ゆるぎないもの


 呼び出しは、クロノスフーズ内ヒーロー管理課を通じて行われた。
 向かう先はアポロンメディア。会う相手はアニエス・ジュベール。
 プライベートで呼び出されたのでなくてよかった。もしそうだったら、緊張と動揺で指定された場所に辿り着くことさえ出来なかっただろう。
 仕事でならば、それなりに落ち着いた顔もできる。何しろ、この業界でもう10年も働いているのだから――れっきとしたプロの、それもベテランなのだから。
 もっともそれは業務以外での繋がりなど皆無に等しいのだと自覚させられるのとイコールで、いささか情けない気分でもあるにはある。
 内心で溜め息を吐きながら、ロックバイソンことアントニオ・ロペスは、受付嬢に来社目的を告げた。

「ボンジュール、ロックバイソン。よく来てくれたわ」
 こぢんまりとしたオフィスに通されると早速、アニエスが用件を切り出した。
「貴方に頼みたいことがあるの。他でもない、ワイルドタイガーの親友である貴方にね」
「……?」
 ソファの間に置かれた小さなテーブルに、彼女が広げたのはアポロンメディア管轄下に発行されている、月刊のヒーロー雑誌だった。
 このシュテルンビルトにNEXT能力者は数あれど、「ヒーロー」の肩書を持っている者はそういない。従って、表紙を飾っているのは、ごくごく見慣れた二人組。 『TIGER&BURNABY、堂々復帰!』と派手な見出しが躍っている。
「ワイルドタイガーとバーナビーが揃って復帰。ヒーロー界への視線は一気に過熱した。ここまではいいわよね」
「……別に、異論はないが」
 アントニオとしてではなく、ロックバイソンとしての、職業上での会談である。本来なら他社の担当者に対する口の利き方ではない。
 だが、オフィスには二人きりだ(欠片の色っぽさもないけれど)。HERO TV中継時となんら変わらないアニエスの口調に合わせて、アントニオも武骨ながらも平らかな口調で答えた。
「もともと『史上初の顔出しヒーロー』だったバーナビーはともかく、この前の騒ぎで一挙にワイルドタイガーの素顔も広まってしまった。これもいい?」
 頷く。
 マーベリックの情報操作により、殺人犯として指名手配された鏑木・T・虎徹の写真は、天下のアポロンメディアを以てしても回収不可能なレベルにまで世間に出回ってしまった。 となると、何かいざこざがあったらしいワイルドタイガーの仮面(というのかどうか、アントニオには確信がない)姿の画像と得体の知れない冤罪殺人犯の画像との あまりの共通点の多さに気付いてしまうファンも、それこそ山ほどいた訳で。
 正式な発表こそなかったものの、実質、ワイルドタイガーの正体はほぼ全シュテルンビルトに広まってしまったと言っていい。
「バーナビーがあの通りのハンサムだっていうのは勿論のことだけど、ワイルドタイガーもああ見えて割にハンサムでしょう。黙って立っているだけならの話だけどね。 今までワイルドタイガーのファンと言えば本人と同世代の男性がほとんどだったけど、あの、性格と実年齢とを裏切る外見のおかげで、女性からの支持も一気に上がって来たの」
 ……そうだったのか。他人の感情に疎いアントニオにとっては、言われて初めて「ああ、そういえば」と思う程度の変化ではある。
「これはチャンスよ。HERO TVの信頼と人気を一挙に取り戻す、というより、今まで以上に盛り上げる一世一代の大チャンス! ね、そうでしょう!」
「はあ……」
 どう反応すればいいのだろうか。親友にしてライバルである相手を目の前でこんな風に褒め称えられて(厳密にはところどころけなしていたような気もしなくはないが)、 正直、胸中は複雑である。
 こちらの想いなど知る由もなく、アニエスは突然、どん!と音を立ててテーブルを叩いた。
「なのに! あの男、顔出しは勘弁してくれ、って言い捨てて逃げたの! 顔も正体ももうとっくにバレてるのよ、今更そんなとこに拘ってどうするの!?  ワイルドタイガーの『素顔』公開、ってアオリを付けられるかどうかで、売り上げが全っ然違ってくるっていうのに、 この期に及んで目元隠した画像じゃ視聴者も読者もがっかりでしょうが! なんなの!」
「お、俺に言われても……」
 怖い。美人が怒ると余計に迫力があってホント怖い。うっかり身が竦んだのを悟られまいと意識的に姿勢を正しながら、アントニオは小さな声で抗弁した。
 が、アニエスは鋭い目で、それこそ水牛に狙いを定めたライオンのような目で、迫力たっぷりに迫ってくる。
「だから、貴方に頼みたいのよ。ワイルドタイガーを説得して下さらない? 諦めて、顔出しでの取材や撮影に応じるように」
「……俺が?」
 一気に、身体の硬直が解けた。ソファに座り直して息を吐く。
「申し訳ないが、アニエスさん。その頼みは引き受けられない」
「なぜ?」
 綺麗な眉がきゅっと寄る。こんな美人に、というか惚れた相手に、不愉快な顔をされるというのは辛いものだ。
 だが、出来ないものは出来ない。直接の回答をする前に、まずは疑問をぶつけてみた。
「俺よりも先に、バーナビーに頼まなかったのか。あいつはアポロンメディアの人間だし、俺以上にタイガーとは親しいだろう」
