彼が彼女に跡を残して(The sun had kissed her to mark.)


 明け方のセックスのあとの今日子は機嫌が悪い。 育ちがよくて潔癖な彼女は、「そんなこと」は夜、人目につかないところで、ひっそりと行われるべきだと思っているからだ。
 一方の加賀はそうではない。夜は夜でもちろんたっぷりと今日子の身体を堪能するが、明け方に若干強引にコトに及ぶのも大好きだ。
 それは自分の隣で無防備に寝息を立てている今日子に単純にきゅんときてしまうからでもあるし、 寝起きは自分側の準備が実に容易に整ってしまうからという生理的な理由もあるし、 滅多に逢えない分一回でも多く繋がっておきたいという切実な欲求に駆り立てられた結果でもあるし、 やりすぎると今日子が起き上がれなくなる ――従って、「恋人とのセックスがよすぎて限界以上にイキまくっちゃったので起きられませんでした」などというとんでもない理由で 遅刻しなくてはならなくなる――というぎりぎりの状況に興奮するからでもあるのだが、 いちばんの理由は、なかなか見られない今日子の裸身を、明るいところでじっくりと眺められるからだった。
 厚いカーテンを閉めても、夜明けの光は完全に拒み切れるものではない。 だから、普段なら分からない、恥じらいと欲情でうっすらと染まる肌だとか、きらきらと額に浮かぶ汗だとか、 体中に残る自分の口付けの跡だとか、そういったものを心ゆくまで堪能することが出来る。
 そんなわけで今朝も、いつものように寝ている今日子に手を伸ばした。 時計の針は5時15分を示している。たっぷり時間をかけて味わっても、大丈夫、遅刻させてしまうような時刻ではない。
 意識を飛ばしてしまわない程度に、ちゃんと手加減してやれれば、だが。
「……ん、」
 まだ半分以上眠っている今日子の反応は鈍い。 それでも、加賀は今日子の感じ方を知り尽くしている――と、少なくとも自分では思っている――から、 焦らずにじわじわと効果的な部分を刺激していく。
「んん、」
 目を閉じたまま、今日子が切なげに喉を反らし始めた。 微かに寄せられた眉根には、刺激から受け取る快感と苦痛の両方が滲んでいる。
 あー、イイ顔。何回見てもやっぱエロいわ。
 軽く息を弾ませながら、加賀は満足そうに頷く。この顔、この表情を見たいのだ。明るいところでじっくりと。 もちろん、絶頂のときの顔が見られればなおいい。
 久しぶりだったからか、月経周期の関係なのか知らないが、昨夜の今日子は普段よりもかなり激しい達し方をしていたから、 今朝もきっと極上の表情を見せてくれるはず。
 わくわくと胸を躍らせて、今日子の上に覆い被さる。 唇を軽く触れ合わせ、首筋にちゅっと吸い付いて、昨夜さんざんに堪能した柔らかな胸の――。
「……え?」
 そこで加賀の動きは止まった。昨夜は気付かなかったものの存在に、今、気が付いたのだ。
 丸く盛り上がった白い肌の上に、うっすらとついた何かの跡。 よく見なければ判らない、けれどそう思って見れば確かに、そこに存在する肌色の差異。
 これはたぶん、いや、まちがいなく……
「……きょーこさん、」
「ん……、」
「きょーこさん、起きて」
 ぺちぺちと頬を叩く。刺激に潤んだ瞳をうっすらと開いて、まだ夢見心地の今日子が視線を上げた。
「……なぁに? おはよう、かがくん……どうしたの……?」
 何をされているのかはまだ理解していなかったらしい。そんなことに構わず、加賀はぐいと顔を近付けると、不機嫌な目で囁いた。
「どーしたの、コレ」
「……どれ?」
「コレ。この、水着の跡」
 言いながら、指先で肌に付いた跡を辿る。
 そうなのだった。日焼けの跡、だ。 ごくうっすらとではあるが、普段よりも黒く焼けた部分があることに、昨夜の暗闇の中では気付かなかった。
「こんな水着、見たことねーんだけど」
