独占テレポーテイション
土砂降りの中を帰るのはつらい。20センチ以上の身長差で相合傘をしながらとなれば尚更だ。
「うっわ、すっげー降り! こりゃーひでぇな!」
「高尾、もっと寄って歩け。目の前は水たまりだぞ」
「うおっと、やべっ…」
「言っている傍から踏み込むな馬鹿!」
鮮やかな鶯色の傘は特大サイズの男物で、それでも、高校生ふたりが肩を寄せ合えば狭い。
左手で傘を持った緑間の右肩も、反対側に収まった高尾の左肩も、既にぐっしょりと濡れて色を変えている。
「うー、やっぱ雨の日に歩くのってしんどいな……」
「自転車では余計面倒だろう」
「そーなんだけどさ……どこでもドアとかあったらなー」
「案外大きいぞ。持ち運びが不便なのだよ」
「別に持ち運ぶ必要ないっしょ? 学校のどっかに置いときゃいーんだよ、部室とかさ」
「む、そうか」
軽口を叩く間も、足元に跳ねかかる水しぶきは収まらない。革靴じゃなくてよかったな、真ちゃん。
本日の蟹座のラッキーアイテムは「赤い靴紐」で、だから緑間は珍しく、派手な印象のスニーカーを履いている。
流石おは朝、少々厚めのラバーソールは、緑間の足元で繰り広げられる被害状況を、かなりの程度でマシにしてくれていると言えるだろう。
「あー、どこでもドアよりもさ、瞬間移動するチカラとかどーよ? えいっ、テレポーテーション!」
「……今のは何の真似だ」
顔の横でテレポーテーション・ガンを押す仕草をしてみせたら、緑間は不思議そうに首を傾げた。掲げたままの傘が傾いて、雫がぱらぱら転がって行く。
「え。知らないの? コレは?」
親指と人差し指と、小指を立てて右手を振り上げる。テレキネシスの発動ポーズ。
「意味が解らないのだよ」
「あらら、エスパー魔美知らねーの?」
「……?」
「漫画だよ漫画。テレポーテーション以外にも色々、使えたら便利そうな能力持ってんの。テレパシーとか、テレキネシスとかー、サイコメトリーとか、プレコグニションとか」
「便利だなどと軽々しい気持ちで考えるものではないのだよ馬鹿め」
「ふぇ?」
見上げると、いつも通りの生真面目な顔。神経質そうに瞬きをする、長い睫毛が華やかだ。
「テレポーテーションというのはつまり、瞬間移動なのだろう。仮にその原理が物質構成要素の原子レベルまでの分解及び再構成なのだとすると、」
「ぶっは! 小難しいよ真ちゃん! そんな理屈込みで超能力夢見てるヤツなんていねぇって!」
大袈裟な笑い声で遮ると、ムッとしたらしい緑間が口をつぐんで、辺りは雨の音だけになった。
「……超能力などよりお前は、いい加減折り畳み傘のひとつも持ったらどうだ」
「えーめんどくさ……いでぇ! 何すんだよイキナリ!」
「煩い騒ぐな反省しろ。お前のその不精の所為で俺まで苦労しなければならないのだよ!」
「へーへー、傘に入れてくれたコトには感謝してますぅー」
誠意が感じられないのだよ、などとぼやくけれど、結局緑間は優しいのだと、高尾にはよく分かっている。
不満そうな顔をするくせに、緑間の家より遠くにある、高尾の自宅までちゃんと送り届けてくれるのだろう。 いつもそうだから知っている。――いつもそうだから期待している。
置き傘をしないのも、折り畳み傘を持たないのも、わざとだ。テレポーテーションなんて出来なくてもいい。家までの道のりが、遠ければ遠いほどいい。
少しでも長く、一分でも一秒でも余計に、こうやって一緒に歩けたらいいのに、なんて考えている。
クラスメイトになって半年。緑間真太郎に、恋をしている。
◆ ◆ ◆
登校も下校もいつも一緒だ。けれども、彼氏彼女の間柄ではない。「クラスメイト」「友人」「部活仲間」、それとも、強いて言うなら「自主練仲間」とでもいうところだろうか。
初めは何となく対抗意識を燃やして、先に帰るに帰れなかっただけだ。
毎度毎度揃って巡回の教師に追い出されるうち、こんな時間に女子ひとりで、お前は危機管理意識に欠けるのだよ、と緑間が言い出して、一緒に帰宅するようになった。
