魔法の呪文と子どもたち


「「Trick or Treat!!」」
 扉を開けるなり左右から何かに飛びつかれて、危うく鏡はティーセットを取り落すところだった。
「アオイ! フェイ! いきなりは駄目よ、危ないでしょう!」
 部屋の奥からルリの叱咤が飛んでくる。アオイ? フェイ? ならば今、自分の背中に取り付いている重たいモノの、正体は彼等だということか?
「ごめんなさい鏡、大丈夫だった? お茶が零れていないといいんだけど」
「大丈夫です、ご心配なく。……離れてもらえませんか、アオイお嬢様、フェイ」
「「やーだーよー」」
 綺麗に重なった否定の返事が響く。これみよがしに溜め息を吐いて、鏡は運んで来たティーセットをテーブルに置いた。 身軽になったと見てとって、背中に貼り付いたふたりが更にはしゃいだ声を上げる。
「ねぇ、聞いてるの鏡? トリック・オア・トリート!」
「お菓子くれなきゃ、イタズラするよー!」
「……もう悪戯されているような気がしますが」
「もっともっとイタズラするわよ。くすぐったりとか」
「眼鏡に色塗ったりとか」
「ベッドの中に鬼瓦詰めとくとか」
「寝てる間に金髪にしちゃうとか」
「どれもやめてください」
 すげなく言い払って振り向くと、アオイもフェイも、なるほど確かに先程の台詞に相応しい格好をしていた。 アオイは可愛らしい悪魔の、フェイは可憐な天使の衣装だ。 悪魔はともかく天使なのに悪戯するのか、と突っ込みを入れたい衝動を僅かに覚えたが、本題から逸れそうなので取り敢えず無視する。
「……何をなさっているんです」
「知らないの? 野暮ねぇ、鏡は」
 ちっちっち、と小生意気な仕草で指を振って、アオイがふふんと胸を張る。
「今日はね、ハロウィーンなのよ! 子どもは仮装して、大人にちょっかいをかけて、それでおやつをもらうのよ。そういう日なのよ!」
「微妙に解釈が歪んでいる気がするんですが」
 言いながらルリを見ると、にこにこと見守る構えでいるようだ。小さな溜め息で了承の意を伝える。
「おやつなら今運んで来ましたから、大人しく待ってて下さい。今日はアッサムにしましたが、宜しいですか」
 最後の問いかけはルリに向かってだ。
「結構です。淹れてもらえる? アオイ、フェイ、さっきまで暴れていたのだから、手を洗っていらっしゃい」
「「はーい!」」
 ぱたぱたと廊下を遠ざかって行く足音を聞きながら、鏡は大きく息を吐いた。気を取り直して、お茶を淹れなければならない。 今のやりとりで少し時間を喰ってしまった。蒸らし過ぎて渋味が出てしまっていなければいいのだが。
「……なんなんですか、あれは」
「ハロウィーンよ」
「それは分かっています。しかしあれは、もっと幼い子どもがお菓子を貰い歩くものでしょう。フェイはともかく、アオイお嬢様まで」
「鏡、」
 ルリがたしなめる口調で口を挟んだ。手元から目を上げてみれば、何かわけありげな表情。
「それは違うわ。……ねえ、鏡、わからない?」
「……なんでしょうか?」
 眉を寄せた途端、ルリは小さく目を伏せて答えた。
「アオイは、わざとああしてくれているのよ。フェイが遠慮しなくていいように。……私や鏡がはしゃいでみせる訳にもいかないでしょう?」
 それは、納得出来る種明かしだった。一般社会と隔絶された状況で生活していた所為か、フェイは実年齢よりも言動が幼く、それでいて振舞いにはやけに大人びた部分がある。 今は藍羽邸に滞在ながら少しずつ世俗的な知識や一般的な生活に慣れさせようとしているところだが、長年かけて築かれてきたアンバランスは、一朝一夕ではなかなかほぐれない。
 そのフェイと最も上手く折り合っているのが他でもない、フェイにいちばん年齢の近い――戸籍上の年齢はともかく、外見上は同い年の――アオイなのだった。
「私たちは、子どもというには育ち過ぎたし、かといって大人だと言い張るのにもまだ、いくらか足りないわ。 ……けど、ああやってアオイが子どもっぽく振る舞ってみせてくれれば、安心して大人のふりができる」
 言って少しだけ、――本当に少しだけ、切なげな表情。
「ずっとこのままでいようとは思いません。ただ、もう少しの間は――せめてフェイがこの家を出て行くまでの間くらいは、このままのバランスで居たい。 それまでは、アオイにも鏡にも少し、無理をしてもらう部分があるかも知れないけれど……」
「お待たせいたしました、お嬢様」
 失礼を承知で遮った。はっとなって言葉を切ったルリの前に湯気の立つカップを差し出し、精一杯の笑顔を向ける。
「あ……ありがとう、鏡」
「さて、お嬢様。お茶は只今お出ししました。何かお茶請けが欲しいと思われた時は、大きな声で魔法の呪文を仰って下さい」
「え……」
「ご存知ないんですか? 疎いんですねぇ、お嬢様は」
 ちっちっち、と指を振る。ふふんとふんぞり返って見せる。先程の誰かと、同じような様子で。察したらしいルリの口元がほろりと綻んで、少し幼い笑顔が覗いた。
「今日はですね、ハロウィーンなんですよ。子どもは張り切って、誰かに呪文をかけて、そしてお菓子をもらうんです。そういう日なんです!」
「少し、解釈が歪んでいない?」
 くすくすと笑いながら、それでもルリは子どもっぽく胸を反らして手を差し出した。
「ハッピーハロウィン! トリックオアトリート!」
「はい、お嬢様、喜んで」
 持って来ていた籠からさらりと覆いを取ってみせる。メイド隊も今日のイベントを意識していたらしく、お茶請けは南瓜のパウンドケーキだった。
「あら、カボチャ! アオイとフェイが喜びそうね、」
 さっきまでの「子ども」の振舞いも束の間、たちまち保護者の顔に戻ってしまった。それでも、鏡は満足だ。 ほんの一瞬とは言え、背負っている物の重さを少し、ルリから忘れさせることが出来たと思うから。
 再びぱたぱたと近付いてくる足音に、はたりと顔を見合わせる。――さあ今度は、ふたりして「大人のフリ」をする番か。
 主従でもあり同志でもあり時々友人でもあるふたりは、こほんと小さな咳払いをして、勢いよく開かれるであろう扉に備えた。

[2011年11月]