 どうやら、だいぶ際どいデザインの水着らしい。肩にかかるストラップは無く、乳房の丸みも、かなりの部分が露出している。
「やだ、やっぱり、やけちゃってた……?」
 まだどこかとろんとした口調のまま、今日子は胸元に手をやった。
「ひやけどめ、ちゃんと、ぬったのに……」
「……問題はそこじゃなくて」
「え、どこなの?」
 ゆらゆら瞬く今日子の頬を掴まえて、加賀はますます不機嫌に続けた。
「いつ、どこに、誰と出かけて来たんだよ」
「……おとといまで、ベリーズに、一人で」
「何しに」
「もぐりに」
「ウソだろ」
 不機嫌なまま決め付ける。
「……なんで?」
「ダイビングスーツで、こんな日焼けの跡になるわきゃない」
 スキューバダイビングが今日子の趣味のひとつであることは、加賀も勿論知っている。 が、その趣味に付き合ったことはない。
 今日子の方も心得たもので、加賀を誘ったこともなければ、出かける際にいちいち報告してくるようなこともなかったのだ。ずっと。
「……スキューバもだけど、いつも、シュノーケリングもしてるんだもの、」
 目が覚めてきたのか、少しずつはっきりしてくる口調で今日子が反論した。
「だいたい、ビーチでは水着になるのが、当然じゃない?」
「……何するかとかはこの際、どーでもいい」
「だって、」
「だってじゃねーよ! なんだよこの水着、あんた、どんだけのオトコに見られて来たんだコレ!」
「そ、」
 あからさまなセリフでやっと、加賀の言いたいことが解ったらしい。戸惑いの色が羞恥に変わって、今日子の頬を染め上げる。
「そんなこと言ったって……」
「どーせまた、変なのに声かけられたんだろ」
「ちゃっ、ちゃんと全部断ったわよ!」
 ……正直者め。声をかけられないなんてありえないと分かっていても、そこは否定して欲しかった。
 むらむらと込み上げる嫉妬心を隠す気もないまま、加賀は日焼けの跡ごと今日子の乳房を掴みあげた。
「あっ、!」
 鋭く悲鳴をあげて、今日子が身体を強張らせる。敢えて無視して、ぐにぐにと強く揉み潰す。
「や、痛……」
「そりゃ、オシオキだから」
「ばか……っ」
「俺にも見せてないような水着で、俺の知らないところで泳いでくるなんて、ダメ」
「だ、って、」
 今日子の呼吸が荒いのは、苦痛の所為ばかりではない。知っているから意地悪く、唇を寄せて胸の先端を舐めあげる。
「あんっ!」
「だから、だって、じゃねーっての。ぜったい、ダメ」
「だっ、て、この前買った、ばっかりで……」
 舌先と唇でくちくちと刺激を与えながら、日に焼けた乳房を弄り倒す。浜辺中の男の視線に晒されてきたであろう、それを。
「見せる、暇、なんて、なかっ、あ、あっ、あぁ、」
 今日子が子どものように首を振り、苦しげに眉を寄せた。あ、と思う。昇り詰める直前の顔だ。 普段と違う攻め方の所為で、たちまち追い詰められてしまったらしい。
「ああ……!」
 突き刺さるような声をあげて、今日子が、くっと喉を反らした。数秒だけ強張った身体から、甘い香りの汗が噴き出す。
「だからダメだっつってんの。胸だけでイっちゃうような、こんなヤラシイ体、」
 胸の谷間をきらきらと流れ落ちる汗に舌を這わせて、囁く。
「他の男に、見せてんじゃねーよ」
「ばか……、」
 薄紅く染まった身体を投げ出して、今日子は切なげに息を弾ませている。その白い肌に唇を押し付けて、強く、幾つも跡を残す。
 明け方の光の中でその跡を眺めて、加賀は目を細めた。所有の証。他のどんな男にも、こんな行為は許さない。許させない。
「真っ先に俺に見せろよ、」
 確かめて、名前書いといてやる。そう言った加賀を見返して、今日子は怪訝な顔をした。
「なまえ……?」
「俺のもんだって分かるように、こーやって印、つけてやるって」
「しるし……」
 もちろん、今日子自身には、首筋や胸元に付けられた跡は見えない。 が、今までの経験から理解したのだろう、ぱっと頬の紅を濃くして、胸元を隠すような仕草をした。