それが習慣になるにつれ、自然と朝練も一緒になって、行きも帰りも高尾と緑間は1セットが当たり前になった。
余計な紆余曲折を経て、何故だかリアカーつき自転車で大仰なトレーニング通学を行う羽目になってしまっているが
(ホントに「女子」だと思っているのか、今となっては怪しいものだ)、 とにかく、文字通り四六時中、高尾は緑間の傍にいる。
恋に落ちるのも仕方なかった。ただでさえ凛と眩しい緑間の、見えにくい優しさに触れてしまえば、尚更。
自覚はあったのに、いつまでも言い出せずに先送りしていたのが悪いのだ。
期末試験を終え、夏休みを目前に控えた雨の金曜日、緑間のロッカーからひらひら舞い落ちた封筒が、高尾の視野に飛び込んで来た。
淡い、優しい桜色。滲むのは悪意ではなくて好意、それも確実に、恋心。
驚きに目を見開いた緑間が一瞬動きを止めた後、床に落ちた封筒を拾い上げるまでの数秒に、裏面に書かれた差出人の、名前さえ高尾には読めてしまった。
クラスメイト。背の高い、色の白い、茶色がかった長い髪の。口数は少ないけれど態度のきっぱりとした、大人びた雰囲気の、彼女だ。
なんで。なんで、真ちゃんに。手紙なんて。なんで。
判っていたのに、自問した。そう、本当は知っていた。付き合ってるの?と訊かれたのは確か、半月くらい前、音楽の時間の後。
実技のテストは男女一組、掛け合いを含んだ短い二部合唱で、彼女は緑間と一緒の組だった。
長身の、大人びた二人が並んだところは見事に絵になって、順番待ちのギャラリーたちは思わず、感嘆の溜め息を吐いたものだ――
見開いた目をぱちぱちと瞬かせる数秒に、高尾が思い出したのはそんなことだった。
「……、」
緑間は黙っている。 長い睫毛に縁取られた瞳が、困惑を映して揺れている。
言わなきゃ。何か、この場の空気を変えられるようなこと。
「――ひゅー! やるじゃん真ちゃん、ラブレター?」
「……知らん」
未開封の綺麗な封筒、うん、そうだね、まだ、ラブレターとは限らない。でも、緑間、ホントは予感してるよね。
だってさ、お前は色が白いから、耳たぶが綺麗に真っ赤になってるの、全然隠せてないんだよ。
「まーたまた、十中八九間違いないっしょ! え、どーすんの? 森嶋さんっしょ? 割と仲好いよね? どーする、やっぱ、付き合っちゃう?」
沈黙が落ちるのが怖かった。考えるより早く、軽口が溢れ落ちてしまう。ぽろぽろぽろぽろ、あとからあとから、とめどなく。
「……判らん」
ずきり、と来た。判んないって何。有り得ないのだよ馬鹿め、とか言ってくんないの、真ちゃん。
――脳裏をよぎった不平不満に、ぶわっと嫌悪が込み上げた。なんだよそれ。なんだよそれ。なんで、緑間が断る前提で展開考えちゃってんの。
「……断んないの、」
「生活に支障が出るのなら迷わないが、」
そうではないなら、正直、断る理由が無いのだよ。
聴かせる気もないような、掠れた声が零れる。戸惑ったように瞳が揺れる。いつも真っ直ぐな目をした緑間の、こんな顔を見るのは初めてだ。ずきり。痛みがぶり返す。
「……へー。いいじゃん、なら、付き合ってみれば?」
「そうは言うが、」
ずきずき。ずきずき。
「俺には、こういった経験がない。全く何も、判らないのだよ」
ずきずき、ずきり。
「――真ちゃんはさー。ナニゴトにも、人事尽くすんだろ?」
「…ああ、」
「じゃあ、……ちゃんと、ぶつかってみたらいーんじゃないの、」
大丈夫、手伝うからさ、と、考える前に口からこぼれた。緑間が、ほっとしたように笑ったのが、酷く胸に痛かった。
◆ ◆ ◆
翌日の花火大会は、晴れた。教員たちも警備やら見回りやらに駆り出されるという理由で、この日の部活動は伝統的に全面休止になる。
だから、多くの秀徳生が、それを目撃することになった。
