おさけのはなし
・加賀城太郎の言い分・
酒に溺れるのはバカのすることだが、酒を「嗜む」のは利口なやりくちだ、と、思う。
両親に感謝すべきなのか、加賀自身は酒には強い。滅多なことではほろ酔い以上の状態にはならないし、酔ったところで思考力や判断力は飛ばない。
その便利な体質を、巧く利用しようとするようになったのはいつからか――
酒に弱い人間が強いふりをするのは無理だが、強い人間が幾らか弱いフリをするのは容易いということを悟ったすぐ後だっただろうか。
実際、巧く使えば随分助かる。生酔い本性違わず、とはよく言ったもので、酔っ払いの戯言もスベテ、「心にも無いこと」ではない――心には必ず「ある」コトだから、だ。
だから加賀は酒の席に着く機会がある度に、相手の酔い方を慎重に見ている。理性や常識の下に隠されていた本音がちらちらと露出し始めるのを、目を細めながら待っている。
そんな風にこつこつ集めた趣味や嗜好や傷や弱みを脳内で暫く寝かせて上手に捏ねると、土壇場での強力な交渉材料になったりするので。
一方で逆の使い方もしている。調子よく酔った顔をして、本音を漏らす「フリをする」と、相手は大抵それに喰いついてくる――まあ、実際に喰われてしまうのは向こうなのだが。
お気の毒サマ、ごちそうさん。人懐こい笑顔の裏でぺろりと舌なめずりをして、機嫌よく手元の杯を乾す。
相手から本音を引き出すのもよし。見せかけの本心を晒してひっかけるのもよし。だから好きだぜ、こういうのって。火照った頬に冷えたグラスを押し当てて、喉の奥だけで加賀は笑う。
酔った「フリして」絡めた指先の向こうで、彼女の瞳がふるりと揺れる。透けて見える本音が拒絶ではないことを願いながら、加賀はそうっと目を細めた。
・葵今日子の言い分・
随分、便利なものだ、と、思っている。利用価値があるものだからこそ、太古から今まで変わらぬ地位を保っていられるのだろう、というのが今日子の持論だ。
古来、酒に酔うことは神と繋がることだとされたらしいが、どちらかというと神を味方につけることのように、今日子自身は感じている。
気の強い女だという自覚はあるが、気の大きい女だという自信まではまだ、ないのだ。
一回り以上歳の離れた男を相手取った交渉、両手でも足りない大人数を向こうに回してのプロジェクト運営、味方無しで臨む激烈な予算会議――
考えるだけで、こわい、そんな未来を目前に控えて立ち竦んでしまうとき。
そんな夜に、立ち止まってしまう足元を緩め、強張る背中をぽんと押してくれるのが、今日子にとっての酒の力なのだった。
仄かに頬が染まる程度まで酔えばいつも、自分の背後に、目に見えない味方がそっと寄り添ってくれているような気分になる。
だから、誰かと「個人的に」呑むことも覚えた。思惑や下心はお互いに薄皮の下にしまったままで、勿論、隠す気なんか初めっからなくて。
酒の席だから、という言い訳を盾に、会議室では到底不可能な深度まで互いの要求を探り合う。
際どい勝負に勝つ度に、今日子の背負う酒酔いの神はますます強大な力を帯びるようになり、いつも緊張で肩を強張らせていた小娘は、思わせぶりな含み笑いで相手を翻弄できる女に変わった。
とはいえ、酒自体は素直に好きだ。ひとりでゆるゆる酔うのも悪くないけれど、気の合う相手と取り留めなく話しながら呑むのはもっと楽しい。
自分自身が酒の力を実感しているから、相手が幾らか大仰に振る舞うのも、大袈裟な口を利いてくるのも、なんとなく許容できるようになった。
しょうがないわよね、酔っ払いなんだものね。口癖のように頭の中だけで呟いて、力を抜くように大きく息を吐く。
指先に纏わりつく酷く高い体温の向こうに、満足げに細められた彼の瞳がある。酔うとやたらに人恋しいのだという、いつもの科白が耳につく。
彼の乾したグラスが到底「酔う」なんて量ではないことには、この際気付かないふりをしよう。
少しばかりの強気のままで微笑んで、今日子は絡んだ指先に少し、力を込めた。
[2014年1月]