「ばか! そ、そんなの、周りから見えちゃうってことじゃない!」
「見えなきゃ意味ねーだろ?」
 にやにやと嘯く。今日子が、うう、と唸って悔しそうに眉を寄せる。
「んな悔しそうな顔しちゃって」
「……くやしいもの」
「なにがー?」
 訊きながら、当たり前のように太腿の間に手を伸ばす。あ!と小さな悲鳴をあげ、今日子がもじもじと身を捩る。
 思った通り、濡れている。胸で、とはいえ、一度達したあとなのだ。熱を帯びてひくひく蠢く感触は、堪らなく魅惑的だった。
「悔しいのは俺の方だっての、」
 こんな体を、他の男にさんざん見られてきたなんて。囁きながら、加賀は強引に今日子の脚を開かせる。
「や、」
 一応の抵抗をなんなくやり過ごして、ぬかるんだ入り口に重ねた腰を押し込んでいく。
「はぅ……!」
「うあ、すげ……」
 吐息が、完璧なタイミングで重なる。なんだかんだいっても馴染んだ身体だ。すぐ、今日子は抵抗する力を無くした。 揺さ振られるままに快感に満たされていく。
「ばか……、」
「んー?」
「く、くやしいのは、わたしよ、」
 それでも、反論をやめるつもりはないらしい。その今日子らしさに頬を緩めて、加賀は再度、なにが?と訊いた。
「かがくん、ばっかり、ずるいわ、」
「だから、なにがって」
「わ、わたしだって、」
 注ぎ込まれる快感に紅潮した頬が、突然一際赤くなる。
「かっ、かがくんは、わたしのだって、いいたいのに、っ」
 え。
「……マジで?」
 きゅんとした。嬉しくて息が止まるかと思った。腰の動きは止まりかける気配さえなかったが。
「うっ、うん、」
「ホント、に?」
「ほんとっ、ほんとよ、かがくん、」
「きょーこさんの、だろ、俺は。指の先まで、ぜんぶ」
「で、でも、でもっ、」
 恥じらいながら、切なそうに身を捩る。耳朶まで真っ赤になっている。
 うわー、かわいい。 きゅん、がきゅんきゅんきゅーん、くらいにまで強まって、堪らず今日子を抱き締める。
「付けて、いいよ、きょーこさん、」
 キスマークでも、爪痕でも。歯型だったって構わない。耳元にそう囁くと、今日子は小さく首を振った。
「だ、だめ、そんなのじゃ、だめ、あ、」
「なんで?」
「だ、だって、レーシング、スーツじゃ、跡なんて、見えな、ひっ!」
「レーシング、スーツ、限定?」
「あ、うう、だって、だって、だって、かがくん、あ、かがくん、っ、あ、ああ、」
「だって、何?」
「レースの、ときが、いちばん、すてきっ、すてきなのに、あ、あぁ、だめ、いや、いやぁ、」
 今日子の身体ががくがくと震え始めた。目の焦点が合わなくなり始めている。
 あ、やばい。これ以上すると、冗談抜きに起き上がれなくなる、かも。
 額の裏側で警鐘が鳴る。目の前に火花が飛び散る。
「あ、あ、あ、あぁ、かがくん、」
 止めなくては、と思うのに、もう身体が言うことを聞かなくなっていた。視覚からの刺激がどうしようもなく興奮を煽る。 限界まで追い詰められたときの顔が見たい、その欲求だけで腰が動く。
「あっ、かがくん、かがくんっ、だめ、だめ、だめ、かがくんっ、あぁ、ああ、ああぁっ」
 もっとこの声を聞きたい、切なげに名前を呼ばれたい、今日子が滅茶苦茶になるところを見たい、 ダメだ、やばい、これ以上はアウトだ、分かっているのにどうしようもない。
「あ――!」
 張り詰めた絃を弾いたような、か細く澄んだソプラノ。そして、その絃がぷつりと切れたように、今日子の身体から力が抜けた。
 うわ、やっちまった。
 絶望的に天を仰ぐより一瞬早く、加賀の身体の方にも限界が来て、焦りも反省も結局、その白い波に押し流されたのだった。

 半分気を失ったようになっていた今日子が飛び起きたのは結局、6時半を過ぎてからだった。 ばかばかばか!と加賀を罵りながら、ものすごい勢いで身支度をこなしていく。