「頼んだわよ。でも、駄目だったの」
「断られたのか?」
「バーナビーは勿論、断らなかったわ。タイガーが説得に応じなかったの。だからこうして貴方を呼んだのよ、バーナビーでも駄目なら貴方くらいしかいないでしょう?」
「無理だ」
 言い切る。アニエスの眉が、ますますきつい角度に釣り上がるのを見ると正直、気が咎めるが。
「誰がどう説得したってアイツは応じない。無駄なことは、俺だってしたくない」
「なぜそんなことが言い切れるのよ!」
「アイツが、『ヒーロー』だからだよ」
「は?」
 わけがわからない、という顔。それはそうだ。司法局の認可を受けた、職業としてのヒーローなら、虎徹以外にも何人もいる。
「正確には、アイツが自分の理想通りの『ヒーロー』でありたいと思ってるからだ。ヒーローは正体不明。誰もが知ってるけど、本当は誰も知らない。 弱いとことか、情けないとことか、悩んでるとことか、ヒーローだったらそういうのは見せちゃいけないんだ。 ……だから、『正体』とか『素顔』なんてのは誰にも、知られちゃいけない。そう思ってんだよ、アイツは」
「……なに考えてるのよ、正体なんてとっくにバレてるのに」
「まったくだ」
 しみじみと頷く。勿論、アニエスの言うことが正論だ。虎徹はバカだ。ただの、まごうことなき馬鹿者だ。
 それでも、彼の頑固さと、「ヒーロー」への強い憧れは知っている。その憧れに支えられた、真っ直ぐで誇り高い信念も。
 ――それこそ、ワイルドタイガーのデビュー以前から、20年以上も身近でそれを、見て来たのだ。
「まあ、そんなワケだ、アニエスさん。力になれなくて悪かった」
 深々と頭を下げる。何か気の利いた一言でも付け加えられれば少しは彼女の気を引くこともできるのかも知れないが、 それこそ虎徹と同じくらいに愚直で不器用な自分には、とてもバーナビーのようなスマートな振舞いはできない。
「……そう。わかったわ」
 抑えた声音だったが、小さく舌打ちが入ったのをアントニオは聞き逃さなかった。怖い。有能な美人ホント怖い。なのに惚れてる自分が自分で分からない。
 びくびくしながら顔を上げると、さぞかし憎々しい顔をしているだろうと思ったその美人は意外と、明るい表情をしていた。
 というか、何か次の企みを見付けたような表情、というべきだろうか。
「……だったら、素顔以外で視聴者を惹き付ける可能性を探った方が早そうねぇ……さっきの話、参考にさせて頂こうかしら」
 流石は視聴率の鬼。彼女にとって、ワイルドタイガーの素顔は手段であって目的ではない。 一本筋の通った割り切り具合は、押しに弱い気のあるアントニオからすれば、惚れ惚れするような性質のひとつなのである。
 何かに納得したように頷くと、アニエスは不意に素っ気ない態度に戻って言った。
「わざわざ来させて悪かったわね。もう戻ってもらってもいいわ」
 冷たいセリフに、今更傷付くことも無い。アントニオは立ち上がり、ソファの横でぺこりと一礼した。
 だが、背を向けて扉に向かおうとした途端、小さく呼びとめる声が聞こえた。
 振り返る。彼女が、考え込んだ目付きでこちらを見ている。
「ロックバイソン。最後にひとつ、教えて」
「……なんだ」
「貴方の話で、ワイルドタイガーの、ヒーローとしての『軸』が解ったわ。今後、上手く利用させてもらう」
「それで?」
「貴方の――ロックバイソンの『軸』は何?」
 それが解って、貴方を、もっと上手く演出できるといいんだけど。目がそう言っている。
 実力も人気もイマイチで、しぶとく一軍に居残り続けるのが精々のロックバイソンは、HERO TVにとってはお荷物――とは言わないまでも、あまり喜ばしくない素材なのだ。
 苦い自覚に、それでもアントニオは微笑んだ。
「わからないな」
 率直に正直に、言葉を吐き出す。
「解らない?」
「ああ、わからない。わからないが、……そんな俺でも、『ヒーロー』と呼んでくれる人がいる。それだけさ」
 雇ってくれる人がいる。応援してくれる人もいる。いつも見ている、と、助けられて嬉しかった、と、そう言ってくれる人がいる。
 スカイハイのような圧倒的なカリスマ性や、バーナビーのような隙の無い優秀さはない。 折紙サイクロンのようにニッチな需要に応えられるキャラクターも、ワイルドタイガーの持つ天性の愛嬌や人好きのする雰囲気もない。
 それでも、ロックバイソンは「ヒーロー」なのだ。親友に釣り込まれるようにしてこの業界に足を踏み入れてしまったあの時から、それ以外の生き方はできない。
 ――大袈裟な理由なんて、なくても。
「……そう」
 予想に反して、呆れた顔はされなかった。ソファから立ち上がって、アニエスは言った。
「メルシー、ヒーロー。よく解ったわ。……次回はまた、現場でね」
「…………」
 ここにも、「ヒーロー」と呼んでくれる人がいる。それだけで今は、よしとするべきだろう。僅かに口元が綻ぶ。
 今夜は虎徹と呑みに行こう、アニエスの剣幕を語ってやったらさぞかし震えあがることだろう、などと考えながら、アントニオは三度、深々と頭を下げたのだった。

[2012年4月]