ズルイオンナ
好きな人が出来たの。そう聞こえた。瞬きを一つして、コートに袖を通そうとしている今日子を見つめた。
"他に"好きな人が出来たの、とは、言わなかった。筈だ。ゆっくりと認識が追い付いて、知らぬ間に詰めていた息が抜ける。
「へぇ。そっか」
「ええ」
音もなくボタンをかけてゆく、綺麗に塗られた爪を見ている。ついさっきまで自分の背中に突き立てられていた爪。
「んで?」
「怒らないの?」
問い返されて肩を竦める。
「怒る理由もねぇでしょーが」
「そう?」
「女王様がシアワセならそれが何よりです、ってコト」
茶化した口調にくすりと笑い、今日子は口元に手を当てた。唇。剥がれ落ちた紅も隙なく塗り直されている。
「優しいのね」
「へぇ?」
「そんな風に言ってくれる人、初めてだわ」
「カレシは言ってくれそうにない?」
「ええ」
ほとりと視線を落として、ハンドバッグの中を探る。伏せた睫毛の長い影。取り出した合鍵を加賀に返しながら、今日子は柔らかく微笑んだ。
「でも、いいわ。がっかりしたらまた、貴方のところに来るから」
「俺はそれまで待ってるべき?」
「ふふ、」
答えにならない答えは肯定。大袈裟な溜め息が口を衝く。
「酷い女だよな、最後まで」
「そんなことないでしょ、」
艶やかに笑う瞳が真っ直ぐ加賀を刺し、吐息に乗せて囁きを撃ち込む。
「最後の更に先までよ」
「もっと酷ぇよ」
「うふふ、」
"暫定"最後の口付けは、甘ったるい毒の味がした。
[2013年1月]