 加賀の方は特に急ぐような用事もないから、半裸のままだらだらしている。 今日子を送り出してからゆっくりシャワーでも浴びるつもりだった。
「もう、会議の前なのにコーヒーの一杯も飲めないなんて、最低だわ!」
 怒っている割に全体的な雰囲気が可愛らしいのは、明け方のやりとりに対する照れがあるからだろう。 だからしおらしく反省したフリをしている加賀も、ときどきにやりと頬を緩めてしまう。
 目ざとく気付いた今日子が、何をにやにやしてるのよ、と唇を尖らせた。忙しく髪を巻く手は止めない。
「いや、別に」
「嘘吐き」
「ホントのこと言うと怒るもん、きょーこさん」
「とっくに怒ってるわ」
 そりゃ分かってます、と笑う。そのまま今日子の後ろに立ち、鏡の中の彼女と目を合わせて、加賀は悪びれもせずに囁いた。
「じゃ、言うけど」
「なによ」
「すっげぇ可愛かった」
「…………!」
 微かに覗く耳朶が、燃え上がりそうに赤くなる。加賀の笑いが深くなる。
「訂正。すっげぇ可愛い、」
 今も、と言いながら耳朶を指でなぞり上げると、ぶん!と音がするほどの勢いで今日子がヘアブラシを振り上げた。
「うぉ危ね!」
「莫迦なこと言うからでしょ!」
「やーっぱりホントのこと言うと怒るんじゃねーか」
「怒らないなんて言ってないわよ!」
 ブラシを放り出した手でアトマイザーを掴むと、苛々と項に噴き付ける。澄んだ百合の香りが広がる。 時計の針は7時12分。そろそろ出ないと、間に合わない。
「でも、怒ってても可愛い」
「……ずいぶん強気じゃないの、」
「うん」
 苛立ちを含んだ呆れ顔の今日子に、しれっと肩を竦めてみせる。
「やっぱ俺たち相思相愛だなって、再確認しちゃったもん」
「また莫迦言って、」
 呟いて立ち上がったところを後ろから、力一杯抱き締める。 ちょっと!と抗議の声が発される前に、シャツから覗く白い首筋に口付けた。力一杯。はっきりと、跡が残るくらい。
「!」
「……ほい、これでよし、と。いってらっしゃい、きょーこさん♪」
「な……」
 おろおろと鏡を見て、今日子が絶望的な表情になる。そこだけ火傷したかのように赤い、誤魔化しようのない唇の跡。 今更、見えないような服に着替えている時間などないというのに。
「誰かに見られたら、俺に付けられたんだって言ってやれよ。俺がやったんだって、はっきり」
 今日子に鞄を手渡してやりながら囁く。
「そうすりゃ誰にだって、俺があんたのもんだって分かるだろ?」
 あんたが俺のもんなのと同じように。
「…………」
 真っ赤な顔をして今日子が睨んでいる。怒っているのに、やっぱり可愛い。口元がにやけた。
「レースの前だってなんだって、そーやって名前、書いてやるから」
 だからちゃんと、見せに来いよ。新しい水着なんか着る前に。
 最後だけちょっと不機嫌な本音が混じったのには、怒っている今日子は気付かなかったらしい。
 時計の針は7時15分。日焼けの跡を纏ったまま、今日子はばたばたと出かけていった。よく目立つ後ろ姿を見送る。 ホントのこと言えば、刺青でも入れさせてしまいたいくらいのところだが、
 ――いくらなんでも、そこまではなぁ……。
 煙草に火を点けて苦笑する。
「ま、日焼けするような季節の間は、こまめに印つけとかねーとな」
 で、夜が明けるたびにちゃんと、その刻印を確認してやるのだ。朝の眩しい光の中で。
 まあもしかすると、今回みたいにやりすぎてしまうことも、ちょくちょくあるかも知れないけれど。 確信犯的にそんなことを考えてにやにやする。
「さぞかし不機嫌になるんだろーなぁ、きょーこさん、」
 朝が来るたび可愛らしく怒るであろう今日子の姿を想像して、加賀はだらしなく頬を緩めた。

 sun-kissed [形] 《限定》「日が当たって暖かい」「日焼けした」(備考:the sunの代名詞は通常、itもしくはheで呼応する)


[2010年8月]