツ・ハイネルですもの。『白銀のゲルマン・ビューティー』でしょう、」
いつだったか、流通部数の多い雑誌の特集でそんな煽りを付けられて以来、それはフランツ・ハイネルを指す密かな呼び名のひとつになった。
何とも気恥ずかしい綽名だが、彼が実際に美しい男だから妙な説得力がある。それでもぐっと眉を顰めた表情に、また小さく笑ってしまう今日子である。
「いいじゃない、銀色が似合う『教授』。マシンも貴方も、変わらず魅力的だと思うわ」
「……そうか、酔っているんだな、フロイライン・キョウコ」
『お嬢さん』!
ドイツ語が母語であるハイネルからすれば別段おかしな言い回しではないのだが、ランドルの口から発せられるそれにばかり慣れてしまっていた今日子は、
思わず盛大に吹き出していた。指摘通り、酔っているのだ。制御できないくらいに感情が、溢れる。
どうして笑われるのか理解出来ない、とばかりに、またハイネルの秀麗な目元に皺が寄る。
「そうよ、酔ってる。楽しいの。……楽しみだわ、また、貴方と戦えるのが」
「……それは、お互いさまだ」
眉を開いて、ふ、と笑う。ああ、ホントに、綺麗。銀色の。純銀の、柔らかい輝き。
思った途端、また一際高い歓声が耳を打った。悲鳴にも似たくらいのそれは、確かに先程聞いた覚えがあるもので。
「――あの莫迦、」
同じ台詞を呟いて、ハイネルがぐいっと歓声の方に向き直る。グーデリアンをどこかへ引きずって行くつもりなのだろう。
「いいの?」
呼びかけると振り向いた。進もうとする脚は、止まっていないけれど。
「まだ、パーティーは長いのよ。もっと楽しんでいったら?」
「…そうしたいのは山々だが、」
大袈裟についた溜め息は、決して不愉快そうではなくて。
「これも私の仕事だからな。狼男を倒せるのは、銀の弾丸だけだろう?」
そして、にやり、と効果音の付きそうな微笑み。
「……!」
ものすごく貴重なものを見た、と悟った今日子は、一瞬だけ息を呑んで、それから、遠ざかって行く背中に向かってグラスを掲げた。
「乾杯、白銀の教授様。どうか、素敵なクリスマスを!」
[2012年12月]