愛の速さはどれくらい
自慢じゃないが第二次性徴を終えてこの方、女に不自由したことがない。
寝た数なんか数える気にもなれないし、一応のオツキアイの数だって思い出すのが面倒くさくなるくらい。
だからそれなりに慣れも見る目もあるつもりで、実際、「そうなりそう」な気配ははっきり判る。
――そう、はっきりわかるのだ、けれど。
「……だからやめとけっつったのに、」
ぼやいてみた声はうすぼんやりとくぐもって、ヘルメットの口元を曇らせた。
耳元で騒ぐ風音に混じって、背中越しに小さくしゃくりあげる声がする。気がする。
気の所為だ、実際の声が耳まで届く筈がない。
薄い布地越しにぴたりと貼り付いた彼女の胸の、不規則な震えが背中に伝わっているだけのことだ。
よかったんだろうな、これで。声を上げて泣くことも、誰かにしがみついて震えることも、あまり得意ではないようだから。
始まりも今と同じように、桜の季節のことだった。
開幕直前のテストコースに、突然現れた見知らぬマシンと見知らぬレーサー、そしてスーツ姿の長身の男。
見た途端に判った。理由など知らないが、解った。
……なのに今日子は、当事者の筈の彼女は、それに気付くまで実に丸一年もかかったのだ。
ニブイったってほどがある。十五、六の少女ならともかく、とっくに成人している「いい大人」の筈だろうが。
普段は冷静で聡明で、自己分析力もある女なのに、自分の気持ちに対してだけは、どうやら酷く疎いらしい。
ったく、しょーがねー女。今度は口に出さずに呟く。何しろ今回だけではない、前回も同じだったのだ。
指摘してやるまでたぶん彼女はほとんど意識もしていなかったし、他の女と完全に「出来上がって」しまうまで、明確な自覚には至っていなかった。
懲りればいいのに、またやらかした。なんたる無防備、なんたる未熟。これで普段が「女王様」だなんて笑わせる。
――笑わせる。口元が複雑な思いに歪んだ。全く、苦笑するしかない。
だって、加賀にはわかるのだ。「そうなりそう」な気配や匂いが。
出会った時から、予感はあった。
なんだこの女、と思った。気に入るとか気に喰わないとかそういう問題じゃない。引っ掛かる。なんだこの女。
愛するのか憎むのか、プラスになるのかマイナスなのか、そこまでは考えることさえしなかったけれど、とにかくこの女は特別だ、と、最初っから加賀には判っていたのだ。
……なのに、その予感から早5年、「そう」なる筈の展開は、いつまで経っても進みやしない。
あーまったく、困ったもんだ。いっつも、こっちが先なんだもんな。
視線の先、点滅を始めた信号機目掛けて、ぼやきながらも加速する。
新条のときも名雲のときも、あんたが自覚するよりも早く、先に気付いちまったんだぜ、俺が。
その芽生えから気付きまで、今日子の恋心は遅いのだ。後から追いかけるつもりでいる加賀の方がいつも、彼女より先に行ってしまう。
だから振り返って、立ち止まったまま待ってきた。不安そうな戸惑い顔で、彼女がゆっくり歩いてくるのを。
時に励まし、時にからかうようにしながら、それでもずっと、待ってきたのだ。ずっと。
いつまで待てばいいんだろう。愛してく速さはどれくらい、辿りつく深さはどのくらい? 現状と理想の距離はいくつ?
そこんところがはっきりしなきゃ、もっと速度を上げてくれなきゃ。
だってもしもそうでなければ、今日子の歩みを待つ間、こっちはもっと遠くまで――もっと深くまで行ってしまう。
自分ではもう、どうにもできないくらいまで。
「……はやく、おいついてこいよ」
俺のとこまで。俺の気持ちの、――辿りついてる深さまで。あんたのキモチの、全速力で。
あてにならない予感に苦笑しながら、それでも期待をやめる気はない。
背中に当事者を貼り付けたまま加賀は、赤に変わる寸前の信号機の下を走り抜けた。
[2014年3月]