タは煙草のタ


 暑い。気温はともかくこの湿度だ。正直なところこの時季ばかりは、故郷を遠く離れていたい。
 幾ら人形のように滑らかな肌だって生身である以上汗が滲むのは無理からぬことで、だから、互いの背に回した剥き出しの腕が、ぺっとりと貼り付いてしまうのも仕方がない。
「あ、」
 耳朶を食んで吐息を吹き込むと、今日子の肩がぴくんと震えた。何度詰られても、弱いところを責め立てるこの面白さには代えられない。
 零れてしまう甘い声を認めたくないみたいに刺々しく、意地を張るところがまたなんとも堪らないのだ。
「かーわいー」
「…その顔やめて」
「見えてないクセに」
「心の目で見えるの!」
 無邪気なくらいくだらない会話。裏腹に上がっていく呼吸。むきになったらしい今日子が加賀の首筋に歯を立てて、ちくり、皮膚を裂かれる刺激が脳髄を刺す。
「っつ、」
「あ、ごめんなさい、」
 やりすぎたわ、と囁いて、唇が傷跡をなぞる。伸ばされた舌先が滲んだ血を舐め取って、ついでみたいに走る濡れた感触に、背筋を快感が駆け上がる。
 今日子は舐めるのが好きだ。舐められるのは嫌がる癖に。首筋に顔を埋めて一心に舌を這わせる様子が、気紛れな猫みたいでなんとも彼女らしいとは思う。 時々、すんすんと鼻を鳴らしてにおいを確かめているらしいのも。
「…汗臭い?」
「いえ?」
 否定する癖に、埋めた顔を上げる気配はない。どころか、深く息を吸い込んだ気配。なんでだ。思わず頭を撫でてしまう。
「そんなに好き?」
「そうね、」
「いーニオイ?」
「そういうわけじゃないわね」
 なんだかなぁ。くるりと瞳を廻らせれば、首筋に寄せられたままの唇から、忍び笑いが漏れてくる。
「まあ、好きな人は好きなにおいなんじゃない? 8割以上は煙草だけど」
「すんませんねー」
「そういえば試作品、どう?」
「……あー」
 渡された後、どこかに仕舞ってそれっきりだ。あれ、もしかして失くしたかな。それとも、
「ダッシュボードに置きっ放しか」
「そんなことだろうと思ったわ」
「いーだろ、別に。今日子さん持ってんだし」
「責任ってもんがあるでしょう。本人なんだから」
「んー…こっちが頼んだワケでもねーしなぁ…」
 ぺちりと頬を叩かれて、わざとらしくふくれっ面をしてみせる。ホントなにやってんだかなぁ。せっかく全裸でくっつきあってるってのに。
「今日子さんは試してみたんだろ」
「もらったその日にね」
「どうだった?」
「悪くなかったけど、もう少しユニセックスな感じに仕上がってほしいわね。女性にもきっと売れると思うから」
「きょーこさんにもお買い上げいただけますぅ?」
「私には似合わないでしょ」
 ごもっともだ。
「要らないわよ、そんなの。要らない、」
 だって。
「こうしていれば、移るでしょう?」
 ほんの僅かな、煙草のにおいと、ホンモノの“加賀城太郎の香り”が。
「ん、」
 ひんやりとした手が頬を包む。反射みたいに唇を開く。迎え入れた薄い舌が、口内を味わい尽くしていく。
「……いーニオイじゃないんだろ?」
「別に悪いにおいでもないわよ」
「タバコも要る?」
「要らないってば」
 ぬらつく肌を楽しむみたいに頬を擦りつけて、蕩けた瞳を合わせて、笑う。
 煙草のにおいと汗の感触。楽しいのはまだ、これからだ。


[2015年8月]