只でさえ緑間は目立つのに、女連れなら尚更で。 噂が、休み明けの、終業式前の校舎内を駆け巡り、問い詰められた彼女が真っ赤になって息を詰まらせ、
緑間が黙って目を逸らすに至って、遂に事実として確定した。
大丈夫なの、高尾、と、誰かに問われた。どう答えたかは、覚えていなかった。
その日、高尾は夕飯を食べずに布団に入った。ご飯が喉を通らない、なんて、生まれて初めてだ。
自覚はあった。そう思っていた。けれど、甘かったのだ。こんなに、こんなにショックだなんて思わなかった。
好きなのに。好きだったのに、いつまでも言い出せずに先送りしていたのが悪いのだ。
寝返りを打ったら、目尻に溜まっていた涙が零れた。ぽろぽろと傘の上を転がり落ちて行った水滴のように。首を傾げた緑間の、透明な眼差しを思い出したらまた、息が詰まった。
星が綺麗な、夏の夜。漸く眠りに就けたのは、真夜中もとっくに過ぎた頃だった。
◆ ◆ ◆
寝不足の目に空の青さが痛い。その青を背景にきらきらしている緑色の瞳も。
「…………」
「どうした、高尾」
不思議そうに首を傾げる、緑間の態度はいつかの雨の日と変わらない。
精一杯の反発を込めて見上げれば、長い睫毛の華やいだ影に、却って言葉が出て来ない。
「忘れ物がないのなら、行くぞ」
「いやいやいや、おかしいっしょ」
くるりと踵を返した袖口を掴んで引き留める。あ、なんだよこれ、なんでこんなあざとい真似しちゃってんだよ馬鹿。内心で焦る高尾に構わずに、緑間はゆったりと首を傾げる。
「何かおかしいか」
「森嶋さん!」
「…森嶋が、どうした」
「だって、真ちゃん、……付き合ってんだろ?」
「…………まあ、そうだが」
ずきり。どこかが裂けそうだ。
「……そしたらさ、フツー、登下校はカノジョとするもんじゃないの」
「普通?」
普通とはどういうことなのだよ、とある意味深い呟きを漏らして、緑間は眉間に皺を寄せた。いや、そう論理的に責められると困ってしまうのだけど。
「俺には、経験が無いからな。何が普通なのかそうでないのかなど、判らん」
「…うん」
「今の俺にとって最優先はバスケであること、これまでの生活に支障を来たしたくないことは伝えた」
「……うん、」
「お前無しでは、『これまでの生活』が成り立たないだろう?」
なんでもなく言ってくれるから、ぎゅっと、高尾の息が詰まった。
「高尾、」
ダメだろ、待って真ちゃん、それって。
「お前が、大丈夫だと言ってくれたから」
大丈夫、手伝うからさ。
そう言った。確かに言った。緑間の、戸惑った表情が辛かったから。
「だから俺は、安心して人事を尽くせるのだよ」
あ。ダメだ。そんな風に微笑まれたら、アウトだろ。
気付くな、って、誰かが必死で叫んでくれてんのに。
「……あー。なんかもう、いいや」
抵抗できたのは一瞬だった。すぐに悟って、諦めた。
ああ、もう、いいや。別にいいんだ。これで、いいんだ。
小さく息を吐く間に、緑間は悠然と歩きだしている。
「行くぞ、高尾。このままでは遅れる」
「うおっと、待てって真ちゃん!」
広い背中を追い駆けて行く。風が吹いて、光がこぼれる。
――テレポーテーションしたいなんて嘘、いや、やっぱり、ホント。 瞬間移動、出来たらいい。
立場なんかどうだっていい。少しくらい胸が痛くったっていい。
緑間が呼んでくれるなら、高尾のことが必要だというなら、いつだって、どこからだってその傍に、隣に、駆けつけてやりたいから。
もしも高尾に、瞬間移動のチカラがあるなら、行き先は限定、世界でたった一か所だけだ。高い身長、変わった髪色、ひどく目立つその後ろ姿の、隣。
取り敢えずは物理的に、袖口を掴んで引き留めて、いつものその場所に、立つんだ。
「しーんちゃんっ、」
「なんだ」
「なんでもないのだよー!」
「真似をするな。馬鹿を言ってないで、急ぐぞ」
「仰せのままにっ!」
頭上の空は目が痛いほど青い。夏はまだ、始まったばかりだ。
[2013年6月/7月修正・改題]